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福岡県立美術館で個展 ~ 部屋は静か 世界はにぎやか

展示室利用の申請から ~ 搬入まで

2015年1月中旬に利用申請書提出、4月半ばに期日調整の連絡を封書で受けて電話で担当者と交渉し、5月には正式な確定通知を受けました。

開催1週間前には必要な準備を完璧に終えたと思っていたのに、搬入1日前に、まだ完了していない作業があったことに気づき、慌てて何とか間に合わせ、搬入当日10月5日を迎えました。

補足1:福岡県立美術館につて
福岡市の中心部、天神から徒歩で10分程度の位置、緑豊かな須崎公園に入って奥に福岡県立美術館があります。数年前に耐震工事を終えたばかりですが、建物自体は1964年建立、1985年に全面改装して今日に至っているとのことです。



10月5日(月)搬入 ~ 3つのグループ展の搬入と重なる

今回は祝日の関係で7日間というロング開催となりました。仕切り壁で3部屋に分かれた200平方メートル近い展示室の使用料は、県内在住の個人の場合は減免の対象となり、わずか2万9千円ほどでした。

9時より搬入開始でしたが、3つのグループ展の搬入と重なっていたので、搬入ラッシュを避けようとあえて遅れて美術館に10時ごろ到着。ですが、現場はすでに多くの人の出入りでやや混乱した状況となっていました。
県美の普及課スタッフ数名は大変お忙しそうでしたが、担当の方を中心に、私ひとりだけの展示作業にも目配りされて親身かつ適切な指示と助言を頂いたので、特に問題なくスムーズに進み、午後3時にはほぼ終了しました。


★ 失敗した試みを先に記します ☆

今回、初の試みとして、A3サイズの15枚からなる連作を、「部屋は静か 世界はにぎやか」というタイトルで綴じられた「」にして薄暗い部屋に置き、、来場者自らがライトで照らしながら見てもらう、と方法を行いました(これを思いついたのは、寺山修司の演劇で、闇を演出した会場内でマッチを点けて照らしながらハプニングを味わう、という芝居のことを雑誌で読んでいたからです)。

ところが、綴じた器具の不具合が生じて、3日目には器具をはずして、ただの重ね置き状態でめくって見てもらうことになり、・・今後の再検討課題となりました。

その代わりに、展示会場を移動壁で3つに仕切れたので、薄暗い部屋に展示した作品には懐中電灯を下部から当てて浮き上がらせるような効果をねらったのですが、・・結果、思ったような演出効果は出せませんでした。


同じフロアで同時開催されたグループ展について

会場の3階では、3つの団体展が同時に行われました。中でも、画家の故野見山暁治氏が審査員を務める、「山本文房堂主催 第27回 サムホール公募展 」は朝から大変なにぎわいです。15時には野見山氏(2015年当時)の講評会も行われる予定です。

同じフロアで開催されている他の団体展は、以下の通りです。

N548展:
九州産業大学芸術学部教授で画家でもあられるS氏と志を同じくするOB中心の展覧会。さまざまな世代による具象から抽象そして現代美術まで刺激的な作品が多く、「何を描きたかったのだろう」と作品の前に立ち止まらせる力を感じました。略歴パネルを見ると、輝かしい受賞歴や海外出展歴もある方もいて、うらやましく思うとともに、普段はどんな生活をされているのだろうと想いました。

CGアート展:
九州造形短期大学の公開講座受講生による作品展。女性出品が多く、草花・小物などを取り込んだ華やかでグラフィックな作風が目立ちました。みなさんが楽しんで創作されている印象でした。


画家の故野見山暁治氏による公募作の講評会

地元の老舗画材屋である山本文房堂主催による「サムホール公募展」、出品者の平均年齢はおそらく60歳以上だと思われ、あらゆる傾向の作品が小さなサイズのキャンバスに見事に描かれており、その数は数百点。
15時からは審査員の野見山氏が登場しての「講評会」。90歳は超えておられる画家の的確でユーモアのある寸評に会場は時に大爆笑となり、私も人垣のうしろで興味深くそっと聞き耳を立てていました。

以下に、その野見山氏の、記憶をたぐり寄せてのコメント一部を紹介します:

「これは背後の赤色が強すぎて描きたいものと対立してしまっている。」

「何を描いたのかわからんけど、不思議な感じのするところがいい。」

「画面全体に力が入りすぎ、どこか力を抜くところがあったほうがよい」

「この三本線の意味は? 必要な線なのかもう一度考えたほうがよい」

余談1:日本画壇には「先生」と呼ばれる人がいる
概して私たち日本人は、まるで伝統工芸の師弟関係のように、写真や絵画でも、「先生」の指導を受けながら「学ぶ」ことにとてもまじめで熱心であり、そのこと自体はとても素晴らしいことだと思います。ただ、「先生、先生」と過度に気配りと敬意を表しては、団体展での賞取りに一生懸命になる必要もないのでは、と個人的には思っています。


以下に、会場内で立ち話をした方々のうち、何人かを期日順に紹介します

* 来場者と話した内容は、忘れないように空き時間等にできるだけメモを取っていました。

10月6日(火)初日

石仏の男性 ~ 自戒の門

初日のお昼頃、会場を見終わられたひとりの男性と立ち話となりました。山奥の石窟に彫られた石仏を撮った力強い写真を見せていただき、内面的なものをどう写真に表すかを常に考えていると言われました。

128GBの異才!

石仏の男性と話しているところに、ある男性が、「お話し中すいません、ちょっとだけお聞きしていいですか?」と言われ、「この作品に使われている画像のレイヤーマスクの透明度はどう調整しているのですか?」という質問でした。写真技術やパソコンに詳しい方で、公募展の受賞歴や個展歴もあり、写真画像を使ったコラージュも制作しており、一枚の画面に数百枚の画像を取り込むので容量が128GBほどになると言われ、あまりの凄さに驚くとともに、この方は「異才」だと直感しました。

それから、3人で1時間ほどいろんな話題で盛り上がりました。この二人の男性に共通したことは、写真画像はLAWで撮るべき、賞ねらいだけの作品を作っても虚しい、自分のやりたい作風を貫くべき、・・以上のようなことだったと思い返します。


アート書道の女性との対話

大きな写真パネルをかかえた女性と少し話しました。そのパネルは、先週まで開催されていた県美展出品の友人の作品を代理で引き取りに来たとのことでした。

女性:
この絵を見て、鳥肌が立ちました。五感を超えた何かを感じます。同じようなことを感じる人もいるでしょう。

次が、その絵「地深くに目覚め、空高くにもどろむ」:

created by Rilusky E   2015

私:
そう感じてくれる人が1日に1人ぐらいはいるかもしれませんが、ピンとこないのかすぐ出てゆく人もいますよ。
女性:
この絵のバランスは絶妙ですね。実は私、アート書道をしているからでしょうか、ここの白が墨汁のように見えるのでしょうね。作品は写真を使った作り物とわかっていても、決してメカニックではなく、人間的な情感を感じます。
私:
そう感じられるのは、ご自身も創作活動をなされているからでしょう。
女性:
作品のタイトルがいいですね。自分で考えられているのですか?
私:
画像イメージと言葉との結びつきはかなり重要視しています。無題ということはありえません。


美術館での個展もすでに何回か行われているとのこと、次回の個展時にはぜひ拝見したいと申し上げてお別れとなりました。

* 1日目の来場者数43名でした


10月7日(水)2日目

昨日の「お隣のにぎわい」はすっかり消えて、本来の美術館らしい「静かさ」となり、当然、客足も少なくなりました。

美術系短期大学教授そしてデジタルアーティスト

教授:
一言でいえば、‘シャレてる’。いやぁ、こういうのは今まで見たことがなかったな、感銘を受けたよ。
私:
ありがとうございます。フォトショップはCS2レベルで、専門分野の方から見るとお話にならないぐらい、初歩的機能しか使っていません。
教授:そういうことは関係ないよ。アートのみ追求してるからいいのだよ。

励みになる言葉をかけてくださって、とても感激いたしました。

* 2日目の来場者数51名でした

広報用ポスター原画1


10月8日(木)3日目

現代美術家S氏に単刀直入に質問する

明らかに雰囲気の違う男性が入場されました。隣の会場で開催されているグループ展の中心人物、美術系大学教授で現代美術家でもあるS氏でした。

退場後もまだ同じフロアに居られたので、思い切って声をおかけしました。今回の展示会でも、ご自身の「抽象画」を出品されていたので、いろいろとお聞きできればと思ったのでした。

以下は、画家ご本人の言葉そのものではなく、あとで私の記憶を頼りに思い起こしたおおまかな内容です:

私:抽象画をなぜ描くようになられたのですか?
現代美術家S氏:
若いころは具象画を描いていましたが、どんどん無駄なもの、規制のものをそぎ落として抽象化に進んでいったのです。
私:
抽象画は見る人が自由に感じていいのでしょうか、やはり、作家の描きたかったことを見る人にわかってもらったほうがよいのではないでしょうか?
現代美術家S氏:
んんっ、それもあるだろうけど、それだけで描いているわけではないのです。
私:
抽象画には時おり「無題」というのがありますが、作品題名をどう思われますか?
現代美術家S氏:
最小限の何かを付けます。作家によっては、やることはやって完成した作品はもう突き放してしまうようなところがあります。
私:どのように制作が進んでゆくのですか?
現代美術家S氏:
日常生活の中のさまざまなイメージが頭の中にあり、また、光、風、空気のような自然現象も感じています。そういうものが、こういうふうに描きたいという方向へ結びついて、どんどん抽象化されてゆくのです。あなたの絵も、具体的な物が変形して抽象化されていっているよね。
私:
私の場合、たとえば、「宇宙の飛翔」を描きたいと思ったら、そのイメージをうまく作品化できた段階で完成、見る人も同じイメージを感じてくれたら達成感を得られますが、抽象画に達成感や作品完成のゴールはあるのですか?
現代美術家S氏:
具体的には、次の展覧会までに仕上げてゴールとなりますが、何年も発表せずにためこんでいる作家もいます。ゴールなき一生の問題かもしれませんね。
私:厳しい世界ですね。
現代美術家S氏:
自分の大学時代の恩師が言っていたんだけどね、ここにリンゴが一個ある、その外形をなぞるだけでなく、その中心にある核をつかみ、その存在感を描け、と言われ、そのことが、私が抽象画を描く原点になっているのです。


まだほかに深く心にとどめるべき語りを聞かせていただいたのですが、それを理路整然とした文章にするのは難しいので、ここまでにしておきます。
貴重な時間を割いて実に丁寧にわかりやすくご教授していただいたS氏の温厚な人柄に深く感謝いたします。


「私の作品を見て下さい」~ 搬出に来た女性

いよいよ17時過ぎとなり、もう来場者は来ないだろうと思っていたら、回収した出品作の入った大きな袋を抱えた女性が来場されました。見終わられたあと、受付で少し話をしていると、「私の作品を見てください。」と言われたので、ぜひ見せて下さい、と言いました。
2点のうち1点が入選とのことで、山桜の落ち着いた雰囲気の作品でした。あとの1点はだめだったということですが、見せていただくと、人物の背後に大きく建物が写っていて派手な色合いの面白い作品でした。どちらかを次回の市美展にだそうかと思うのですけど、どちらがいいでしょう、
と聞かれました。私は建物のほうが好みだと言いました。
ただ、プロの業者のレタッチによる強いコントラスト処理がなされているようで、ご本人はちょっと派手すぎたのかなと気にかけておられました。
結局は、審査員の先生がどう判断するかなので、建物の方を出されたいのなら、少しコントラストを抑えた処理の試し刷りを小さいサイズでされてみて比較されたらどうですかと、勝手なアドバイスをしてしまいました。

私はこの女性の気持ちに、他人事でなく、自分のこととしても共感するのです。時にはつらいことですが、他人による何らかの「評価」は、避けてはならない「創作の過程」だと思います。


グループ展の女性画家お二人

隣のグループ展の受付は、私の位置から10mほどの位置なので、話し声はそのまま聞こえてきます。このグループの中心人物の画家S氏とは先ほどお話しする機会があり、その時にもそばにおられた二人の女性に、美術館閉館直前に、「どの作品を出品されているのか教えて下さい」と、聞いてみました。というのも、お二人とも画家であり、出品されているはずだと思ったからです。

こちらの質問に答えて下さったことを中心に1人称でまとめてみました。ただし、実際の会話内容そのままではなく、あくまで私の記憶と主観でまとめた要点メモです。

具象画の画家Oさん

私は具象画なんです。かなり大きいサイズのように思われるようですが、もっと大きいサイズの作家もいますよ。自分の家に置くことはできますが、飾りはしていません。タイトルは、マルタ島の光のことです。温かく柔らかい光を全体に描きました。実際に取材もしてきました。ほんとに好きなところです。私は人物画を中心に描いてきました。人間が好きなのです。真ん中に大きく描かれている西洋人の母とふたりの娘、母親は横を向いていますが、正面を向いた顔を描いたらおかしくありませんか。

具象でも抽象でもない絵を描く画家Nさん

今回はあの2点を出品しています。グレーを基調に淡い色合いですが、アクリル絵の具を使っています。私の場合、構想とかしないで何もないところから少しずつ画面に描き始めるのです。左の作品に描かれた樹木は制作途中でふと入れてみたくなったのですが、具体物はいれないようにした作品を普段は描いています。具体物を入れると、そのイメージに縛られて見る人が自由に感じられなくなるのをさけたいのです。私の絵を見て、いろいろなことを自由気ままに感じてもらうことを望んでいます。描くとき自分自身のイメージもありますが、実際に在るもの、規制の形にとらわれてしまわないようにしています。今、ここの部分が小鳥に見える、全体がゆっくりと下降している感じがすると言われましたが、そのように自由に感じてもらうことで私はうれしいのです。


お二人の作家は全く対照的な作風なのですが、見る人に何を感じ取ってほしいのか、その最も大事な部分には共通性があると思いました。
こうして、実際にそれを描いた画家に直接いろいろ質問しながらお話をうががうことは、誰かの解説やらを聞いたり読んだりすることより、はるかに実りと喜びの多い出会いであると私は思います。

  • 3日目の来場者数は30名でした


10月9日(金)4日目

ある方のコメントに、「最初と次の作品が連作のようでとても心惹かれました。明るい色使いは少ないのに見終わると暗い印象より新たな気づきをもらったようで、哲学的な感じがしました。」とありました。

その作品が、入場して最初に目に入る新作「あなたはやって来た」

created by Rilusky E  2015


10月10日(土)5日目

乳母車と母親とマンダラセラピー

受付で不足分のポストカードの準備をしていると、「子連れで入ってもいいですか」とふいに声をかけられたので顔を上げると、乳母車を押しながらお母様が来られました。お子様の好奇心に満ちた笑顔に思わず手を振ってしまいました。ゆっくりと会場内を動いておられるようです。しばらくして、作品を照らすライトをつけ忘れていたことに気づき、点けに行きました。そこで少しお話ができました。
聞くところによると、最近、マンダラセラピーをしているとのこと。下絵のマンダラに色鉛筆で自分の好きな色をつけて完成させていくうちに「心の癒し」を感じるとのこと。そのうち、お子様が乳母車のおりたたみルーフで遊び始めたので、「お元気ですね」と言うと、「母親に似てものすごく食べるんですよ」と微笑まれ、その後もしばらく見ておられました。退場されたあとに、寄せ書き帳を見ると、こんな風に記してありました。

「貴方の造る絵に囲まれていると、私という意識体が時間、身体、空間を越えて存在しているような、そんな感覚に陥ります。」

これを読んで、「この感覚はまさに私が描きたいものだ」と思い、この方の感想に強い共鳴と感謝の気持ちが沸き起こったのでした。

子育て中のお母様方というのは、おそらく、「本来の自分の時間」というものを持ちにくいまま、とても忙しい日々を過ごされているのではと思われます。このお母様は一心にお子様に愛情を捧げつつ、自分自身というものを見つめなおす「時」も創ろうとなされているのではと、男性である私は勝手に想像したのでした。

写真工房のY氏が来訪

数年前より、パネル制作をお願いしている写真工房のY氏が見に来てくださいました。今回の3年ぶりの新作7点は60cmx100cmの大きさで、パネルにはせず、すだれのようにダラッと吊り下げる展示法を試していたので、そのあたりから率直な感想をお聞きすることができました。

以下は、氏の言葉そのままではなく、あくまで私の記憶と主観で要点をまとめたものです。

展示方法や公募展について:
せっかくだから、ちゃんとした掛け軸のような体裁にして、壁一面に広がるくらい、もっと大きく長く作ってみたらいいのではないでしょうか?ここ数年で、写真公募展は「合成写真」も受け入れるようになっている、最終的に「絵」としての仕上がりを見るようになってきているから、挑戦されたらどうでしょうか・・・県展の写真部門では規定に合わなくてもデザイン部門だったらどうでしょうかね?

日々のお仕事について:
(先週終了した)県美展ではここ1か月半ほど忙しかったです。もともとはパネル作成が中心だったのですが、ここ数年、レタッチの仕事依頼がとても多くなり、1日8時間以上もレタッチし続けることもあります。おかげで視力もずいぶん悪くなったようです・・・。

将来の写真公募展の在り方は?
帰り際に、フォトショップについてちょっと話しました。私はまだCS2を使っていますが、氏はネット配信のCCをご利用とのこと。機能面では当然ながらかなり進歩しているようです。現在は、レタッチのソフトを使いこなせない層のお客様からの仕事依頼が多いわけですが、今の若い世代は当たり前のように使いこなせるでしょうから、将来は、仕事内容も変わるし、写真公募展そのものも変質していくのではと、という意見をお互いに交わしました。

まだほかにもいろいろとお話させていただき、今後の指針となるような、貴重な助言と率直な感想も聞くことができ、私としてはとても意義深い時間を過ごさせていただきました。

*来場者数は36名でした


10月1日(日)6日目


不愛想な私、心やさしい来場者

寄せ書き帳に記してあったコメントを画像で紹介させていただきます

このような、作家の励みになるような有難いお言葉にはひたすら感謝する次第です。この方たちの入退場時の際に私が取った態度といえば、ほぼ不愛想と言うべき軽い会釈をするだけの横着さであったと思います。そう思った時、このようなコメントをわざわざ書いてくださるのは、その方の「人柄」であり「相手への思いやりあふれる優しさ」故だったのだと、深く感じ入るのです。ありがとうございました。

補足2:寄せ書き帳について
昔、ある美術館で、銅版画家の個展会場の入り口付近の台にスケッチブックが置かれていて、のぞくと、来場者がコメントを書いていました。私は読んで面白いと思ったので、自分の個展会場でも「何か感想などお書きくだされたら有難いです・・」と記して、B5サイズの雑記帳を置くことにしました。


午後4時半過ぎ、さすがに6日目となると、疲労感が強くなってきます。早く終わりたいな、というのが心の声です・・・。


作品を創るとき、ロジックはどうされているのですか?

体格の良い男性が、入るかどうか迷いを示されながらも入場され、けっこう長い時間が経過しました。退場後に受付に来られ、上記のようなことを聞かれました。その後、約1時間近く、この方とお話しすることとなりました。最新ハイレゾを含め、オーディオ、パソコン、プリンター等の電気機器に関する専門知識が豊富で、デジタル・アナログ映像にも関心をお持ちの方なので内容は多岐にわたりました。ここでは、思い起こしながら記憶にある「質問」の要点だけをまとめさせていただきます。

男性のご質問1:
作品制作のためのさまざまな素材やイメージはたくさんあるのですが、それをどう集約して創り上げていくのかで足踏み状態になりがちです。どうやって創り始めているのですか?

私の答え:
私の場合は、一番始めにまず「ことば」があります。それは何か詩の一篇であったり、哲学的な観念であったりします、たとえば、「魂の平安」などのように。次に、そのことばや観念をどう視覚化するか考えます。そこで、脳の中に蓄積されたさまざまなイメージ素材をひっぱり出してきて、「魂の平安」に見合った画面構成を考えてゆくのです。

男性のご質問2:
もともと仕事の関係上、デジタルやアナログの印刷出力機器には詳しいほうですが、あなたの作品に「色の深みや奥行感」が出ているのが信じられません。これは一体どうやったのですか、やはり、プリンターが高性能なのですか?

私の答え:
プリンターのことでいえば、たとえば、数年前のEPSONの普及用上級機種PX5600を使ってA3ノビで出力しても、このような「曖昧な霧状の藍色の深み」は出ます。ある程度は上級機種での出力印刷は絶対に必要でしょう。ですが、私が思うに、この「深み」が出ている最大の理由は、使用しているインクジェット紙の特徴だと思います。この紙、国内生産であるピクトラン社の「バライタ」は、一般的な光沢写真用紙やマット紙、あるいは画材系アート紙と違って、表面の風合いや手触りそして厚みが全く違います。各社の
インクジェット紙10種類以上で同じ絵柄の試し刷りをして、最終的に一番気に入ったのが、この「ピクトラン・バライタ紙」だったのです。


映画を歌詞にする、詩を絵にする

この方の質問をお受けすることで、逆に自分の創作過程の特徴を確認することができました。私は、本当に「言葉の人間」なのです。この方がずばり言われたように、歌謡曲の作詞で有名だった阿久悠さんは、「映画の雰囲気を歌詞で表そうとした」人であったなら、私は「詩が表すことを絵にしようとする」者なのです。
ほかにも、専門知識の乏しい私にとっては、「目から鱗が落ちる」お話をお聞きすることができ、興味深く有意義な時間を共有させていただきました。

*来場者数は59名でした


10月12日(日)最終日


今日は朝から雨模様です。

マスクの男性

「あなたの作品、額縁してないからすっきりしていいよ、作品だけで見せてるからね。だいたい、額縁とか要らないよね、なんか狭くなるでしょ、
拡がりなくなるもんね。」

好みの問題もあるでしょうが、100年以上前の名画なら額縁があったほうがいいのではと、・・とお応えしました。


「温かいものを感じた」~ 横浜から来た男性

退場時に声をかけてくださいました。「あなたの写真を見ていると温かいものを感じました。自分でも写真は撮るんですけど、ただ撮っただけなのはどこか冷たく感じるんですよね・・。」
そう言われたので、自分の絵は深い藍色や漆黒のような色調が多いので「暗い」と言われることはあっても、「温かい」と言われたのは初めてでした、と返答しました。

その方の記されていたコメント:

「素晴らしい写真でした。現実を撮っているのに暖かく愛しい雰囲気がとてもいいですね。心をあたためてくれる作品群でした。特に、<世界でない・・・>は一番インパクトを受けました。」

次が、その作品「世界でない世界が この地上にあり続けている」

created by Rilusky E  2015



お隣のグループ展の入場者数は750人ほどになっていると、受付の声が聞こえてきました。こちらは、300人まであと一歩・・・グループ展の動員力に助けられています、ついでにこちらの会場にも入ってくださる方が多いので。
5時半過ぎには、他のグループ展に搬出準備の人が多く集まってきて、賑わい始めています。私も少しづつ退出準備を始め、1時間近くかかって資材をすべて自家用車に積め込みました。
隣のグループ展で言葉を交わす機会のあった方にはお礼の言葉を申し上げることができました。美術館のスタッフの方々にもお世話になりました。

7日間の個展はこの私にとっては次のステップにもつながる重要な機会となりました。
午後6時半、すっかり暗くなった美術館をあとに、祝日で車の少ない道路を走って帰りました。車内で流す音楽は・・・特に何も聞かなくても、快い疲れと走行音に身を任せました。

最後に

どなたがお書きになったかわからないのですが、次のような一言にも、「個展をやってよかった」としみじみと思うのでした・・


個展での使用情報

使用料および会場:

仕切り壁で3部屋に分かれた200平方メートル近い展示室の使用料は、県内在住の個人の場合は減免の対象となり、わずか2万9千円という安さでした。  +++
展示方法: いろんなやり方ができ、私の作品はフレームなしの軽さなので、ピン止めめするだけでした。

独立可動壁:仕切り壁で3部屋にすでに分かれていたものをそのまま使いました。 +++

広報活動:会期前の白黒チラシへの掲載があり。

宣伝用掲示:チラシ・ポスター等を2箇所に貼ることができました。

入場者数:246名

感 想

昭和の名残り濃厚な市立美術館や、モダンを装う華やかなアジア美術館と比べると、人影の少なく生気もあまり感じられない公園内にある県立はとても地味で古く淋しい印象でした。公園中央の噴水だけが思い出したかのように水を一瞬、吹き上げたかと思うとすぐ止んでしまい、また淋しい静寂が拡がってゆく・・・そんな感じなのです。しかし、一歩内部に利用者として入れば、そこには人間の息遣いと活気が感じられ、スタッフの方々の日々の努力と工夫もうかがえて、好印象を抱くこととなりました。

来場者の多くは、となりの3つのグループ展の流れによるものです。

この美術館は、昭和生まれである私には一番なじめてどこか懐かしさも感じる雰囲気ですので、またぜひ利用したいと思っています。

あと、特筆すべきことは、地元の久留米市が生んだ画家・髙島 野十郎を、その死後に発掘したのは、県立美術館の学芸員であったというエピソードは、学芸員という仕事の最も望ましい姿の手本とすべきではないかと思われます。

総合評:A


広報用ポスター原画2