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虐待を防止するために、私たちができることを考えてみた

見出し画像は、chiharuna3からお借りしました。
何にライトを当てたら、虐待を減らせるかな~という思いに虹がかかったように感じて、嬉しくなってきました^^

というわけで、今日はこちらの記事の続きを書いてみたいと思います。
虐待…なくなってほしい。その前に、減らすイメージをもって、私たちにできることを一緒に考えてみませんか?


今回の事件では、「コロナ禍のストレスで、思うような保育ができなくてイライラしていた」と加害者の一人が言っていたと知りました。
まずは、そのイライラは解消したの?と問いたい。

解消していないからくり返されたんだよね。
イライラ解消の手段として、暴力・暴言は間違っているんだよって知っていたのかな?

知っていたのに、暴力・暴言を振るったのなら、それは自分の行動に無自覚だったと言えるよね。

ここまでを、図にしてみました↓

どんな行動が虐待にあたるのかという知識

自分がどんな行動をとりがちなのか?という気づき・自覚・認知

両軸があれば、虐待は抑止・防止できる

ただし、認知にゆがみがあると抑止・防止力にはならない。
認知をゆがませるのは、自分自身の思考であり、感覚。

例えば、「これはしつけだ」「子どものために必要に違いない」といった思いこみや決めつけが考えられる。
更に、その思い込みや決めつけの陰には、「子どもが言う事を聞かないと、私の評価が下がる」「子どもは大人の言う事を聞くべき」という自分都合の価値観が存在していることが多いのではないだろうか?

一方で、世の中には「子どもの言い分を聞くべき」「子どもの権利を大切にしなければならない」といった心ある人も大勢いる。


認知がゆがんでしまう人と心ある人の違いは、どこからくるのだろう?


ここで、思い出したことがある。
アンガーマネジメント研修に登壇した時のこと。
フロアからの質問の中に気になる問を見つけた。

自分が怒った時のことを思い出せません。どうしてでしょうか?

当時、駆け出しだった私はイライラ探求も浅く、その問いには十分に答えられていなかった。

今なら分かることがある。

幼少期にひどく怒られたか、反対に関心をもたれなかったか。とにかく大人の不適切なかかわりで、傷ついたはずの自分がいるのに、大人になって怒る側になるなんて!

そんな自分を許せていないのではないか?
幼少期にひどく怒られた「こころの傷・ケガ」は、まだその方の中にあるのだと。だから、記憶にとどめておけないのではないだろうか。


こころにケガがある状態では、防衛感情としての怒りが過度に働きがちなので、事実を客観的にとらえることが難しい場合があります。
つまり、認知のゆがみや周囲とのズレが生じてしまうことが多いです。

この場合は、どんなによいテクニックを練習しても、そもそもの認知がゆがんでいるのだから、効果を実感することは少ないと言えます。本人の言葉を借りると「変わらない」「一時期よかったが、また前に戻った」となります。

つまりは、怒った時に自分がどうなっているのか?よく分からない状態の方は、テクニックの練習よりも先にすべきことがあります。それは、こころのケガの手当です。
何をしたらよいかというと…どんな時に、怒りが過度に働きがちなのか?
その時、自分はどんな態度・行動をとりがちなのか?どんな感情や感覚を感じていたのか?言語化することから始めてみてはいかがでしょうか?

長くなったので、今日はこの辺で。

続きはこちら

この後もお健やかにお過ごしくださいませ~♪


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