6日目 愛させてくれてありがとう
今朝は、朝7時から次男のサッカーの大会があって、妻と次男は家を出た。長男は実家に泊まっていて、今日は長女次女と2人で過ごすことになった。
意外と末っ子はママがいなくても大泣きしたりはせずに、マイペースに過ごしてくれていて、僕は家の片付けをしながら少し気分よくいることができた。
天気も良いし、今日はすごく早起きもしているから、朝の散歩にでも出ようと末っ子と犬の散歩に出ることにした。
この子の笑顔には本当に救われる。
ニコニコと笑いながら手を繋いで家の近所を少し長めに歩いた。
時折立ち止まると、物欲しげな顔で抱っこを求めてきてそれに応える。するとまた笑顔になっておしゃべりを始める。
結構、体重も重くなってきたんだなと実感して、あとどれくらい抱っこできるかななんて考えた。
家に着くと、長女がピクニックに行きたい!と訴えてきた。長女の予定では、今日は1人で末っ子の面倒を見たいらしく、妻にお弁当まで作ってもらって近所の公園に2人でピクニックに行くらしい。
えらいなぁ。僕には何もない一日なのに、そんな発想をして今日を楽しもうとしている娘。
とはいえ、2人だけは心配なので後から様子を見にいくことにした。
末っ子をベビーカーに乗せ、2人で出発する姿を見送り、僕は寝室の片付けを続けることにした。
埃や汚れを取り除くと、少し気分が良くなる。
これはよく聞いていたことだけど、本当なんだなと思った。
一通り終わったあとに、公園に行ってみると、砂場で遊んでいる2人を見つけた。
砂場の横にはピクニックシートを広げて、お弁当がすでに用意されている。
この時、まだ10時。
一日が長くなる予感がした。
今日、妻と離れて子どもたちと過ごすのに、不安がまた襲ってこないか心配だったけど、意外と大丈夫で、子どもたちが笑わせてくれると顔の強張りも少しほぐれていた。
ただ、頭の中の思考は止まることがなくて、やっぱり疲れてきてしまうのだけど、10時半には自分だけお弁当を食べ始めた長女にまた笑えた。
今日を楽しむ子どもたち。
僕のように空っぽの心を何かで満たそうと悩んだり苦しんだりせずに、目の前のことをそのままに受け入れて生きている。
僕はそんな生き方を物足りないと、感じてしまうのだけど、それはきっと心の歪みがそう感じさせているんだろうと思うし、その歪みを少しずつ矯正していかなければならないんだと思う。
そのためには、子どもたちと向き合って、妻と向き合って、小さな満足感を少しずつ少しずつ心に溜めていく。そして、何よりも自分自身と向き合って、嫌だった自分を受け入れながら、ありたい自分への一歩を歩んでいく。
それが、今僕に必要なことなんだと思う。
彼女のことを思うたびに苦しくて、顔が強張ってしまうけど、それはただの失恋の痛みで、今の僕の病気の本質じゃない。
彼女との関係がどうなろうと、僕の生き方を見つめていかないといけないんだ。
朝からのピクニックは10時半にお弁当を食べてしまったことで、長女自身が飽きてしまい終了となった。
かわりにカラオケに連れて行けという長女。この子の我の強さ、本当に尊敬するわ。
一度自宅に帰り、カラオケまでまた歩くことになった。まぁまぁ遠い距離を、僕はベビーカーを押して、娘はなぜか自転車に乗って行くことにした。
僕にもカラオケに行ったら歌いたい曲があった。
Mr.Childrenのhimawari。
彼女へのプレゼントに贈ったひまわり。
まっすぐ前を向いて生きている彼女。
考えている風で考えていない自分。
めんどくさいことから逃げるように邪に生きている自分。
怖いもの見たさで会いに彷徨おうとする自分。
ずっと脳内で流れていたこの曲を、声が張り裂けるくらい大きな声で歌った。そもそもこんなに大きな声を出すこともずっとなかった。
歌いながら僕は泣いていた。
娘に見られないようにしながら。
歌い終わると少しスッキリした気がした。
カラオケが終わる頃、次男のサッカーも終わったらしく、妻が迎えにきてくれた。
このあとは、長男と次男と公園にサッカーをしに行く約束があった。
仕事をしていた頃、僕はこうした約束をいつも破ってきた。
体調が悪いと言って、子どもとの約束を破ることに抵抗がなくなっていた。
でも、今は子どもと向き合いたい。
正直、朝のピクニックからカラオケと、体は疲れているけど、ちゃんと約束を果たせる父でいたい。
こんなに動けるのにうつ病なのか?とわからなくなるけど、うつ病だろうとうつ病じゃなかろうと、今人生において大事な時間を過ごしていることは事実なんだ。
あのまま仕事を続けてたら、こんな時間は持てなかった。そしていずれ心は崩壊していた。
今、ご飯も食べられる。眠れる。遊べる。こんな状態で家族と向き合う時間が作れたことはありがたいことだ。
息子たちと公園に行き、サッカーの練習に付き合った。次男は左サイドの攻撃。長男は右サイドの守備。
2人のマッチアップは面白い。
この子達も、日々一生懸命生きている。
僕がこんな病気になったことを長男は絶対心配してるはずなんだ。だけど、ちゃんと楽しむとこは楽しんで、頑張るところは頑張って、懸命に生きている。
家族がいてくれてよかった。
これまでは、ただただ苦しい存在だったけど、今は家族の姿から少しずつ心が救われていっている。
夕方5時を過ぎるとあたりはもう薄暗くなっていて、また不安感が襲ってきた。
こどもたちはまだやりたいと言っていたけど、僕の変化を長男は感じとり、帰ろと言ってくれた。
妻無しで過ごす一日。
長女次女とのピクニック。
そして、長男次男とのサッカー。
今日は子どもたちとがっつり過ごして体力的には疲れた。頭も思考しすぎて疲れた。でも、子どもと過ごせたということは良かった。
次男と2人きりになった時に、ふと
もし、もしもだけど、パパがいなくなったらどう思う?と聞いた。
まだ次男はこの質問を深く考える歳ではない。
最初はわかんないと言った次男。
もう一度聞くと、イヤだと答えた。
だって、サッカーやれなくなるじゃん。お兄ちゃんと2人だけじゃつまらないじゃん。
そう答えてくれた。
今までだったら、いなくなっても別にいいくらいに思われてるだろうなと思っていたけど、この言葉が聞けて嬉しかった。
この子たちに寂しい思いはさせてはいけないと思った。
全て捨てて他の人のところへ行くことや、死ぬことはいけない。
まだ、そう誓いきれない情けない自分もいるんだけど、頭ではわかっている。
夜、一日の疲れも出て息苦しくなってまた妻に手を繋いでもらった。
俺、パパやれてるかなぁと呟くと、
最近、末っ子がママとパパを間違えるようになったよと教えてくれた。ママのことをパパって呼んで、あ、パパじゃないじゃ〜んと笑うんだよ。
できてるかなぁとか、考えなくてもいいんじゃない?それが難しいんだろうけど。と妻。
妻は深く考えない人。
ほんとに考え方が違う。だからこそ色々なことがあってもやってこれた(妻が忘れてきてくれた?)し、ぶつかって苦しくもある。
妻に恋愛のようなときめきを求めるのは違うんだろう。彼女に感じていたときめきは麻薬のようなもので、満たされない心を満たしてくれていただけ。好きな気持ちや愛している気持ちは変わらないんだけど、自分の満足感のために彼女を利用することは違う。
妻との間にあるもっと違う何かに気づいて大切にしていかないといけない。
手を繋いで安心するように、それは恋とは違う、形の変わった愛なんだろう。
愛させてくれてありがとう。
また、明日。
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