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ついていけない!|私の情報処理遍歴

この何十年かで、ものすごいスピードで進化し続けているデジタル化

ついていけてるか?
いや、ついていけていません。

情報処理の勉強をしたことがある。
これからはコンピュータの時代よ!と、よくわかってもいないのに進学した。

今この言語を使うことがあるのか?
習ったプログラミング言語は
FORTRANフォートラン言語、COBOLコボル言語

私が何歳であろうと、派遣登録しておけばCOBOL言語の仕事のメールがたくさん送られてくるから、全くゼロではない。今はCOBOL言語を使える人材が減っているのだろう。

FORTRANの勉強から始めてすごく楽しくて、プログラマーになりたいなんて思っていた私は、次のCOBOLでつまずくことになる。

「先生COBOLわかんないよ。FORTRANは楽しかったのに」

「お前たちは会社の事務のプログラミングをやることになるだろから、COBOLを覚えないとな!FORTRANは機械の言語だから」

「え~!なんでCOBOLから始めてくれなかったの~FORTRANいらなかったじゃん!!」

なんて泣いても遅い。

学校には億単位の大型コンピュータ…
ごめんよ  NEC ACOSエーコス
私は使いこなせなかった。

FORTRANで満点だった成績は、COBOLになってから赤点をとりまくり、情報処理担当でもある担任教諭に呼び出される。

「どこがわからない?」

「わからないところもわからないよ~」

そしてCOBOL言語とは無縁の社会人に

ある会社で債権債務事務をやっていたとき、プログラムをやらないかと、情報処理部門からお声をかけてもらった。その部長は私の履歴書を見てくれたのだろう。債権債務のプログラムを担当してほしいという。

正直にCOBOLの落ちこぼれだったことを伝え、一から教えていただけるのなら…と、私はプログラマーとなった。二年間ちんぷんかんぷんだったCOBOLは、教育係の先輩の教え方が素晴らしく、なんと二週間で二年分を理解することができた。

そこで三年間プログラマーをやり、その後、転職した。ざっくり言うと寝ても覚めても頭の中はプログラムで悩み疲れてしまった。そしてセンスがなかった。それに尽きる。

パソコンはどんどん進化し、私が社会人になったときの馬鹿デカい8インチフロッピーディスクなど、今では笑ってしまうサイズだ。しかしアレがなければ今のハードディスクだって生まれてないだろうし、ものすごいことだったのだ。

職場で率先してOA化をすすめていた上司にBASICプログラムを教えてもらったこともある。私の手作業業務をプログラム化することになった。でもCOBOL落ちこぼれの私は、それもよくわからなくて、結局は上司がほとんど作ってくれたのだけど…

そういえば、MS-DOSも忘れた。
よく使って仕事していたのに。

何十年もプログラムから離れ、もうソースプログラムも読めない。

私はちょっとWindowsが使えるだけのオバさんになった。

それでも情報処理系は少しやってみたくて、『初めて作るホームページ(HTML)』教室に通ってみたり、数年前には『Androidアプリをつくる(JavaScript)』なんてのにも通ったことがある。

Androidアプリ3回コースでは『電卓』を作ったのだが、すごく難しかった。読み解く時間もなく、手元の紙マニュアルのソースそのままをとにかく入力した。定員20名は2回目には半数以下の人数に減っていた。

それに通ったからといって、Androidアプリを作れるわけじゃない。でもなんか知りたい。

スマホのことも、今流行りのAIのことも。

だからこれからもちょこちょこ摘んでいくつもりです。

WordPressでサイトも作りたいし…
なんだかどれも半端ですが、何年後になろうと、ぼちぼちやっていきます。

私のついていけてないデジタル化への思いでした。なんのこっちゃ?!と思われた方も多いと思います。

長めの独り言とお許しください。

ここまで読んでくださった皆様に感謝いたします。

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