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心の病とその反動による「反抗期」(ナイナイ岡村さんのことに関して)

ちょっと書かずにはいられない、そう思う記事に遭遇したので記しておきたいと思います。

基本的に私は、芸能人のゴシップやマスコミの報道を鵜呑みにしないように意識しているので、ここに書かれていることもどこまで真実に基づいているかはわかりません。矢部さん、岡村さん、周囲のスタッフ、それぞれの立場で見える景色が違うので、なるべくニュートラルでありたいと私は思っています。

今日「書かずにはいられない」そう思ったのは、2010年に5ヶ月間心の病で休養して復帰した後の岡村さんの変化について書かれた部分に、胸がキリキリ痛んだからなんです。

復活を果たしてから岡村さんは変わった。“周囲の目を気にせず、ストレスから解放され、やりたいことをやる”という治療の方針もあってか、人の意見を聞かず、何を言っても馬耳東風。独りよがりな”裸の王様”になってしまったのです。
周りの空気をまるで気にせず、思ったことは何でも発言して、デリケートなテーマでもお構いなしに下ネタをぶっ込んでくる。過激な風俗ネタを番組スタッフがNGを出しても、気にも止めなくなった。本人は言いたい事をぶちまけてストレスフリーだったのだと思いますが、正直、現場はシラけることも多かった。

この事について、今日は書いてみたいと思います(風俗に関する岡村さんの発言については言及はしません)。

心の病を患った後にやってくる「反抗期」

ここからは私の経験を書きます。私も過去に2度ほど、心の病の一種である「適応障害」になりました。父もうつ病を長期間患っていたこともあり、「心の病」は私にとって身近なもの。産業カウンセラーの資格を取得したのもそれらの事が大きく関係しています。

「心の病」と一言で言っても、様々な種類があり、原因も症状も様々なのでここでは専門的な説明は割愛しますが、いずれの病も、「現実の生活と自分の心の折り合いがつかなくなった状態」であることには変わりません。

一般的には、精神科や心療内科を受診し、薬を処方される等、何かしらの対応をしてもらえますが、「心の病にかかった根本的な原因にアプローチをして治療する」ということは、実はとても難しい事です。根本的な原因にアプローチをする前に、「今のマイナスの状態をゼロに戻す」ことが先決になります。まずは、ゆっくり休養し、少しずつ睡眠栄養面から体調を整えていき、軽いウォーキング等もできるようになるところまでがまず第一ステップ。そして、それができるようになると、上記引用記述の岡村さんのように、これまで抱えてきたストレスから本人が自由になれるよう、まずは、「“周囲の目を気にせず、ストレスから解放され、やりたいことをやる”」ことを医師に推奨されることが多いです。

これは医療現場に限らず、カウンセリングの現場でも「相手の話を傾聴し、共感的受容をする」というのはカウンセラーの在り方の原点になっていますので、心の病を患っている(またはその一歩手前の)クライアントに対して、そのクライアントのどのような考え・感覚・感情・発言に対しても、カウンセラーは「判断」をすることなく、原則としては共感し受け止めていきます。

そうなると、どういう事が起こるかというと、これまで蓋をしがちだった自分の感情や感覚を感じられるようになるとともに、これまで周囲の人や環境にストレスを感じながらも必死に頑張ってきた事をもうそこまで無理をしてやらなくていいのかもしれない、という一種の解放感を感じるようになります。

しかし、これまで「我慢」「抑圧」が大きかった人は、その大きさの分だけ、「解放度」も大きく、その解放感を味わうと同時に「自分がこれほどの苦しみを感じることになった社会・組織・事柄・人物」に対して一時的に「強烈な怒り」を感じるようになることもあります。私の場合は両親に対してとてつもない大きな怒りを感じましたし、大喧嘩もしました。反抗期がなかった分、30年分の溜まりに溜まったマグマが爆発した感じです。この突如として現れる「反抗期」に、周りの人はビックリしてしまうことも多いようです。

「反抗期」の後の「自己受容」

そして、その怒りが一通りおさまると、癒しが加速していきます。「私はありのままの自分でいいのだ」という「自分を自分が受容する」というプロセスを歩むことになります。実はこれはすごく大切なプロセスで、ここをすっ飛ばしてはいけないのです。私もこの考え方の大切さを何度も何度もTwitterで発信しています。

私の場合で言うと、「自己受容」ができるようになり始めた頃の時期には、これまでできなかった色々な事が少しずつできるようになりました。例えば、「人前で話をすること」「自分の事を大勢の場で話すこと」は、本当に苦手で、毎回声も手も足も震えるという様だったのに、「自己受容」時期を経てこれらの事が少しずつできるようになりました。「自分を信じる=自信」が作られていったのかもしれません。

一方で、「自分は自分でいいのだ」という考え方を持つことで、「自分とは考え方が異なる人に対しての違和感」を明確に感じるようになります。そして、「自分の感覚や感情が”no”と言っていることを見て見ぬふりができなくなる」という経験もセットでやってきました。今となれば、「自分軸がしっかり育ってきたんだな」と思えるのですが、その当時は、「なんて自分は傲慢で我儘なんだろう。我慢ができない人になってしまった」と思い、その事で落ち込むということも出てくるようになりました。

「裸の王様」になっているかもしれない自分に気づけるか

ここでまた岡村さんの話に戻るのですが・・・。心の病に陥るまでの「抑圧」が大きければ大きいほど「解放」も大きくなり「怒り」も大きくなります。そうなると、「怒り」の後の「自己受容」のプロセスが肥大して「開き直り」みたいな感じになってしまうことがあるのではないかと思ったんです。私も実際そういう事がありました。

「いいんです、私はこういう人間です。このような私でもよければどうぞお付き合いください。」とちょっと突き放したくなるような、そんな傲慢な気持ちになることが私にも一時期ありました。だから、わからなくないのです、岡村さんが「休養後に裸の王様になっていった」ということが。

だから、胸が痛んだのです。

「裸の王様」が、「周囲と調和する世界」に戻れるか

かと言って、今回の岡村さんの「風俗」についての発言がゆるされるべきものかというとそうではないです。それは「やりすぎ、いきすぎ」なのです。

何事もバランス。私自身も、行き過ぎた「自己受容」の果てに、自分の傲慢さに嫌気がさした事が何回もあります。でも、臆病者の私は、「人からどう思われるか」「相手を傷つけてしまったかもしれない、どうしよう」という視点は完全になくすことはできませんでした。でもそれで良かった、今はそう思います。

何事も極端に偏ると、色々と不具合が起きるものです。「自分を受容する」も「他人を尊重し配慮する」も、どちらも同じくらい実は大切。偏りすぎたらそれを指摘してくれる人に感謝して、自分でも注意して、欠けていた視点を補うように少し意識を変えて見れればいいですよね。そして、「自己受容」と「他人を尊重し配慮する」のこの2つはちゃんと「調和」することができるんです。どちらかしかできないということはないのです。

「自分をゆるした分だけ、人をゆるせる」

「自分軸」が育ってくると、「他人が持っているその人の軸」もしっかり見えるようになります。一時的には「違和感」として感じることがあっても、「自分が自分をしっかり認めてあげる、ゆるしてあげる」という本来の自分への癒しの過程を歩めていれば、「他人」に対しても同じように認める・ゆるす・尊重するということが次第にできるようになっていくのです。

「自分を受け入れた分だけ、ゆるせた分だけ、他人も受け入れゆるすことができる」

のです。本来はそうなんです。

でも自分の中にまだ吐き出し切れていない怒りや悲しみのマグマがあったり、一度は吐き出しきったマグマでもまだ再生産されてしまったりすると、自分自身や他者に対して尊重できないゆるせない自分が出てくることはあります。この繰り返しなんです。何度も何度も、これを繰り返していくことで、気が付いたら「あ、前より生きやすくなったな」と思えるようになっている。それが私が踏んだプロセスです。

3歩進んで2歩下がる、でした。

岡村さんには岡村さんの人生の課題があります。彼が裸の王様になってしまっていたかもしれないことについては、私には理解しきれない複雑な事情もあったのかもしれませんし、岡村さんに「こうなってほしい」「こうなるべき」というのは私にはありません。ただ、今回の出来事で岡村さんの辿ってきたプロセスについて触れる中で、自分の中にある胸の痛みに気が付くことができました。それを忘れないように、今日は書き起こしてみました。

今日も長文を読んでいただき、ありがとうございます。




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