見出し画像

1.私がラジオディレクターになった理由~夢を見つけた中学生時代~

●はじめに

2016年から5年間ほどラジオ局で制作のお仕事をしていました。
今回は私がなぜラジオディレクターを目指すようになったのかきっかけをご紹介します。

●ラジオとの出会い

ラジオに初めて触れたのは中学1年生の頃でした。
ゴールデンウィークの時にお母さんの実家に泊まる機会がありました。
おじいちゃんはいつもテレビやラジオを付けたまま寝ており、階段をのぼってすぐ横にある部屋だったこともありよく音が階段まで漏れていました。

夜中にトイレに行こうと部屋を出るとおじいちゃんの部屋からはラジオの音。
その時流れていたのは、関ジャニ∞が当時やっていたMBSラジオの「聞くジャニ∞」でした。
メンバーが今気になる曲をトークとともにお届けするコーナーだったのですが、曲とトークに思わず引き込まれてしまいます。
トイレに行くことを忘れ、結局20分くらい階段に座り込み聴き耳を立てて聴いていたのを覚えています。

それまでは「ラジオはお年寄りが聴くもの」と思っていましたが、自分の考えがガラリと変わりました。

実家に戻ったあとはちょうど半年ほど前に誕生日で買ってもらったステレオコンポに付属していたラジオアンテナを付け、毎週「聞くジャニ∞」を聴くようになります。
同時に関ジャニ∞のことも好きになり始め、ABCラジオで放送していた「村上信五の週刊!関ジャニ通信」聴き始めます。
ハマり過ぎて当時主流だったMDに毎週録音を始めます。
ただ実家が山の中で電波がいつも悪く、なぜか韓国のラジオ電波を拾うことも…。
当時はRadikoもなく流れるのは一度きり。
できるだけきれいな音で保存したいといつもアンテナを手で抑えながら聴いていました。

●ラジオにハマる

中学2年生頃になるとだんだんと他のラジオ番組にも興味を持ち始めました。
知っている曲が流れてないかなとチャンネルを回しているとある番組にたどり着きます。
それがABCラジオの「ABCミュージックパラダイス」でした。
好きな音楽も流れているしトークも面白い。テレビで見ているアナウンサーの人は淡々と番組を進めているイメージだけど、こんなに楽しい一面もあるんだなと感じた番組でした。
当時は月曜から土曜まで放送していたので毎日のように聴いていました。

学校にいけば、周りは前日のドラマやバラエティ番組の話をしていましたが全く入ることができず…。
それでもラジオの方が好きで周りを気にせず毎日のように聴いていました。

この頃から漠然とラジオ局で働けたらいいなという思いが出てきました。

●ハマり過ぎてメール職人に

メールを送っている人は私と同年代の人が多い。
一度送ってみようかなと携帯でメールを送ってみました。
するとラジオから私のラジオネームが呼ばれます。
始めて読まれた時は声を出して驚き、聴きながら手が震えていました。
あまりにも嬉しくてそれからは学校であった出来事、悩んでいること、番組を聴いていて思ったことなどを毎日のように送りました。
もちろん読まれる日もあれば読まれない日もあります。
「今日は読んでくれるかな」とドキドキしながら聴くのはとても楽しかったです。
パーソナリティの方に「いつもありがとう」と言われてメールを読み始めた時はとても嬉しかった記憶があります。

●ラジオで電話出演

受験時期に入ると勉強のお供に毎日聴いていました。
相変わらず勉強の合間をぬってメールを送ったりしていました。
当時リスナーに電話を掛けるコーナーがあり、さすがに無理だろうな思いつつ応募していました。
するとある日、自分の携帯から着信が入ります。
出てみるとなんといつも聴いている憧れのパーソナリティの声。
もう嬉しすぎて何を話したのか覚えていません。
最後に当時電話出演した人がよく口にしていた「サイン入りのグッズください」の言葉を震えながら伝えます。
快くOKをいただき、後日「サイン入りの合格祈願ステッカー」をいただきました。
ステッカーは今でも大切に保管しています。

●ラジオ局で働くにはどうしたらいいのだろう

ラジオを聴きながらどうすればラジオの仕事ができるのか考えていました。
私の聴いていたラジオのパーソナリティはアナウンサーの方が多かったため、ほとんどが有名大学を出ていました。
とりあえず今はたくさん勉強してパーソナリティの方と同じレベルの大学に入れば、ラジオ関係の仕事ができるのではないかと考え必死で勉強するようになりました。

●続きは次回

ラジオにどっぷりハマった中学生時代を過ごし、とりあえず勉強はラジオを聴きながら一生懸命頑張り、高校生になります。
続きはまた次回書いていきます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?