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異文化交流が教えてくれた日本人の自分を自覚したら楽になった話

今から8年ほど前になるでしょうか、私は外国人のホームステイ先として自宅を提供するというボランティアを始めました。
今日はその体験について書きたいと思います。

正確に言うと、ホームステイの受け入れは、最初は1回限りのつもりだったのです。それがなんだか気になって、もう一回もう一回…と続けていくことになった、という感じでした。なんだかんだで、5年間で4か国7人の子どもから大人(12~23歳)まで受け入れをしました。期間は3日~1か月くらいでした。

ここ最近はしていないのですが、それは受け入れる機会がなくなったからです。受け入れ先は子どもの学校関係や習い事からの依頼が主だったのですが、子どもが卒業してしまったので、機会がなくなりました。今もまた機会があればやりたいなと思っています。

ここまで前置きしたのは、どんな経緯で私がホームステイの受け入れに一時期はまったかということを書いた方が良いかなと思ったからです。そのくらい異文化交流というものは、私にとって刺激的な体験になりました。

(そもそも、なぜそんなボランティアをしようとおもったか…などについては長くなるので、また別の機会に書きたいと思います)

今日は、その体験で私や私の周辺にどういう変化があったかということを中心に書きたいと思います。


自分は思っていた以上に日本人だった

私は日本以外の国に住んだことがありません。
でもそのことについて、深く考えたこともありませんでした。

最初、ホームステイの受け入れをしようと思ったとき、不安もありましたが、どちらかというとポジティブな感情を持っていて、おそらくそれは日本人的な「おもてなし」精神満載だったのだろう…と今振り返ってみると思います。とにかく喜んでもらおうと考え、娘・息子といろいろ準備してその日を待ちました。

しかし、結果は散々でした。

我が家にステイした子(アメリカ人15歳女の子)は、私と家族が準備したものをことごとく喜ばず、会話もあまりなく(向こうからは話しかけてもず、こちらが話しかけてもすぐに会話は終了💦)、2週間のホームスティは終わりました。このボランティアは、市から学校にお知らせがあったものに参加したもので、受け入れたお子さんは、自国の友達と一緒に来ており、日中はその子たちとずっと日本観光をして、我が家には寝るために帰ってくるだけだったのです。

今思えば、最初からそのつもりだったら良かった(事前の市からの説明と実際は食い違うものがありました)のでしょうが、私たちは外国人との交流を楽しみにしていたので、私も家族も最初の1週間はどうにか交流しようと試行錯誤しました。しかし、想像以上に交流がなく、会話も減る一方で、どうしたらいいのかわからなくなり、途中からは、とにかく早くこの2週間が終わりますように、けがや病気がなく過ぎたらそれでいいと思ってやりすごしました。

私はこの受け入れをとても楽しみにしていたので、そんな形で終わってしまい、とてもショックでした。

異文化交流したいから受け入れをしたのに、うちにきた子は我が家をホテルか何かだと思って過ごしている風でした。食事と宿の提供をし、日中のアクティビティの集合場所まで送迎しただけで終わってしまいました。実は私、受け入れ期間中に悲しくなって泣いたりしていました💦なんでそこまで思いつめてしまったのか、今となっては笑い話ですが、その時は、一緒に受け入れを楽しみにしていた娘の顔がどんどん曇っていくことが身を切られるように辛かったし、受け入れているお子さんが何を考えているのかもはっきりわからず(私の英会話力は5歳児程度…でも身振り手振り使えるものはなんでも使いました)、せっかくにうちに来てくれたのに、何もなく帰ってしまうのは私の力不足なんじゃないか…それにしてもこの子はこんなに受け身で何でホームステイを選んだんだろう…などなど。もういろいろぐちゃぐちゃ考えて、負の思考のドツボに陥っていました。

もう二度と受け入れはしないと思っていましたが、時間が経つにつれ自分の中で変化がありました。

あぁ、これぞ異文化交流だったんだ。
…そう心底実感しました。(個人的に、体験して実感したものに勝るものはないと思っています)

相手は私の思っていることなど考えてくれず…もとい、考えたかもしれないけど、私が期待するような反応はしなかっただけ

私は相手の思考にまで自分の思考通りになることを期待し、勝手に期待は裏切られ、勝手に疲弊しただけだったのです。

この思考こそが「散々だった」「二度と受け入れはしない」と私が思ってしまった最大の原因だったと、今は思います。

自分と同じように考えることを前提に全ての準備を行っていました。これはたまたま自分と同じように考える人の場合はうまくいきますが、そうではない人にはうまくいきません。文章にしたら当たり前のことですが、そんな当たり前のことにこの時まで実感する機会がなかった私は、おそらくこの時まで自分と同じように考える人に囲まれて生きてきたのでしょう。そんな環境だったのは、もしかして日本で生まれ日本だけで生きてきたからなのかもしれません。

そう気づいた私は、自分が体験から導き出した仮定の検証したいと思いました。(文章にするとオーバー💦)

その仮定とは、「私が考え方を変えれば、どんな相手がホームスティに来ても私は受け入れることを楽しめるはず」、というものです。



人は違って当たり前。そういうものだと思えれば楽になる。

「自分の考え方を変えよう」

これをすればいいのだというところまで思いに至ったのですが、では実際のところ私はどう考えを変えたのかと言うと…
・勝手に相手のことを想像して決めつけない操作しようとしない(相手が想像していない行動に出ても気にしない、自分と同じように思うことを期待しない)
大事なことは言葉にする。「我が家のルール」がある場合は、そこからから外れる行為はしてほしくないので、最初の段階で相手に伝えておく
いつも通りの暮らしの中で受け入れをする(特別なことはしないで、日常生活をキープしながら一緒に過ごす)
主にこの三つを心がけました。

さらに、大前提として…
相手に興味をもち、その考えを尊重する(これは自分を大事にすることにもつながるイメージです)と同時に自分のことを伝える努力も怠らない
笑顔と感謝を忘れずに
この二つは常に意識するようにしました。

その結果2回目の受け入れは、全てがうまくいったわけではありませんが、初回よりも数段楽しい体験になったのです。そして回を重ねるごとに異文化交流の楽しさにはまっていきました。

受け入れの回数を重ねるほどに、日本人であることが私自身の形成に影響を与えているであろうことを自覚するようになりました。それは他国や他国の人の考え方に興味も持つことにもつながりました。

「違い」に出会うことが楽しくなっていったのです。
自分を知るって楽しいなって思います。



思考を変えるには、痛みを伴うような強烈な体験が必要な時もある


私が思い切って考えを変えることができたのは、相当なショックがあったからでした。

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