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運動音痴な息子が黒帯になった話 #10「黒帯になる」

子どもの頃ランドセルを置いては外を走り回っていた私とは正反対に、運動嫌いインドアな息子は保育園の時に私の意向でちょっと強引に極真空手を始めました。

前回は、ただ先生が好きで10年以上道場に通ったことで運動神経が無い息子も黒帯にチャレンジすることになったというところまで話しました。


黒帯を受けると決めてから、さすがにスイッチが入りましたが、入門から10年以上、、、マイペース過ぎる息子です。
凄い量の形をひたすら繰り返す日々、10人と組手をやりきる為に先輩の胸を借りる日々、、先生は絶対に受からせる!とそれまで以上に厳しくそれまで以上に愛情を持って稽古して下さいました。


審査当日
については、、正直私の方が緊張し過ぎて部分的にしか覚えていません(笑)
せっかく話題の俳優さんも審判をやられていたのに、それどころではありませんでした。
それとは対照的に相変わらずリラックスモードの息子、、

特に形!もう見守るしかないのですが、少し間があくと「え?忘れた?」「大丈夫?飛んじゃった?」なんて私の頭の中はガチャガチャ、冷汗だくだくでとても冷静には見てられませんでした。


今回黒帯を受けたのは幸い一人ではなく、三人でした。以前も書いたのですが、黒帯の形になると会場は静まりかえり300人ほどの視線が集中しますので、緊張しないほうがおかしい状況です。

私「やったことしか出ないからやるだけやるってきな!ダメならまた受ければいいから!」

息子「まだ落ちてないよ」

緊張していた私は、お世辞にも「大丈夫だよ」と口にすることもできず、息子の緊張を和らげるつもりで発する言葉も空回りしていました。先生は本部席の最前列から見守ってくださっていました。

息子の形を見ながら、これまでの10年を思い出し私は一人しんみりしたり、ソワソワしたりの繰り返しでした。私がやらせようと思わなければ息子は絶対に選ばなかったであろう極真空手ですが、継続してきたことによって身体で覚えているようでした。息子はなんとか全ての形をやりきりました。


続いて十人組手です。
一人終わる度に「あと9人」「あと8人」、、と心の中でカウントダウンでした。先生も同じ気持ちだったと思います。

小学校の4年頃から送迎しなくなり、息子は一人で道場に通うようになりました。私が仕事帰りに覗くことも本気で嫌がっていたので息子の組手を見れるのはこういう時だけでした。初めての試合では瞬殺の赤っ恥でしたが、他の子とたちと互角に闘い続ける姿を見て10年の重みを感じていました。
組手もなんとか最後までやりきりました。


何度ダメだったとしても、きっと先生とならいつかやり遂げられる。それも息子にとって絶対にいい経験になると思ったので、結果はわからなくても私は大満足でした。

人生長く生きててもこんな出会いは誰もができることではないと思います。
現に、私は子どもの頃10年以上剣道をやっていましたが、今振り返って会いたい先生は思いつきません。恐らく息子よりはセンスも運動神経もあって、試合の度に入賞していました。通った道場にいた先生方に武道は習いましたがそれ以上の記憶はありません。
なので息子が羨ましいです。

きっと先生と息子の関係はこれからも続いていき、何があってもこれからも先生と乗り越えていけると思いました。


正直、私は今回合格するのは難しいと思っていました。
でも結果はタイトルの通り息子は黒帯になりしました。息子が黒帯なんて!信じられません。私は嬉しいと言えば嬉しかったのですが、息子はすぐ調子に乗るのでそこが心配でした。
同じ道場の先輩も後輩もその家族も皆が喜んでくれました。
でもやっぱり誰よりも喜んでくれたのは先生でした。本当に嬉しそうで、いつも厳しい先生の顔が溶けてしまうんじゃないかというくらい柔らかい表情になっていたのを忘れません。
「あいつはやる時はやる男なんだよ。」

先生は、立派な額縁を用意して黒帯の賞状を入れて息子にプレゼントして下さいました。その日以来、息子はその賞状をずっと部屋に飾っています。


黒帯になれたので本来なら話はここまででしたが、まだ続きがあります。
長くなってしまったので続きはまた


つづく

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