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わたしは一日中眠いのに


朝まで”熟睡する”ってことができなくなったのは、いつからだろう。
(それと、夜眠ることが困難になったのは…)
今、いちばん幸せなのは、休日に本を読みながらウトウトしたり、ドラマを見ていたはずなのに途中で寝ちゃって、知らないうちに話がすすんでるってなった時。
自分に”天然の眠り”が訪れたんだな、と実感できる。
(夜寝る時には、毎晩入眠剤を飲むから。)


それでも明け方には、身体はまだ起きれないのに頭の中だけは、ずっとぐるぐる考え事をしていたり、半分ぐらい目覚めていたりするんだけど…



休日に”天然の眠り”が訪れて、学生時代みたいに(授業中)ずるずると眠りに引きずりこまれていく感覚に、たまに浸った時にはうれしくて、そして同時に恐怖も感じる。(夜に、寝れなくなる!って。)


今読んでいる最果タヒさんの「恋できみが死なない理由」に睡眠に関する記述があって、なんとなく仕方ないことよねって気持ちになれた。

朝が来ても何もリセットされなくなってしまったからかな。目が覚めてもまだ疲れていることに、私はもはや慣れている、すっきりした朝などないし、そんなものは子供だけのものだと知った、それから、私は「大人には朝マックがある」と思うようになったのです。

二度寝の代わりの朝マック より


これを読んで、睡眠のことを書こうと思ったわけです(笑)


「恋できみが死なない理由」というのは、収録されているエッセイのタイトルでもあって、
タヒさんが村上春樹さんの「街とその不確かな壁」の考察を書いているけれど、
そういうことだったのね!やっと全容を把握できた。
(「街とその不確かな壁」を夫が予約して借りた時と自分の予約した時と、2回も読んだのにわたしには見えていなかったことを、わかるように書いていてくださって、ありがとうございます!)


あの小説を読んで、とにかくわたしがいちばん気に入ったのが、コーヒーとブルーベリーマフィンのところだった。(もちろん、早速マフィンとコーヒーを食べましたとも!)




「街とその不確かな壁」、もう一度読んでみようかな。






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