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2017年11月1日 ヒトワークス株式会社設立

このnoteは、社内の全メンバー(社員・アルバイト・業務委託等の雇用契約に関係なく)へ伝えているメッセージです。

このメッセージを週末に送り、週明けの全体MTGで話をしています。

備忘録的な意味合いはありますが、同じような経営者、リーダーのみなさん、これからそういった役割を目指すみなさんに少しでもお役に立てたら嬉しく思います。
※本文に出てくる「マリサ」は、弊社社名の略称です。

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本文は以下より。

2017年11月1日、ヒトワークス株式会社を設立しました。

続いていれば、丸7年。

2021年にマンションリサーチに吸収合併したので倒産したわけではないものの、社内起業第一号は中途半端に終わりました。

その後にミカタ株式会社、株式会社UNLESSが設立され、思い思いの形になっていることはちょっとだけ先輩として勝手ながら誇らしく思います。

ちなみに、2018年にエンジニアのTさん(Tちゃん)と出会い、業務委託ではありましたがヒトワークスのCTO(実際はそんな待遇ではなかったけど)として、イイタンコンシェルジュやTHANKSTOCKのサービス立ち上げに従事してくれていました。加えて現在Your FirstチームのHさんもマリサからヒトワークスに転籍しサービスの拡大に貢献してくれています。この二人がヒトワークスのサービスの開発や改善に密に関わっていたこともあり、二人で飲みに行くことも多く、飲み会でのHさんの態度(豹変する?)や飲んだ次の日にTさんと音信不通になる事件(というかルーティンだったね)については、これ以上私からは伝えませんので、ぜひ直接聞いてみてください。

一番びっくりしたのは、サービスのお問い合わせをいただきご訪問した不動産会社さんの担当の方が「こんなサービスを待っていた。ぜひ一緒にサービスを盛り上げたい!」と、入社の意思表示をしてくれたこと。嬉しいのは嬉しかったものの、正直そんな余裕もなく、居酒屋で食事をしている時に、会社がまだどれだけ小さいかをすべての数字を開示して説明するも「こんな正直に見せてくれてありがとうございます!なおさら、私が盛り上げます!!!」と逆に気合いが入ってしまってそのまま入社に至ったこと。

結果的に彼はヒトワークスの吸収合併後に転職し、現在は自分で不動産会社を経営しています。

ドラマみたいな本当の話です。

我ながら、今も昔も人には恵まれているなと感じます。

そんなヒトワークスですが、時折、冗談交じりに頂くのが「5年早かったな」という言葉。

その後に不動産エージェント系のサービスが出現し、なんとなく時代はそっちに向かっているような気もしていますが、私がヒトワークスをぶち上げきれなかったのは早かったからではなく単なる実力不足です。

マリサが大変だった時期というのはあるものの、子会社を軌道に乗せることができなかった私がマンションリサーチという会社を率いるのはどうなのかと葛藤したのは言うまでもないのですが、みんなのおかげでなんとかかんとかここまでくることができました。

当時、私の人生の中心にあった「イイタン」というサービスですが、7年が経過した今、会社は変わってもこのイイタンに心血を注いでくれるメンバーがいることはとても感慨深いです。

誤解してほしくないのは、これらは私が指示したわけではなく、YFチームのYさんが自分の意思で突き動かしているものです。

実は、担当者にフォーカスしたサービスはYさんが推進してくれている「イイタン(お悩み相談室)」だけでなく、12期の頃にはTさんとHさんがブランディング(撮影や取材)を軸にサービスの展開を模索してくれていました。
※結果的には、社内で不動産データクラウドとロボ査定の事業を引き継ぐことになりブランディングの事業は見送ることになります。

私はどちらかというとヒトワークスを吸収合併したとはいえ、マンションリサーチという会社の中で「イイタン」のような思想は打ち消したかったのが本音です。

2017年からの3年以上、魂を込めて育ててきたサービスではありますが楽しさも苦しさもたくさんありました。

今回は、みんなが劇的に変化しようとしている今だからこそ、私がヒトワークス時代に感じた反省を改めてお伝えできればと思っています。

新しいことにチャレンジをすると、必ず壁にぶつかります。

その壁こそが、本人やチーム、会社を成長させる源泉になるはずなので、ぜひもっともっと壁にぶち当たってください。

では、ここからヒトワークスの振り返りです。

まず、売上。

3期終わりで3000万円にやっと乗った感じです。元々は3期で5千万円を目指していたので、ほど遠い結果になりました。

(単位:千円)

3期の売上実績

売上を四半期別に見てみると、3期になって多少安定してきたのがわかるかと思います。これは、月額のサービスが増えてきたことによってブレなくなってきているからです。3年で5千万円という売上の目標を達することはできなかったですが、狙い通りに売上を積み重ねることができたのは経験としては大きかったです。

四半期別の売上

ここからは、ヒトワークスの吸収合併が決まり、真剣に走った3年を振り返った時の気持ちを綴ったものから抜粋したものになります。

切実な思いを残しているのでネガティブに捉える人もいるかもしれませんが、成功から学ぶことよりも失敗から学ぶことの方が多いはずなので、ぜひ自分ごととして読んでもらえたら嬉しく思います。

結局、なにが悪かったのか

「売れるもの」よりも「売りたいもの」を優先した
正直、それで、良いと思っていました。ヒトワークスを立ち上げた時、会社として生き残ることよりも、自分が実現したい世界に進むことこそが「正」だと考えていたと思います。生き延びるためを優先したら、きっと、もっと違う道を進んでいたかもしれません。でも、チャレンジすることこそが「正」。ヒト(担当者)を軸に世の中を変えるようなことをするのが「正」だと。なので、売れなくても、言い続ける自分に酔っていたのかもしれません。

中途半端に売れたことで、後に引けなくなった
※撮影・取材のブランディングコンテンツ

売れました。中途半端に。それも、値下げをして。平均の単価は、10万円。(ライター費用2万円・カメラマン2万円・印刷2万円)手に残るのは、おおよそ40%。ただし、人件費や営業宣伝費を考えると・・・「今は、利益じゃない、拡散フェーズだ。」なぜ、この単価でしか通らないのか、どうしたら、30万円取れるのか。どうしたら、利益率を高められるのか。ここをもっと考えるべきだったのだと思います。

実現したいことが壮大過ぎて、夢ばかり見過ぎた
世の中に求められていないことを、作ろうとしていました。「弁護士ドットコム」の世界を作れると思っていました。課題が山積する中、プラットフォームを先に作ったことで、身動きが取れなくなりました。担当者とユーザーを直接繋ぐ方法はもっと他にあったのではないか。ここを深掘りするべきでした。でも、壮大なものを追いかけることが「正」だと思っていました。

止まって冷静に考えることができなかった
時間が経過すればするほど、止まることができなくなりました。「商品は揃っている。あとは、行動だけだ。」そう思っていたのだと思います。中途半端に売れる商品、中途半端なプラットフォーム、ここにメスを入れる勇気がなかった。色々と見直すことはトライしたつもりでしたが、根本的に何かを変える。というよりは、今あるものをどうにかしよう。という思いの方が強かったのかもしれません。

イイタンは、もう売れないで欲しいと思っていた
※撮影・取材のブランディングコンテンツ

理由は、明確です。効果を誰も実感できない商品だったから。獲得できても、手間ばかりかかる商品だったから。制作が終わった後に、クレームや不満が起こりやすい商品だったから。具体的には、記事の内容、印刷の出来上がり、効果の検証ができない、作った人が使わないなど。途中から、イイタンはなぜ「取材コンテンツ」なのかを自問自答したことはありました。でも、それを根本的に変えるまでの行動が起こせませんでした。

人の話に耳を傾けない自分がいた
例えば、経営会議の場。いかに突っ込まれないように、いかに未来を見せるように。そればかりを考えていて、助けて欲しい。アイデアが欲しい。それが言えなかった。自分の弱さだと思います。

当時の心境を振り返る

資金調達に関して明確にするべきだった
脱サラなのであれば、資金調達の全責任は経営者になりますが、マリサグループである以上、何かあれば、マリサに迷惑がかかるという状態。ここは、悩みました。デッドラインも決めてなかったため、赤字は膨らみ、それでも想いはある。資金が減っていく中で、何をどうしたら良いのか。最終的に、二期目のタイミングで、個人とマリサで合わせて増資をしてもらいましたが、先にある程度のことは決めておけば良かったと思います。

デッドラインを決めるべきだった
脱サラではなく、グループ内の起業であるならば、ある程度、デッドラインは決めるべきだったと思います。売上のライン、利益のライン、どこまでに未達なら、会社を閉じずとも、完全子会社にするなどの数字の明確なラインを。会社(マリサ)としては、完全独立を認めず、自分自身としては、完全独立を目指していたからかもしれません。

月額型のサービスにするべきだった
これは、THANKSTOCKを展開して初めて気が付きました。イイタンは、案件として決まると売上は大きくなるものの、外注費やハンドリングする時間などを考えると、利益率は低くなる。それでも、拡げること、売上高を作ることにばかり目を向けていたのかもしれません。少ない金額でも良いから、しっかりと積み上げて、リソースのそこまでかからない商品設計を考えるべきでした。そう考えると、「取材コンテンツ」を10万円台で行うのは最悪の選択だったかもしれません。制作のクオリティは落としたくない、でも、売れるのは安い金額。そこが最大の悩みでした。

ミニマムに展開するべきだった
※弁護士ドットコムのような質問・回答プラットフォーム

イイタンコンシェルジュの件です。プラットフォーム化したものの、全てが中途半端でした。集客も担当者のラインナップもコンテンツも。今考えれば、不動産×担当者ではなく、離婚×不動産×担当者というように、細分化されたコンテンツにするべきだったと思います。いきなり、弁護士ドットコムのような世界へ足を踏み入れて、ニッチもサッチもいかなくなったと感じています。

全国展開を中止するべきだった
どうにかスケールしようと、どのエリアの反響でも、対応していました。いざ、詳しい商談となれば、出張に行き、近隣の不動産会社への営業や宣伝は継続していましたが、効率よく獲得ができず。クレームがあれば飛んで行き。効率が悪過ぎることをしていたと思います。

結局のところ、不動産業界に、「ヒト軸」は受け入れられたのか。

答えは、YES

ヒト軸の世界には確実に近づいているが、今のサービスではない。

ヒトワークスは、「ヒト」に寄りすぎて、経営者や会社のことを考えていなかったかもしれません。

サービスが中途半端に売れた時に、「人件費」「外注費」「利益率」を明確にして、次にどのような対策をするのかを、明確にするべき。

むしろ、そこも考えて商品設計を最初から考える。

「あったらいいな」を「ないと困る」サービスに発展させることができるか。

あったらいいけど、なくてもいいサービスとなってしまっているものは、再考の余地あり。

というか、続けるべきではない。

結局、すべてにおいて、計画性の甘さが今回の3年間を招いたと思っています。

サービスが流行ることばかりを描いて、それ以外のことはおざなりに。

「稼ぐ商品(利益を生み出す)」と「投資する商品」をもっと明確に分けるべきだったと思います。

以上となります。

もちろん、ネガティブなことばかりではありませんが、決して両手を挙げて喜べる結果ではありませんでした。

でも、この経験をしたからこそ、今の自分がいるとも思っています。

これを読んでくれている人たち全員が起業したり、事業を立ち上げるわけではないと思いますが、マリサに関わってくれる以上はなんらかゼロ→イチ、イチ→ジュウを経験してほしいなと思っています。

ユニクロの柳井さんが1勝9敗と言うくらい勝率は低い。我々だったら1勝99敗かもしれない。

だから大事なのは、まずは打席に立つこと。

でも、うまくいかなかった原因をしっかり突き詰めないと意味はありません。

最初のうちは、チャレンジすることだけに集中してもいいですが、徐々に振り返りの解像度を上げてください。

そして、どこかで1勝をもぎ取る。

10回目で1勝できるかもしれないし、100回目かもしれない。

新しいチャレンジで負け続けても絶対に潰れない会社をつくるし、だからチャレンジし続けるみんなでいてほしいと思います。

今回は変則的な共有になりますが、改めまして11月もよろしくお願いします。

昨年の今頃伝えた内容はこちら


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