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アンという名の少女

「アンという名の少女」を見ての感想。

私は原作の赤毛のアン自体はあまり好きではなかった。
マリラが怖かったのとアンの行動にハラハラし過ぎて読んでいられなくなり、読むのをやめてしまったような記憶がある。

でも、今回の作品では、原作を元にしつつも新しい展開で話が進んでいき、気付いたら目が離せなくなっていた。



アンの想像力の豊かさ、明るくて勇敢で、どんなことにも真っ直ぐ正面から立ち向かっていく姿に勇気をもらった。
「自分らしく生きること」について考えさせられた。
周りの目や評価を気にせず、自分がやりたい、正しいと思うことは何としてでもやり通そうとするアンの姿は確実に周りを変えていった。それでいて素直で、常に感謝を伝え、謝ることもできる。それはアンの強さだったように思う。
アンの想像力はアン自身を強くした。それがあったからこそ、常にアンはアンでいられたし、希望を捨てることなく辛い状況は耐え抜くことができたのだと感じた。
私はそんなアンを尊敬する。

一方で正直なところ、目を覆いたくなるような話も多かった。
人種差別、先住民への偏見、いじめ、子供や女性の権利、ジェエンダー、アイデンティティー、多様性、教育についてなど、ありとあらゆる現代社会にも関わってくるような問題についても考えさせられた。

女性は結婚して家庭に入るもの、インディアンは野蛮、孤児の女の子を家族として受け入れることに対する偏見。ここには書き切れない程、とにかく偏見と固定概念に溢れていた。
見ていて辛かったし、法的に平等だったり問題でなかったとしても人々の固定概念をなくすことは簡単にはできないと実感した。

そんな中でも、自分を常に見失わず真っ直ぐで純粋なアンは、インディアンや黒人などという「括り」「見た目」で人を見るのではなく、他の何者でもない「その人」として人を見ることができるからこそ、誰とでも仲良くなれるのかなと思った。加えて、アン自身も周りから偏見の目を向けられ、過酷な状況下で生き抜いてきたからだとも思う。

家族とはどんなもので、愛とは何か、そんなことも考えた。
マリラとマシューはアンを娘のように思って愛し、2人は夫婦でもなければアンとは血の繋がりもなく、変わった形だけれど家族だった。黒人バッシュと白人カズバートは男性同士、家族として兄弟同然で暮らしていた。

結局、家族とは相手を思う心なのだと思う。何があっても、どんなことが起っても、時にぶつかり合いつつも、お互いにお互いを見捨てない。離れていても心の中では相手のことを思っている。
これが家族なのではないかなと見ていて感じた。



私はアンから勇気と希望と常に自分らしくいることの大切さを学んだ。
人生一度きり。誰かに決められたレールの上を、他人の人生を歩むのではなく、自分の道を自ら切り開いて「自分の人生」を歩んでいきたい。
私は、みんながみんな自分らしく自分の人生を歩んでいけるような世界を望む。

〜今日の言葉〜

Life is short and the world is wide.
 (人生は短く、世界はあまりにも広い)
by Anne with an “E”


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