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美術館に行く自分に酔いしれてると、いつのまにかめっちゃかっこいい自分になってた。おしゃれは私の戦闘服

ナルシスト。そういう風に周りから思われる人は本気で恥ずかしいと思っていた。私が小学校の時にはやっていた言葉。

自己愛が強い人をいつからからかうようになったんだろう。とがっているからだろうか。いじりやすかったからだろうか。

それともみんなの劣等感の逆パンチなんだろうか。

毎日かっこいい自分に酔えるなんて今ではすっごいうらやましい。昔はそんな自己愛の強い人なんて・・と思っていた自分がいることを恥ずかしい。そんなことを考えながらnoteを書き始めた

芸術的センスがある人が魅力的に感じるから、絵なんてまったくわからないけど、自分にとって最大限おしゃれして美術館に行ってみた

東京に来て一年目の時。私は19歳だった。田舎から出てきた小娘。キラキラした幻想を抱いて上京してきた私にとってはすべてが魅力的に見えた。

だから美術館に行き初めた。そこでの絵や芸術作品。よくわからない作品の数々。いろんな展示会にも足を運んだ。

「誰も知らないおしゃれな美術館に行くキレイなお姉さんはかっこいい」
そんな休日の過ごし方にあこがれた私。

平日は大学やアルバイト、就職活動やボランティア活動、友人の付き合いなどたくさん恐ろしいほどスケジュールが詰まってる。そんな中、どうしても自分が今の自分の生活で充実できていない気がしていて・・忙しい人のおしゃれなリラックスしてる休日を美術館に行くことで重ねていたのかもしれない。

でもその美術館に行っているとき、ある一枚の絵を見て泣いてしまうことがあった。その時はいつも考えている理屈的な行動ではなく感情みたいなもの。それはめったにないし、そんなことを求めていってるわけではない。でも何万分の一に出会える特別な瞬間。
「理屈ではなく感性だけを使う自分だけの体験。」
そんなものを目指すようになっていたのかもしれない。

そんな私がよく行く場所はここ。すこしだけ美術を見て、そのあと、ここの二階で広い緑の景色を見ながら勉強したり、ぼーっとしたり過ごす素敵な女子大生になりたいと渇望してた。

展示会やギャラリーに作品に会いに行った。よくわからないけど。芸術の対象は全部。アートといわれるもの。そんな場所に普段着れないカラースーツとかで通ったな(笑)

おしゃれな人に”なりきる”時間が好き。そんな自分に酔いしれるようになった

みんなが本当の自分をすべて好きになれるわけじゃない。全部、自分できちんと選択した合理的判断のもと1日中行動できるスーパーマンみたいな人はいないわけではない。でもマイノリティだと思う。とりあえず、私は違う。

「きっと今は頑張れば将来うまくいくのにな」
「土曜日の朝、ベットで寝ずに朝活したらいいのに」

私は、そんなネガティブな発言を毎日しているような人間だった。でもポジティブな人や自分をきちんと愛せている人は違う。

「将来のことを見据える力がある自分って天才。そして今の自分がどうしたらいいかまで見えてるなんて人間力高すぎる」
「土曜日の朝に寝れる幸せを知ってる自分ってかっこいい」

みたいに考える人。本当に自分で自分をこころからほめたたえる。そんな自己陶酔に浸っているといえる人の生活は毎日満たされていて、すごくかっこいい。それは、ナルシストになれるってかけがえのない才能。本当にポジティブな頭のいいひとだからできることだと思う。

自意識過剰な人って自分の軸を持っていて何を言われてもブレない。でも、いつしかそんな人を否定するのが流行った。

私の中では、ノンスタイルの井上さん(笑)

昔は彼のことを馬鹿にしてるのがすごく楽しかった。そんなやばいやつになり切れるかれを馬鹿にして気持ちよくなっていた。でも、そんな生き方のほうがダサすぎてつまらないただの悪あがきにしかみえないと気が付くようになった。ただテレビに踊らされた人間。そんな人間ほどつまらないものはないと。

「ナルシスト」の日本語での意味は「自己愛の強い人」。 「自分は何で素敵な人間なんだ〜!」と、自分自信の行動や容姿に自己陶酔する人のことらしい。

今ではそんなナルシストの特殊能力がうらやましい限りだ。それはなんでかっていうと、自分を愛せる人って他人を愛せる人でもある。だからこそみんなに愛される人。自分を愛すことが出来なければ他人も愛することができない。こんなに大事で大切なことに大学生になってから気が付いた。

そして、また思う。自分を愛せる人こそが文化をつくり、他人にも愛されるようになっている人になっているということを。

意識して作っていたかっこいい自分が、いつしか自分が本当のかっこいい人間になってた

人はだれしも自分の過去の体験や自分のイメージみたいなものに縛られて生活していると思う。みんなから私を見たときにはすごく素敵な女性にみえて彼氏にも困らないように見えるのに、私には外見に対しての自信がなかったり・・勉強にも仕事にも言えること。自己卑下の部分。

でも自分の前提条件を低くおいてしまう事は普通なこと。そんな中で外面から、休日の中の何時間かの行動から変えることで、”普段の怠惰な自分とは違う、かっこいい自分になれる。と思いこめる。”だからこそ普段の自分では他人の目を気にしてできない行動や、感情の持ち方ができるようになっていた。

その感覚が知らないうちに自分のものになった。と思ったのは、新しい人と話したときの自分。ふと、先週なにしたの?という話になったときに、美術館とその展示会の名前を言えたこと。そして自分が美術に詳しくないと思っていたけど、意外にもアートの話が自分なりに出来るようになっていて、話している相手に「すごい面白くて、魅力的な趣味なんだね」って言われた。

その時に思った。自分の理想としてる人にまねっこしているとそのうち自分の一部もその人と同じになっているかもしれない。と。最初は美術館に行っているかっこいい自分に酔ってた。でもそれはきっかけにしか過ぎなかったこと。かっこいい人のまねっこを行動し続けてていると知らないうちに自分の中で新しい視点や感情が生まれていること。

今の自分にもすべて自信があるわけじゃない。そして怠惰な自分もすべて受け入れるだけの心の広さも持ってない。だけど、自分にとってかっこいい人は想像できる。そのかっこいい人のできる部分だけ真似っこして少しずつ自分を愛せる人間になっていきたい。

そんな私なりの幸せの見つけ方。

こうやって文章を書いてる自分もかっこいい。

P.S.
最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。わたしの知っている情報をもとにこのnoteを書かせていただきました。
 もしよければ、コメントとかにこの話を読んでどう思ったか、どう感じたかを教えていただけるとうれしいです。

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