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7日目 気楽にいこう

今朝は2回目が覚めた。でもそれは隣で寝ていた子どもたちがぐずり始めたからで、何もなければ朝まで眠れていたかもしれない。

11月なのに夏日が続いて、空が晴れやかだったけど、今日は少し曇っている。

天気の悪い日にどんな気分になるのかが少し怖い。

でも、朝起きて洗い物やキッチンを片付けているうちにまた少し気分は戻ってきた。

これまでのようなモヤモヤや顔の強張りが今日はあまり感じてなくて、でも、まだどこかで彼女のことがよぎると、いつもの歌を口ずさんでしまう。

朝、観たYouTubeでは、女性の心理士が不倫で終わった恋の執着について解説してくれた。

その執着の正体は、無条件の愛への欲望。そして、孤独により自分には価値がないと思ってしまう無価値感だという。
でも、別れても誰にも愛されない訳ではなく、孤独でも価値がないわけではない。それなのにそう思ってしまうのには認知の歪みという思考のクセがあるらしい。

一年半前にメンタルがボロボロだった時に、その心を埋めてくれた彼女。でも、本当は空っぽになった心を満たすのは、誰かではなくて自分自身であって、自分が自分を愛さなければならない。



一通りの動画を観て、冷静に自分の感情を振り返ることができた。

僕の悩みは、多くの人が経験している悩み。もちろん、それは彼女とのこと限定で、色々なことが絡みあってどうしたらよいのかわからなくなってしまった事実は、僕だけのものであるんだけど、それでも他者に解説してもらうことで少し客観的に思うことができた。

いつか、思い出も受け止めてモヤが晴れる日が来てほしい。


妻は、朝早く子どもたちに起こされて、眠そうにしていて、1時間寝かせてと言ってベッドへ戻って行った。

次男次女と過ごしながら、テレビで流れていた筋トレを少しやってみる。

彼女は毎日ストレッチをする人で、ダラダラとしたことが嫌いな人だった。

身体を鍛えて、周りを片付けて、自堕落な自分を抜け出したら、自信を取り戻せるだろうか。

そう思いながら、ちょっとだけ筋トレをする。

運動をすると頭がクリアになる。この爽快感は、きっとうつ病を抜けるのに大事なことなんだと思った。


今日は、昼に高校の友人が会ってくれることになっている。

支度をして、久しぶりに電車に乗った。

少し緊張はあったが、電車に乗れないということはなかった。電車の中では彼女の好きだった歌を聴いた。

Mrs.GREEN APPLE。
僕はあまり聴いたことがなかったんだけど、彼女はこの歌手が好きで、この人天才だと思うなんて話していた。

何の歌を教えてくれたんだっけと思い返しながら、

ケセラセラとMagicという曲を聴いた。

ケセラセラ。

いいよ。もっと気楽でいいよ。

と綺麗な歌声で流れる歌。

これからの僕には必要な歌だと思った。


彼女と別れて辛いけれど、こんな時に乗り越えるための曲を彼女はすでに教えてくれていたんだ。



都心の街について、ファミレスで友人と会った。やはり話し始めると涙が出てきた。彼にはすべのことを打ちあけられる。
友人は何も否定せず、自分の甘さを断ち切ろうとしている僕に、甘えも必要だと思うけどなと言ってくれた。

久しぶりに友人と会って、涙が流れながらも笑顔もたくさん出ていたと思う。

ファミレスが時間制だったようで、お店を出てから、友人と街を歩いた。昼間に友人と歩くなんて、学生時代以来かもしれない。

友人は僕をダーツに誘ってくれた。

若い頃に少し遊んだことがあるくらいだったけど、1時間行ってみることにした。

久しぶりにやったダーツだったけど、結構いい感じに投げることができて、ブルに入った時には高揚感や笑顔が出ていた。

やっぱり、うつ病じゃないんじゃないかなと本気で思ってきた。

次、病院に行ったら相談してみよう。

1時間ダーツを楽しんで友人とは別れた。話を聞いてくれただけで救われた気がする。

こうした方がいいなんて答えは何もない。
それでもいいってことなのかな。

自分と向き合い変わるべき。
甘えを断ち切るべき。
彼女と別れるべき。
家族と共に生きるべき。

僕の選択肢にはいつも〜すべきがついてくる。

その呪縛と逃げたい自分の追いかけっこがずっと続いていたのかもしれない。

その、〜すべきという悪魔が幻想だと思えたなら、もっと自分を好きでいられたのかな。

逃げではなく、楽しいと思える方向へ歩いていると思えたのかな。


夜、また違う友人が電話をかけてきてくれた。
彼もまた全てを肯定してくれた。

家庭で、嫌な自分を出していたことも、それは自分を守るだにそうせざるを得なかったんでしょ?と。

家族と向き合って大切に思えるようにしているということにも、それも無理して思う必要はないと思うと。

自分が心地よく生きれるように、自分の全てを肯定してあげることを教えてくれた。


変わりたいけど変われないかもしれない自分。
甘えたいし、甘えずにいたい自分。
彼女と別れたくないけど悩む自分。
家族と共に行きたいけどうまくできない自分。

その全てが白黒つかない中で、それでも自分を認めてあげること。それが僕には必要なことだったんだ。

友人との電話も、気楽に行こうぜとの言葉で終わった。


気楽に生きることの意味が今まであまりわからなかった。

今いる状況は、自分が招いた因果応報だと思っていた。

何かしないと。何か変えないと。何か断ち切らないといけないと思っていたけれど、そうではないみたいだ。


ケセラセラ。
気楽にいこう。

きっと、時間が何かを変えてくれる。


また、明日。

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