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どんなに嫌なヤツでも同じ世界で生きている───つぶやき日記[6] 2022年10月26日〜11月7日

たとえどんなに嫌なヤツがいても、私と同じ人間であり、この世界で生きている。いま、私は「嫌なヤツ」と書いたが、これを読んでいるあなたは「嫌なヤツ」という言葉で、誰が浮かんだのだろうか。

────私の場合、それは父親だ。

じつは、母方の祖父が亡くなった。だが、そんなときに、父が母方の祖父の葬式のことで「夫婦間の問題だ」「体裁だ」とかで、母に怒るようになった。亡くなった実の父親(私にとっての祖父)のことで悲しみたいのに、父があれこれ言ってくるので悲しむことができない。母も妹も私も、父に散々振り回された。

そのため、最近はとにかく忙しくて落ち着かない状態が続いていた。そんな毎日を過ごしていたら、私の心がボロボロになってしまった。祖父の死がキッカケで再び出てきた父親の問題。どうやらこの問題を解決しないと、私は前に進めない。次の文章が書けない。文章を書くとき、嫌でも自分と向き合うことになるからだ。だから、私は家族について書こうと思う。

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しかしながら、家族ってなんだろう。遠く離れて暮らすきょうだいのことも家族と呼ぶし、里親制度などの関係も家族だ。同じ家に暮らしている関係でもなければ、血縁でもない。また、犬や猫などのペットも、私たち人間は新たな家族として迎え入れている。よくよく思えば、家族は不思議な関係だ。気がついたら、私たち人間はどこかしらの家族に属している(もしくは過去に属していた)。だが、その属する家族を選ぶことは出来ない。

そんな家族だからこそ、当然トラブルも起きる。家族だからって仲良くできる訳ではない。人間は良くも悪くも変化していく。むかしは気が合ったけど、今は全然話が合わないなんて起きても全然おかしくない。逆もまた然り。だから私は、家族だからってべつに無理して仲良くしなくていいと考えている。私の場合、たまたま偶然家族として一緒にいて、同じ家で暮らしているだけだ。だからこそ、家族同士で相性が悪いことも当然ある。

そう、私と父は物凄く相性が悪い。父はよく私に怒りをぶつけていた。少しでも父の意見に反論すると、父が激怒してしまう。時には、殴られそうになった。そして、怒ったときには、決まり文句のようにこんなことを言う。「本当は殴りたいが、女に手を出すのは卑怯だからしない。」と。きっと、私が男だったら殴られていたのかもしれない。しかしなぜ、父は怒るのだろう。ただの八つ当たりのようにしか見えなかった。一体、なんでこんなにも怒られなきゃいけないのだろう。そんな関係をやめたくて仕方がなかった。

なので、母と妹が間に入り、父とは数年前からメールで必要最低限のことしかやり取りしない関係になった。直接、話すのはどうしてもそれでしか対処できない場合のみ。線維筋痛症で寝たきり生活の私には、父と離れて暮らすことが非常に難しい。父から逃げることが出来ない。一緒に生活する時間が多いからこそ、そのような関係になるしか道がなかった。

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家族の揉め事は、あまりにも問題に近すぎて考えることが難しい。以前の私なら、今回の祖父の葬式での父の騒ぎのようなことがあれば、「偏見まみれで、男尊女卑の怒りやすい父だから。」と、心の中で適当に片付けてしまう。でも、父からしてみたら、どうだろうか。想像してみる。おそらく、自分の意見が正しいと思って、相手に対して怒っている。だからこそ、正しくない相手に対して怒る。なんで、わからないのか、と。

でも、私も父も、良くも悪くも同じ人間だ。当然、父と似たような思想を持つ人も、自分と違う意見を持つ人も、同じ世界で生きている。

だがしかし、世の中は自分たちと違う存在は排除する方向へ向かっている。また、自分たちと少しでも違う意見を持つ人間にさえも、政治的に正しくないからとか、何かと理由をつけて排除していく。しかし、それは本当にいいのだろうか。

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ほんとうなら、今回の冒頭エッセイはつぶやき日記で触れているベルばらについて書く予定だった。だが、書けなかった。父と全く関係ないことについて文章を書こうとしても、結局父に関する文章になってしまう。何かを表現するということは、嫌でも自分と向き合うことになるからだ。このままじゃ、ここで立ち止まってしまう。そこから一歩前に進むためにも、改めて家族について考え、それを言葉にすることにした。

でもやっぱり、祖父が亡くなり、父に振り回されるという家族に関する出来事が立て続けに起きたのはつらかった。今もまだ、心の傷が残っている。けれど、現実を学べた気がする。この世界には、さまざまな人びとが生きている。そして、自分とは全く違う思想を持っている人びとや嫌なヤツも当然いる。そうしたことを前提として、私たちは社会について考えなくてはいけない。それを踏まえて、今後も言葉にしていきたい。




さてさて、前書きはここら辺に終わりに。これからつぶやき日記です。

つぶやき日記とは、当時のしりこのTwitter(@ricrck)に載せていた呟きを素材にして書いた箇条書き日記です。

★以下、日付け順で箇条書きのように並べています。
★Twitterの呟きをもとにして、新たに書き足して編集したものを載せています。
★つぶやき日記を書くようになった理由などは記事下部に載せております。


2022/10/26

ちいさな用事を片付けていたら、脳が疲れ切ってしまった。しかし、ここのところ寒すぎて身体がついていけていない。寒さのお陰で、線維筋痛症の激痛がひどくなって…イタタタ!!

こんなときは休むしかない。ぬぬぬ。


2022/10/27

どうやら、ロンドンの美術館でゴッホの「ひまわり」にトマトスープをかける事件があった。「絵画と、地球と人々の命を守ること、どちらが大切なのか」と抗議したメンバーの一人が言っているらしい。他にも、ヨーロッパでは似たような感じで名画にマッシュポテト投げつけるとか起きているようで、いま流行りの抗議運動なんだと思う。

しかし、このような抗議運動がどんどん過激になってしまいそうで怖い。SNSとの相性もいいし。こういう流れは嫌だな。一体この先どうなるのだろう…。


じつは、日本でも1974年に「モナ・リザ」へスプレー噴射されている。1974年のときは環境運動ではなく、障害者運動。たまたま、それについて書かれていた記事を見つけたのでリンクを貼っておく。リンク先の記事では、1974年の名画へのスプレー噴射が良い感じに受け止められているけど、私はどうもこのようなことに関してはモヤモヤしてしまう。過激な運動をしても、結局人びとはその瞬間だけ注目してあとは忘れていく。そういったところでも、私はあまりこのような抗議運動は乗れない。応援しようとも思えない。けれど、きっと次から次へと出てくるのだろうな…。


2022/10/28

本棚が埋まってしまったので、箱に本を入れていた。しかし、それも埋まってきてしまい、次はどこに本を置くか悩み中。

そうそう、聴覚過敏がひどいので、音の負担を少しでも軽減するために色々と対策グッズを買ってあれこれ試しています。しかし、今までは耐えられた音がダメになるとは。

音を聞くだけで疲れると自覚する前に、ノイズキャンセリングイヤホンなどで対策するようになってから少し楽に。そのとき、耐えられると思った雑音などでも、後で持病の線維筋痛症の症状として出てしまい、ぐったりしてしまう。だから、最初から負担になりそうな音を遮断する勢いで軽減させるのです。

激痛に耐えることに慣れてしまったので、聴覚過敏に対しても、音を拒絶するぐらいにならないと嫌な音に耐えようとしてしまう癖が。きっと、そういうのもひどくなった原因のひとつかなと思っています。

でも、あれこれ試している対策グッズのおかげで、前よりも音の負担が減って、動画など少し観られるようになりました。それだけでも嬉しい。引き続き、対策グッズに使えそうなものを探そう。


2022/10/30

ここのところ、聴覚過敏の音対策とかその他もろもろの用事などもあってか、なんだか妙に忙しかった。でも、それらも最近やっと少し落ち着いてきた気がする。

そういえば、最近『ベルサイユのばら』を読んでいます。有名な作品だからという安易な理由で読み始めたのですが、やはり面白いですね。時間を忘れて、次のページを開いてしまう。しかし、これが週刊でマーガレットに連載されていたとは。すごい。


2022/10/31

今日はハロウィンですね。Счастливого Хэллоуина!
せっかくなので、ハロウィンな猫様を。ちなみに写真に映っているライトは、今年買ったハロウィン猫グッズです。

ハロウィン仕様のライトと猫様の写真

去年もハロウィン加工写真やったけど、今年もやってしまった。猫様をハロウィン仕様にするのは楽しい。そして、かわいい。

じつは、他にもハロウィン仕様の猫様画像があったり。なんか楽しくて作ってしまった。ひとつでよかったのにね。折角なので、載せておきます。ふふ。

ハロウィン猫様写真その1
ハロウィン猫様写真その2



2022/11/01

11月になりましたね。

ハロウィンが終わるとクリスマスへ。きっと、街の至るところで、カボチャがサンタになっていたりするのかな。ふふ。

なんだか今日は脳が疲れているっぽい。とりあえず、おやすみモードにならなきゃ。むむむ。まだまだやりたい事があるのに。


2022/11/02

なんだか今日は、体調がよくない。温度差のせいだろうか。とにかく、持病の線維筋痛症の激痛がキツい。落ち着いて、激痛。ちゃんと痛みは伝わっているから。大丈夫。だから、少しだけ痛みを弱くしてくれると嬉しいな…って、イタタタ!!

ベルばらを読んでいたら、ルソーの恋愛小説『新エロイーズ』が出てきてビックリ。まさか、ベルばらで出てくるとは。いや、たしかにベルばらで描かれている時代に流行った小説だけど。新エロイーズを出すことで、主人公たちの人間関係・身分差の恋をわかりやすく伝えている。

ちなみに新エロイーズが出てくるのは、電子版だとベルばら第六巻です。まさか、ベルばらで新エロイーズのネタが出てくるとは。つい最近、ルソーの新エロイーズを読み終えたばかりだったので嬉しかった。しかし、ベルばらはルソーの『新エロイーズ』など、その当時に流行った古典を引用したりと丁寧に作られていて、ほんとうに面白い作品だなと改めて思った。


2022/11/03

ふふ、次に公開する予定の文章を書いています。今回もちゃんと書き終えるといいな。ゴールが見えてくると楽になるのですが、それまでは先が苦しい。だけど、それでも書きたいのです。

なんだか、今日はぐったり。体調ぐったりモードの日は聴覚過敏がひどくなって好きな音楽でさえも、音を聞くのが苦痛になる。だから、音対策のためにノイズキャンセリングイヤホンをして、なるべく無音でゆっくり過ごすようにしています。


2022/11/06

エッセイ書きました。

「こんなの、書かなくてもいいんじゃない?」と悪魔の囁きの話を書いていたせいか、いつも以上に悪魔の囁きがしつこくてキツかったけど、無事に書き終えました。よかった。


2022/11/07

ダメダメ。また焦っている。動けなくて嫌になっている。今はゆっくりして身体を休ませようと思っているのに。焦りは禁物。ぬぬぬ。ゆっくり、ゆっくり。




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つぶやき日記とは

ある日、ふと思った。Twitterの呟きをつぶやき日記として載せたいな、と。なぜなら、持病の症状を一生懸命に耐えながら日記のように書いているTwitterの呟きが、ただ今この瞬間のものだけで終わってしまうのは悲しい気がして。このまま、瞬間的に見られて流れて終わるなんて。ならば、呟きをまとめて作品として載せたほうがいいかもしれない。そうして、Twitterの呟きを素材とした日記みたいな箇条書き文章を書いて、つぶやき日記として記事を書くことにした。

これらのTwitterのつぶやきをもとにした箇条書きの日記みたいな文章は、ひとによっては手抜き記事と思うかもしれない。そう見えても、仕方がない。けれど、それでも私は生きている証拠をインターネット上に残したい。ここに私がいるよ、ちゃんと生きているよ、と。




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