ポケットから靴下

少し眠い

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最近の記事

そっか

小学生からの付き合いで、ずっと仲の良い友達が色々あって社会人になってから借金生活を送っていて、こちらも飲み代を奢ったり、どうしようもない時はお金を貸したりしてた。 それに関しては何も思わないし、どうあろうとずっと友達だと思ってたんだけど、その人が裏で有る事無い事私のことを話してて、「あいつは金を貸してくれない」「飲むとよく怒る」「あいつは変わっちまった」などない事ばかりを共通の友達に話してたらしい。 そのせいで共通の友達は私のことを良くないイメージを持っていたし、先日久々に

    • 情熱はない

      9階建マンションの6階に住んでいるせいか真夏の日中も冷房をつけなくても生活できるくらいの熱さしかない。自分の世界の気温は28℃くらいなのに、洗濯を干すためにベランダに出ると35℃の世界が広がっていて心が折れたりする。暑さを言い訳にするのはどうかとは思うが、言い訳というレベルではないくらい暑いから今年は使わせていただく。暑くて日中外出できない。 今はとにかく海に行きたい気分で、近々どうにかして行こうと決心した。つい2時間前くらいに思い立ったことなので朝目覚めた時に同じ気持ちで

      • 日々びびび

        なんとなく毎日を過ごしている。 自分で言うことでもないが、仕事もそれなりに上手くいってるし、私生活もそれなりに上手くいっている。まあ、それなりの枠から出るほどではないが、それなりにいれることはそう簡単じゃないことは今では良くわかる。 学生の頃、今思えば悪くない毎日を過ごしていたはずなのにどうも煮え切らずどこか死にたいと思っていたのは生活の基準が高すぎたからなのだろう。ハードルを自分基準に調整すれば多分悪くない生活だったと今では思うよ。 さてさてと、時間軸は今に戻そう。

        • あの頃、俺を支えてくれた人、みんな幸せであってほしい。たまに気になってみんなに連絡社したりもする。幸せであってほしい。幸せで。

          たった数週間前の出来事でさえ、夢だったのではないかと勘違いするくらいに現実を生きている。 あの頃に夢見ていた未来とは程遠い今を生きていると、ありきたりな言葉を残してみる。全てが悪いわけではなくても、半分が悪ければ、それはもう悪い事になる。9の賛成より1の反対が強い声を持つ。 明日の体育の授業を楽しみにしていた少年は、明日に怯えて今を生きる。過去に戻れないなら今に閉じ込めてくれと願う。指折り数えてみても、指の数が足らない。足の指まで使えば理想に辿り着けるのだろうか。 2022

          雑記

          年が明けた。 昔からかしこまった挨拶がどうも苦手で、今年も新年初出勤前はそれが億劫で職場へと向かう足取りはいつも以上に重かった。 最近は友達や彼女といる時にしかお酒を飲まなくなり、体調は頗る良いが、人生初の座り仕事や車の購入などにより足腰を全く使わなくなったので筋力の衰えを強く感じる。基礎代謝も落ち、以前と比べると格段に太りやすく痩せにくくなった。正月の暴飲暴食で体重は55キロまで増え、ここ10日間はヨーグルトとサラダチキンばかりの生活をしているので、これを書いている今も脳

          コロナが流行り始めるタイミングで社会人になったせいか、「社会人だからできないこと」と「コロナ禍だからできないこと」の区別ができていない。休日に用もないのに電車に乗り、何処か降りた事のない駅で降りて適当に散策し、飽きたら帰る。下北沢のライブハウスに当日券で入場し、お酒を飲みながらゆったりと音楽を聴く。飛行機や新幹線を使いふらっと出かける一人旅。コロナが終わり、それらをする事に後ろめたさを感じなくなったら、学生の頃のように楽しめるのだろうか。学生の頃も3連休なんて殆どなかったから

          まあ、ね

          かつては毎日のように更新していたこの日記も、気づけば月に1、2回の更新が当たり前になってきた。毎日似たような時間に起き、働き、帰り、寝る、そんな代わり映えのしない日常の連続がそうさせるわけではなく、単純に“文章に起こす”という作業をする能力が著しく低下しているせいだ。こういう書き方をすると以前は能力が高かったように聞こえるが、もちろんそんな事はない。ただ、内容の質や文章力といった事を一切無視し、文字を書くということに関して言えば、それなりのー比べる対象もないから実際のところは

          不意

          あの花が10周年を迎えたらしく不意に死にたくなった。 当時ぼろぼろ涙しながら見たあの瞬間は10年前なのか。部活で秩父に試合に行けば駅や街にあの花のポスターが貼られていたり、グッズやらが売られていたりした。大学生になってからも車で行くのにちょうど良い距離ということもあり、月に一回くらいのペースであの花の舞台である秩父に行っていた。自分にアナザースカイなんてものがあるとすれば、それは地元から車で1時間とかからない秩父市になるだろう。 10年前という一点を指すような記憶ではなく

          曖昧で

          本日無事に25歳を迎えた。迎えたからといって何が変わるわけでもないし、何かを変えようと思っているわけでもない。変えようと思っていなくても勝手に変わっていくし、変えたくないと思っていても勝手に変わるものだという事を25年間も生きているとなんとなく分かってきた。もちろん、変えようと行動すれば自らの意思により変えていくこともできるが、それには勇気と労力と能力と運が必要なだけではなく、とてつもないやる気が必要だったりする。歳を取れば取るほど、やる気を伴った行動をすることがなくなる。年

          さまー

          1年以上経過したせいか大学時代を過剰に美化している自分がいることに気づく。「あの頃に戻りたい」と常々思うが、あの頃はあの頃で結構色々と苦労していた。学歴コンプレックス持ちで入学したせいで友達出来ず、なんか分からんがネットに偽の情報流され悪口書かれる等々、楽しいとは言い難い日々だった。 友達がいないから授業は基本1人で受ける為、授業教室に入ると席の確保が難しかったり、陽キャ軍の間に入る羽目になったりするので、いつもできるだけ早く教室にいるようにしていた。 食堂のシステムが分

          ららららんらんらん

          そろそろ25歳になる。 特に何かの節目ではないが、四捨五入すると30になる歳になるのかと思うと色々と考えなければいけなくなってきたなと思ったり思わなかったりだ。 近頃はLINEに誕生日を登録しておけば簡単に自分の誕生日を人に知らせることができるが、なんだか小っ恥ずかしいのでそれをする事ができない。ただ、7/11(セブンイレブン)と覚えやすい誕生日の為、なんだかんだ一回聞かれたりして答えると覚えてくれたりすることが多いので、それくらいで十分だ。 昨日出かけたバイト時代の後

          ららららんらんらん

          やりたい事が分からなくなったのはいつからだろうか。 欲しいものがなくなったのはいつからだろうか。 行きたい場所がなくなったのはいつからだろうか。 淡々と過ぎていく日常の中に確かになやりたくない事は存在して、それらに気力を吸い取られながら毎日をやり過ごしていく。乗り越えていくとか、成長していくとかそんな立派な言葉ではなく、あくまで「やり過ごしていく」。 「この日々は何処へ繋がっているのだろうか」なんて事を考えてしまうのが日曜の夜。正直そんなこと微塵も興味はないけれど、月

          ドライ

          今のマンション越してきてまだ1ヶ月も経っていないが住み慣れた我が家とはこの事かと言うくらい馴染んでいる。徒歩3分に駅、コンビニがあり、5分歩けばファミレス、ドンキ、マック、その他もろもろ大体ある。特に栄えた街ではないし、どちらかと言えば地方に分類される場所ではあるが、なんだかんだ暮らしやすい環境だ。ただ、「なんか上階に住むのカッコいい」という理由で6階の部屋にしたせいで、いちいち出かけるのにエレベーター乗るのが面倒。あと、セキュリティでマンションに入るのにも鍵必要だから、それ

          4月の半ばに愛媛での1年間の現場研修を終え、埼玉に帰ってきた。久しぶりに乗る電車、降りる駅、会う人、懐かしさを感じると思ったが、旅行から帰ってきたかのとうに自然に溶け込むことができた。 働いているとどうしても住んでいる場所は仕事の疲れを癒すためだけの拠点になってしまうし、通勤に使う道は、まだ出勤もしてもいないのに既に働いているような気分にさせられる。愛媛にいた時は愛媛県は働く場所だったし、知り合いは仕事関係の人しかいないから、何をするにも何処に行くにも仕事が離れる事なく後ろ

          日々に

          愛媛での生活を終え、現在埼玉に向かう新幹線の中である。“終わりよければ全て良し”などと言う間の全ての苦痛を無かったことにする言葉は好きではないので、良いとは言えない1年間であったという言葉で締めくくろう。唯一良かったと思える点は幾人かの同期と仲良くなれたことだろうか。全国の支店やら営業所に散り散りになった子達とは今でも偶に連絡をとっているし、これからも愛媛で働き続ける同期とも月一程で出かけたりしていた。今はまだコロナの影響で難しいだろうが、世の中やそれぞれの生活が落ち着いた頃