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運動音痴な息子が黒帯になった話 #9「黒帯受からせてやる」

子どもの頃ランドセルを置いては外を走り回っていた私とは正反対に、運動嫌いインドアな息子は保育園の時に私の意向でちょっと強引に極真空手を始めました。


前回は、息子が先生からロレックスをもらうことにつられて20歳まで極真を続けることにしたという話をしました。実際に中学では帰宅部になり、それまでと変わらず道場に通い続けました。


運動も外に出ることも大嫌いな息子ですが、大好きな先生に引き寄せられて道場に通う日々。最初は遊び半分だった空手も10年経つと様になっていました。
生まれ持ったセンスや運動神経によって伸びしろは違えど、継続は力なり。
私は審査や試合で息子のゆっくりめの上達を目の当たりにする度に胸が熱くなりました。

最初は、いつまで続けられるか?どこまでできるか?半信半疑でした。あの初めての進級審査で黒帯を受ける子たちの形や組手を見て衝撃を覚え、息子には無縁だと確信してしまった自分を反省しました。
私も息子も黒帯を意識したことはありませんでしたが、気付くと「次は黒帯」というところまできていました。

そこまで続けられたのは、息子が一生に一人出会えるかというくらいの素敵な先生に出会えたから。それに尽きます。

先生はいつも息子を厳しく叱ります。時には手も出します。

先生はいつも息子を褒めます。どんな小さな事でも良いところを見つけて褒めます。

先生はいつも息子を受け止めます。欠点も全て。

先生は全力で息子を信じます。誰が何て言おうと関係ありません。

そんな先生がある日
「黒帯受けろ。受からせてやるから。」 

息子「押忍!」

その日以来先生も息子もこれまで以上に稽古に力が入るようになりました。これまで自分には無縁と思っていた黒帯を意識し始め、さすがに息子も空手スイッチが入ったように感じました。(始めて10年以上で今更ですが、、、)

黒帯になると、自分で道場を開くことができるようになります。そのくらいのレベルなので中途半端にやっていては受かりません。
覚えなければならない形も一気に増えますが、覚えることが苦手な息子は何度やってもなかなか頭に入りません。それでも先生は諦めず何度も何度も繰り返し教えて下さいました。
皆が「まだ黒帯は無理じゃない?」と言っても、先生は気にしません。

しかし、とうとう先生息子の覚えの悪さに
「当日一人じゃなかったら、ゆっくりやって隣のヤツを見ればいいから。」
 
いやいや、、、それは、、、カンニングです!隣をあてにして黒帯受けるのが一人だったら悲惨な事に、、、
それでも、できるところまでやること、一生懸命になれることは息子にとってとてもいい経験になるので、挑戦できることだけでも私は嬉しく思っていました。
何に対しても無気力で、勝ち負けも気にしなかった息子が極真を通して変わっていく姿が見れたので、最初は強引にでしたが、極真をやらせて良かったと心から思いました。 

あの道場じゃなかったら、あの先生に出会えなかったら、ここまでにはならなかった。私との関わりだけでは息子をここまで導くことはできなかった。愛情を持って接してくれる人の大切さ、出会いによって及ばされる影響の大きさを痛感します。
通勤電車から線路沿いに見える古びたプレハブの道場、、
「通える範囲かな」というだけで何気なく見学に行き、一切先生の言うことを聞かず一度は入門を断られたのが昨日のことのように感じます。

雨の日も自転車で送迎、日数が増えたら転職して送迎、目の前の事だけに必死だった当時は想像しなかった未来がここにありました。
初めての昇級で賞状をもらった日
先生から「これは母ちゃんの頑張りへの賞状だ」と渡され、そんなこと思ったことは無かったけれどツーっと涙が出てきた事も鮮明に思い出します。


息子の黒帯へのチャレンジはどうなるんでしょうか。もうタイトルに結果書いちゃっていますが(笑)


長文最後まで読んでいただきありがとうございます。


つづく

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