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髪の毛が抜けた瞬間から汚い。それは私という境界線を超えないものをえこひいきしてるから

髪の毛。人の魅力の一つとして大事にされる。多くの人から愛されている。

だけど、毎日抜け落ちる大量の髪の毛。

床に散らばってる髪の毛を見ると億劫になる。きれいなものに見えることなんてない。

抜け落ちると汚い。抜けるまではすごく綺麗で大事。なんでなんだろう。

春の桜のように髪の毛もきれいに散ればいいのに。

部屋の床にたくさん落ちる髪の毛。排水溝に絡まる髪の毛の掃除がどうしても嫌

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私は掃除がほんとうに嫌。特に掃除する度に集まってくる私から抜け落ちた大量の髪の毛。もうその髪の毛の掃除生活と付き合って、はや23年目だ。

私は髪の毛の量が多い。抜け落ちる髪の毛もすごい量だ。そんな髪の毛の掃除をするのが本当に嫌。

いつも掃除機が悲鳴を上げそう。

特にひどいのは、掃除機の先がくるくる回るやつ。掃除機の先端部分に髪の毛が絡まりすぎてしまうこと。

だからいつも掃除機を解体したうえで、絡まっている髪の毛を全てはさみで切る。

本当に気持ち悪いと思うのがお風呂場の排水溝にたまる髪の毛。どうしたらいんだろう。

結構頻繁にとらないといけない。なんでそうなんだ。リンスと絡まっているせいか水が通らないようになる。

でも、気持ち悪いから見たくも、触りたくもない。自分から抜け落ちた髪の毛は、関わりたくないと思ってしまうほどの気持ち悪いものになってしまう。

だから、その、固まってしまった髪の毛を溶かすのを助けてくれる救世主のパイプユニッシュくんとはもう大の親友だ。


私は、人に分け与えたいと思ってしまうほど、髪の毛が抜ける。なんでこんなに私の髪の毛が抜け落ちるんだろう。


髪の毛は、頭を衝撃から守るクッションという役割ではなく、自分を美しく見せるための一つのツール

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髪の毛っていつも本当に大事なの。

私は、毎日髪の毛のケアをすごい時間をかけてしてる。

だって美人になりたいから。何をするにしても人間は見た目に左右されやすい。だって、視覚から得られる情報はなによりも分かりやすく記憶に残りやすい。

だから私は毎日、胸の下まである長さの髪を何時間も時間やお金をかけて手入れする。

お風呂に入れば、まずシャンプーをして、リンスをして、ヘアマスクをして、ドライヤーを30分以上してトリートメントをする。

美容院に行けば、毛先の痛んでいる部分だけをカットしたり、トリートメントをしたりする。

髪の毛が焼けないように、日焼け止めスプレーは髪までしっかり振っているし、日差しが強い夏は帽子をかぶったり、日傘をさしたりしている。

こうやって書き出してみると、結構頑張ってる私って思っちゃう(笑)

そのおかげか、美容師さんにはいつも「きれいな艶のある髪だね」って褒められる。だから美容院は本当にすき。

本当に自分の髪を大事にして毎日生活している。

私にとって髪はもはや頭を衝撃から守るクッションという役割ではなく、自分を美しく見せるための一つのツールになってる。

以前、佐藤友美さんの本で学んだ。

メイクを変えるより、服を買うより、ダイエットをするより、話し方講座に通うより、女性の印象を決めるのは「髪」が一番重要だと。

”ファッション誌の編集長は、新人モデルをまず美容院に送り込む。髪が決まらなければ、服も似合わないし、メイクも映えない。そう思っているから、「まずは髪を整えてきて」と新人モデルに言う。ファッション業界の先端にいる人達ですら、髪が一番大事と思っているらしい。”


自分として認識しているものは大事で、身体から離れたものは汚い。みんな自分のものはえこひいきしてる

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髪の毛って普通の時は本当に大事な存在なのに、なんで抜けるとこんなに汚いんだろう。

美容院でカットされた毛髪も「汚い」と感じてしまう。
一本でも髪の毛が自分の料理に入っていたら「汚い」
掃除機やくしに絡まっていたら「汚い」

みんな、抜けおちた髪の毛を「汚い」と感じる。

ホラーで排水溝から髪の毛が湧き出るシーンとじかを見ると、ゾワゾワする。髪の毛って本当に気持ち悪い。髪の毛が恐怖の対象として認知されている。

だけど、自分の頭皮に生えている髪の毛は大事でありキレイ。お金や時間、労力ををかけてケアをしてあげるほど大事である。

人間の身体と一緒にいる時は髪の毛は本当にキレイものなのだ。だけど、いったん身体から離れてしまった時、きれいなものが汚いものに変化する。

でも、それは髪の毛だけじゃない。

自分の唾液も口の中にあるときは、汚くないのに、唾や唾液として自分の外に出てしまえば汚いものになる。

爪も切り落とされる前までは意識もするものでなかったはずなのに、切り落とされた瞬間、一刻も早く目の前から除去すべきほど汚いものとなる。

耳垢は、鼻糞は、目やには、汗は、尿や便も、身体の中にあるうちは、自分の身体の一部であり、汚いとは感じない。それが身体の外部に出て、他人にそれを指摘されたり、自分でそれを意識したとき、汚く感じる。

血液やつば、排便等も体内にあるうちは、気にならないですが、外にでると汚い。

身体から一度離れたものは全て汚い。


”自分ごと”にできないことに拒否感や嫌悪感を得てしまうのは普通のこと

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身体から一度離れたものは全て汚いということは、自分と思えないものは全て汚いということなのかもしれない。

とりあえず自分のことはかわいい。それに大事。

自分のことを棚に上げて他人に物を言ったり。
いくら大事な人のことでも自分で後回しにしてしまったり。
みんな苦しい時に、自分のことだけ優先してしまったり。

他人から見られたら、ひどい行動をしているのかもしれない。だけど。結局、本能的に自分のことが大事。

髪の毛も抜け落ちるまでは自分。抜け落ちたらもう自分じゃない。

だから自分と認識していることを私たちはいつもえこひいきしてる

みんな自分が一番かわいいんだ。

だから反対に、”自分”と思えないことに拒否感や嫌悪感を得てしまうのは普通のことであって、しょうがないこと。

そんな自分を責めなくていい。だってみんな自分が一番かわいいから。

だからかな、自己犠牲が美しく見えて、憧れるのは。


P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。

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