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解説 手で造られたものは呪われる(後編)(第二説教集2章2部) #81

原題: An homily against Peril of Idolatry, and superfluous Decking of Churches. (教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教)


※第1部の解説は3回にわけてお届けしています。今回は3回目です。
※第2章の全体像についてはこちら:

第二説教集第2章第2部解説の2回目、後編です。聖句でいうテーマと第2部のポイントを確認します。

義がなされた木は祝福されるが、手で造られたものは、それ自体とそれを造った者とが呪われる。作者はそれを造ったからであり、その朽ちるものは神と呼ばれたからである。(知恵の書 14章7~8節)

第2部のポイントは次の10点です。今回は⑦~⑩についてになります。

①第1部の振り返りと第2部の目的
②古代教会の教父らによる偶像崇拝への戒め
③ローマ皇帝による偶像崇拝の禁止
④ローマ帝国の分裂と偶像崇拝の広がり
⑤東ローマ帝国における偶像の排斥
⑥ローマ教皇による偶像の正当化
⑦東ローマ帝国における偶像の正当化
⑧キリスト教界全体での偶像の正当化
⑨偶像の正当化によるキリスト教界の弱体化
⑩まとめと結びの短い祈り


偶像を排斥していた東ローマ帝国に転機が訪れます。

コンスタンティヌス六世が幼かったため、母でありレオン四世の皇后であったエイレーネーの手に帝国の執政が委ねられたのですが、彼女は司教のテオドルスとコンスタンティノープル総主教のタラシウスに助言を多く求め、ローマと同じく偶像を擁護することに極めて熱心でありました。

史実にもあることですが、このエイレーネーの求めで第二ニカイア公会議が行われ、偶像を教会堂に置くことが認められることになりました。偶像崇拝を戒めるこの説教のなかでは、ローマと違って偶像を排斥していた東ローマ帝国に偶像を置かせるに至ったこのエイレーネーをかなり残忍な人物であったとを印象づけています。

ほんの数年の間にこの女帝エイレーネーは息子から力を奪い、息子のおじにあたるニケフォロスの目をくりぬき、他の四人のおじたちの舌を切り、妻を捨てさせ、やがてすべての臣下を彼から離反させました。 (略)彼女の権力への野心や欲望は飽くなきものでした。絶えず企てられ実行に移された彼女の背信は極めて忌むべきものであり、その邪で道に外れた残酷さは、のちに詩人たちがそのおぞましい肉親殺しを恐ろしい悲劇の題材としたメーデイアやプロクネーを上回るものです。

エイレーネーがもとでキリスト教界全体に偶像が公然と置かれるようになったということになります。エイレーネーはやがて追放され、そののち東ローマ帝国内で再び偶像を排斥する動きが活発になります。ニケフォロス1世からテオドロス2世までの皇帝の名が挙げられます。やはり西洋史の講義です。この説教では偶像をめぐっての東西の対立の帰結を次のように置いています。

このようにしてキリスト教徒も帝国も東西に分かれて、憎しみ合って疑い合い、恨みを持ち合い忌み嫌い合って、これが終息することも穏やかになることもありませんでした。そうしているなかでまずはサラセン人が、ついでトルコ人がキリスト教徒を攻撃するようになったのですが、東西世界の一方がもう一方を助けることはありませんでした。

少しだけならよいとして偶像を認めたことがやがて東西世界の分裂と対立を招き、キリスト教界の弱体化につながり、異教徒の攻勢に怯えるに至っているということになります。これを旧約聖書にある事柄に結びつけて説いています。

大昔にイスラエルの王国が偶像崇拝のために分裂したのと同じで、ローマ帝国も偶像を認めてそれを崇拝しさえしなければ、このように分裂はなかったということを考えますと、かつてユダヤの民に下された罰が、まさにわたしたちに下されはすまいかと思うのです。

第2部の終わりにこのような強い言葉があります。

わたしたちが陥っているこの悲惨な不和のすべては、わたしたちが金銀や木や石で造った神のゆえです。偶像などそれ自体で自身を守ることもできないというのに、わたしたちはその加護を求め、ついには敵である異教徒にわたしたちを凌駕することを許してしまいました。これは万軍の主たる全能なる生ける神を棄て、その神に向けるべき誉れを、目がなく見ることもできず、耳がなく聞くこともできず、足がなく歩くこともできない死した棒や石に向ける者たちに対する当然の報いです。そのようなものを造ってそれに信を置く者に対して神の呪いが向けらるのです。

このあとまとめと短い祈りがあって第2部は終わります。第2部は教皇や東ローマ皇帝の名が多く出されます。教会堂でこれを聞いていた当時の人々は(話している説教者もですが)よく理解できていたのか、はなはだ疑問でもありますが、ともあれ、世の人々が長い歴史を経て偶像崇拝に傾いていったということが大変な熱量で説かれています。



今回は第二説教集第2章「教会をいたずらに飾り立てて偶像崇拝を行うことの危うさについての説教」の第2部「手で造られたものは呪われる」の解説(後編)でした。次回から第2部の試訳を投稿しますが、分量が多いので6回に分けてお届けします。

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