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「楽器」にも「人生」があるのかもしれない。

 今日は学校に行ってから、家庭内U*er E*tsで、横浜の実家の両親にお弁当を届ける(現状1人は「例のヤツ」から回復済みな物の、もう1人はまだ「自宅療養期間中」なので、正確には両親の「家の玄関先」に)と言うミッションが予定されていた。う〜ん、まあ電車の中で読書出来るのは楽しいとは言え、ただ遠路はるばる行くのもな〜と思っていたら、ここ数年僕のローディをやってくれているT君が普段は横浜駅付近のマニアックなベース(新品中古問わず)を扱う専門店で働いている事を思い出した。そして以前「僕の使っていないベース、お店で買い取ってくれるのかな〜」なんて聞いたら「勿論オッケーです」と言ってくれていたので、一昨日ぐらいに連絡を入れておいた。

 という訳でもうかれこれ10年ぐらい一度も人前で弾いたことも無ければ、レコーディング等で活躍した事もない某ベースを持って彼の地へ。T君がチェックして、店長さん(らしき人)と相談して、予想よりもずっと高い値段で買い取って頂いた。いや〜、無理していないと良いのですが。2年ぐらいしてひょっこりお店に遊びに行ったら元僕のベースが売れないでそのまま埃を被っていたら悲しいな〜、とは思う。

 とまあそれは冗談として、昨日のnoteで「壊れているものを持ち続けていると良くない」的な事を書いたのだが、

このベースちゃんは現状「壊れて」はいない。使おうと思えば全然使えるのだが、ただ今の僕のライフスタイルと、別のベースとの兼ね合いで単純に出番が無いだけ。それでも確実に時間は過ぎて楽器も傷んでいくはずなので、それよりはこの横浜の楽器屋さんでどなたかに見初められて、その方が使ってくれたほうがずっと良いな、と思う。

 ちなみに今日そのお店の店長さん(らしき人)に初めて教えて頂いたのだが、そのベース、どうやら1987年製だそう。いや〜、アメリカで製造されて早35年。ここ日本でまた違うご主人の手に渡って生きながらえていくなんて、「楽器」って「物」なのになんだかそれ自体に「人生」があるんだなあ〜と「壮大なロマン」を感じてしまうのは僕だけでしょうか。取り敢えず大事にしてくださる人の手に渡ることを願うばかりなんである。

*ボーカルやベースの教則本を書かせて頂いております。リンクをご覧の皆さん、ありがとうございます!!!

*そしてここからは本日の記事に関係がありそうな本のリンクです。

 


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