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「テキトー力」を身につけると、どんな人でも「スーパーサイヤ人」になれる(連続投稿713日目)。

 人間とはどこまで行っても不完全な存在である。不完全でテキトーな存在である以上、どこかで必ず失敗する。その時に「私、失敗しないんで」なんてどこかの架空の女医さんみたいに謎の理想像を持っていたりすると、そこで意味もなく自分を責めてしまったりする可能性がある(ちょっと例が古かったですかね)。

 個人的には、結局人が不幸になる始まりって「ありもしない理想像」に縛られることなんじゃないのかな、なんて最近は思っている。かのイチロー選手だって「打率10割」と言う「ありもしない理想像」をあくまでも「理想や目標」としては追い求めていたとしても、それが実現できないこと、人間だとまあ良くて3割代後半までしか打率を上げられない事を心のどこかでは受け入れていたはずだ。

 「ありもしない理想像」を目標として持つのは、決して悪いことでは無いと思う。しかしそこから外れた時に「自分を責めてしまう」のはちょっと違うんじゃないのかなと僕は思う。例えば「自分は頭が良い」と言う「ありもしない理想像」に執着してしまっている人が「おまえ、バカだなあ」と他人に言われて怒ったとしよう。もともと自分が「頭が良い」と思っていない人は「そうだよ。それが何か問題?」と言う感じになるのだろうと思うが、そういう「理想像」を持っている人でもそれが「ありもしない事」だとか「あくまでも目標として掲げている理想像」とはっきり区別して認識している人であれば「まあ、そうかもね」ぐらいの反応になって、少なくとも「怒ってしまったり」までは行かないはずだ。

 そしてそもそも「頭が良い」とか、そういう「前提条件」って一体誰と比べて「頭が良い」のか。比べる相手がホーキンス博士なのかチンパンジーなのか。そういった「条件」でもかなり変動しかねない非常にぼんやりした、実は「かなりテキトーな前提条件」なのだと思うと、そんな事に縛られて怒ったりするのは本当にバカバカしいと感じる。

 という訳で僕は今日も明日も、そして恐らく死ぬまでずっと、この「テキトー力」を様々な場面で行使しながら、ニコニコしてスーパーサイヤ人として生きて行きたいな、なんて思っている。そう言えば特撮(ロックバンド)のサポートベーシストをやっていた頃の僕のあだ名は「ミスターテキトー」であった。こんな素敵なあだ名を付けて頂けるなんて、そんな名誉な事は無いな、なんて今更ながら思うんである。

*ボーカルやベースの教則本を書かせて頂いております。こちらは「テキトーに」書いたわけではございませんので、是非リンクを御覧下さい!


*そしてここからは本日の記事に関連していそうな本のリンクです。


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