見出し画像

「怒りの感情は何も産まない」と言うことに生きているうちに気づけて本当に良かったと思う(連続投稿709日目)。

 こんなタイトルでnoteを書いている僕だが、若い時はけっこう色々な事に怒ったり、憤慨したりしていた(正直他の人よりもずっと怒りっぽかった気がする)。しかし「怒る事」ってそれ自体体力も気力も使うし、その貴重な体力や気力を使った挙げ句「何一つ物事を前には進めてくれない」。それどころか、何故か結構な確率で後退だけはさせてくれるんですよねえ(笑)。ようやくそれに気付いて、今では全くと言って良い程「怒りの感情」を何に対しても持つことはなくなった。

 こちら、我慢しているわけではなくて「怒っても無駄だ」とずっと思っていたら、正味の話「怒りの感情を心に湧き出させる方法」をすっかり忘れてしまった、と言うのが正直なところ。

 ただ時々「誰かが他の誰かに向けて怒っている場面」とか「誰かがその人自身に対して怒りを感じている場面」等を見かけたり、あとは僕はけっこう優しそうに見えてしまっているのか、時には「僕自身に対して誰かが怒りの感情を持ってしまっているであろう場面」に遭遇することもある。

 えっ、そういう時どうするかって? そういう時はアレですよ、バカのふりしてニマニマして「あれっ? 何か問題ありますか〜?」なんて笑顔を崩さないでいればあちらもだいたい諦めてくれます。そしてこちらは心のなかでその人を「出来るだけ距離を置く人リスト」のフォルダの中に静かに移動するだけ。

 昔はそういう場面でこちらも怒りの感情を受け取ってしまって応戦してしまい、喧嘩になったりした事も多々あった。しかし繰り返しになりますが、その感情を受け取ったところで「何一つ良いこと」はございません。そこは「おおっ、また神様が僕のスルー力を鍛えようと思って、この役者さんに高いギャラを払って怒る演技をさせているんだな。しかしこの役者さん上手いな〜。本当に怒っているみたいだ〜」とかなんとか思ってしまえば良い。

 こうした「スルー力」をある程度身に付けられただけでも「歳を取るのも悪くないな」と思う。これからも僕はこうした「スルー力」を最大限に行使しながら、世の中の「怒りの感情」の間を縫うようにして、笑顔で生きて行きたいな、なんて思っているんである。

*ボーカルやベースの教則本を書かせて頂いております。リンクをご覧の皆さん、ありがとうございます!!!

*そしてここからは「本日の記事」に関連していそうな本のリンクです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?