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子の成長と、親の成長。

「育てられているのは、わたしたちのほうだよね」

と、夫とよく話す。子供の存在に救われたこと、子供から学ばせてもらったことは、この5年で何度もある。今、穏やかに、子のありのままを受け入れれるようになったのも、7つの習慣の実践にあるように思う。

子どもに期待してしまう。子どもに要求してしまう。それは無意識に行われており、私自身全く気づかなかった。良い親と周りから思われるがあまり、今この状況で子供にとって一番必要な言葉をかけずに、周りの目を気にして発言している私がいたこともあった。しかし、子供はずっと「じぶん」というものを大切に、「ぼくは、いま、こうしたいんだよ!」「これがいいと思ってるの!」その気持ちは真っ直ぐで歪みはない。

息子は、周りに合わせるとか、周りからの目よりも、自分の在り方を大切しているのだなとある時わかった。その態度や行動は、実は親からすると「なんで・・」「どうして・・」と思うことがしばしばだった。例えば、節目節目で撮影する大切な記念日の写真を撮りたがらない。写真館などに無理矢理でも連れていくことができる、なんとか説得して、言い聞かせて、お菓子やおもちゃで操っていくこともできたかもしれない。しかし彼はそれを嫌う。
大切な園のイベントでも、衣装は普段着。周りのお友達がどんなにおしゃれしてきても、自分はいつもと変わらない服を着る。汚れたズボンと、泥がついたお気に入りのシャツを着ていく人なのだ。会場に着くと、華やかな衣装を目にする。親としてはやや恥ずかしい気持ちにもなる。浮いている・・・そんな言葉が頭をよぎる。でも、息子は全く気にしていない。ふーんくらいで皆の様子を眺めている。「そっか、この子はこういう子なんだね」と息子の在り方に時間はかかったもののだいぶ「肯定できる」ようになってきた。

「ママが せかいで いちばんすき!」

このセリフが頻繁に出るようになったのは、年中さんになってから。息子から言われる温かなメッセージ、わたしは笑顔が溢れる。息子を抱きしめる。ありがとう!と言う。
夫から「娘から言われるのと、男の子、ようは息子から言われるのとでは、言葉の受け止め方もきっと違うと思うよ。男の子でよかったね。」と言われたことがある。男の子ママと分かった時、本音言うとちょっと残念に思っていた。どちらが産まれてきてもいいとおもいつつ、頭の中では女の子だったらいいなとおもっていたのだ。 男の子から貰えるこの言葉は、母として女として嬉しい言葉だ。いつまで言ってくれるのか、いつからそんな言葉を恥ずかしくて言えなくなるのだろうか。


眠る前の、ほんの数分の、暗い時間に。

絵本を読み終えて、部屋の電気を消す。暗くなった時、息子は「ママ、きいてほしいんだけど・・・」と言ってくる。顔が見えないから言いやすいのかもしれない。私に抱きしめられながら、ほんとうのきもちを、伝えてくる。わたしは知っている。まだ先のことなのに、もう来年の学校に行くことが不安なこと、ひとりで登校することへの怖さを感じていること・・・だから彼は「ぼく ずっと ママと いっしょに いたい」と言う。そしてわたしはいつも同じ言葉を繰り返す。「はい、あなたとずっといっしょにいますよ、あなたの心の中にずっーと、ずっーと、いますからね。わすれないでね」やがて、息子の寝息が聞こえる。いつの間にか寝ている。
わたし自身、母の教えや母の愛情というのは、大人になってもずっとずっと私の中に在り続けている。父よりも母の方がそれは確かに強い。でもわたしは夫に言う、「父親の関わり方次第で、父の愛もずっと息子の心にあり続けると思う」と。 息子と深く向き合い、遊び、笑い、時には怒り、その育んだ時間は間違いなく、この子の心に残る、残らないなんてことはない、と私は思っている。


今日も素敵な一日を!
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