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他人様の記事。

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ぐっときたり、勉強になったり、思わずうーんとうなる他人様の記事。
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#短編小説

ショートショート やがて、世界が海に

ショートショート やがて、世界が海に

 大学に通うために引っ越してきたアパートの近くに海がある、と越す前から知ってはいたのだけれど、いざ歩いて行ってみると本当に海で、今更ながら驚いて堤防に座ってしばらく見ていた。片道20分。歩いて来てよかったと思った。
 春の海は穏やかで、人気もそれほどない。犬の散歩をしている人がいる。少し毛深すぎる小型犬が長い紐に繋がれて得意そうに風を切っていた。

 ここにくるまでに飲んでいたペットボトルの水がち

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小説|雪男は麓の町へ

小説|雪男は麓の町へ

 雪山から麓の町へ雪男が下りてきました。時計台広場にある長椅子に座りつづけて、はや一か月。雪男はパンも食べず水も飲まず、ただただ町に雪を降らせます。町の人々はみな雪男を怖がりました。ひとりの少女を除いて。

 以前、少女は雪男と会ったことがあります。戦争にとられた父に代わり、病に伏す母に舐めさせようと山で蜂蜜を採った帰り道でした。猟銃で撃たれたか、木陰で動けずにいる雪男のそばに、少女は蜂蜜を置いて

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小説|欠くとき、書くこと

小説|欠くとき、書くこと

 もう会えなくなった人がいます。その人から私が教わったのは書くこと。便宜上であっても「その人」と呼ぶのが心苦しいほど、その人は私には欠くことのできない親しい存在でした。その人は私にこう語ったものです。

 書くことは癒えること。大事なものを欠いたとき、あるいは大切なものを欠くのを恐れるとき、人は書く。欠いたこと、欠く恐れを、書いて埋める。書くことは、まず自分、次に他人を、癒やすものであってほしい。

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無数の針

無数の針

短編小説

◇◇◇

 海に向かう街道の少し手前でスーパーマーケットに立ち寄り、そこでぼくと十歳になる姪は、チョコレートやキャンディーやスナックなどの菓子類をしこたま買い込んだ。ここから海水浴場までには長い峠道を越えなければならず、三十分くらいでは着きそうにないから、車の中でおやつを食べようと、ぼくが姪に提案したのだ。

 お菓子に関しては子供の方が目利きだろうと思い、姪が選ぶに任せたのだが、買い

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半月たちの哀歌

半月たちの哀歌

短編小説

◇◇◇

 寺林涼子は職員室にある自分の机に置いてあった二つ折りのメモを見つけて、高校三年生のある男子生徒の顔を思い浮かべた。

 涼子は以前、その男子生徒から詩のようなものが書かれた手紙を受け取っていた。性器を見たことがない……とか、そういった気味の悪いセクハラまがいの文面だった。もしもそれが、ポストに入っていた差出人不明の手紙なら、最後まで読まずに破り捨てていたと思うが、涼子はその

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