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0の概念とLiving In The Moment

ついつい成果や結果を求めて心はあくせく忙しく奔走する。じっとしていても、心の中はいつもこれをしてあれをしてという段取りや行動で埋め尽くされて、今その瞬間そのものを味わえていないことが多々多々ある。

未来への不安と過去への後悔で今という瞬間は気づかないうちに埋め尽くされている。

自分で気づいていないというのが一番のポイントだと思った。ついつい忘れてしまうから、ついつい置き去りになってしまうから、意識して、今に集中する。

先の不安のために青写真を描いてあれこれ準備して段取りして、自分の未来を自分でがんじがらめにして行きがち。そして親になったら、今度は子どもにその不安と恐怖を当てはめて行動を促しがち(これは今書きながら気がついた)

自分で気づいていない、無意識でそれをしている。それが正しいか間違いかじゃなくて、それが本当に心地良いのか、それとも心地良くないのか。

あるべき、すべき、こうしなくちゃ、ああしなくちゃ、で人生はどんどん埋め尽くされがち。私の場合、ずっとずっと無意識ではそうだったと振り返る。常に、無難に生きられるために、恐怖への予防策として、振り返ればずっと、「ああなったらダメだから、これをしておかないといけない」といった気持ちで全ての行動をしてきたと言っても過言じゃない。

これを書き出して、思い出したことが一杯あった。

ここでその詳細を書くのは控えるが、それらの出来事での共通項で今感じるのは、すべては0に引く戻すために起こったことかもしれない、と言うことだった。

いつもいつも、意識していても意識していなくても、見えない何かは「0に気づいて」と言っているのかも知れないとふと思った。

まだ思っていること、浮かんでいることを書き切れていない。
だけど、これは書き切ることも出来ないと思う。

ただ浮かんできた片鱗を、そのときそのときの許される状況で、少しずつ、アウトプットしていければ良いなと思った朝だった。

今朝、しゃべってみて、言い切れないと思った部分を書いてアウトプットしてみたけれど、それでもまだまだ一杯残っている。

少しずつ、少しずつ。


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