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理解すると理解しようと努力することの違い

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雨が降っている。ちょっと暖かくなったけど、それはウソだよーと言わんばかりの冷たい雨が降っている。こんな時は、おこたでのんびりが一番だけど、頑張ってジムに行ってとりあえず1時間だけでもいいからって汗かいて、あー雨冷たいなーって思いながら帰ってきて。暖かい紅茶でも飲もうかと思いつつ、飲んだら2杯目だからさすがになぁと思い立ってやっぱりやめて。みたいな感じの夜を過ごしつつキーを叩いている。駅前の大きい桜、あの桜はもう少しだけ咲いているけど、あれは早生系の桜なんだろうか。気が付いたらいろんなことが変わっていくし、気が付いたらいろんなことがわからなくなっていく。

さて、そんなよくわからないスタートから、トントンと話をしていきますが、結構人生というかなんというかな、他人とのコミュニケーションを進めていく中で、もしかしたら一番大事なのかもしれないなと感じていることを、少しだけ話していこうかなと。理解することってどんなことなんだろう?って真剣に悩んだことある?なんか、いろいろな話をしていて思うことは、もしかして多くの人は理解することって何だろう?って考えたことないのかもしれないっていうことに気が付いた時に、私は少し恐ろしくなったんよな。理解するってとんでもなく難しくて、そして、多分多くの人は、理解してほしいと口にしつつ、理解されることを根源的には拒絶しているように見える。理解というものは、どうにも切なくちょっと空虚なもので、理解は一種の到達点ではあるが、別に誰もその到達点を望んでいない。そういう意味で、理解は他者とのコミュニケーションに必要ない。

頭使うとわかんなくなるよね。

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