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ボタニカル哲学(135)美醜清濁を超える

美しいものがあると、その一方に必ず醜いものがあって、これが対になっている。もし自分から美しいと誇らなければ、誰からも醜いとは言われない。
清濁は必ず相対的で対をなしている。
もしも自分が清潔だけを好まなければ、誰からも汚されることはない。

つまり、何事も相対的であり、偏れば反動があり、中庸は平和をもたらす。

言い換えれば、活人は、清濁は合わせて飲んでしまえる人ということだ。

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