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孤独な夜に一緒にご飯を食べてくれるのなら、3万払ったってお釣りがくる

 幼い頃からひとりで外食させられていたせいか、ぼっち飯はまったく苦じゃない。居酒屋も寿司屋も焼肉屋も、なんならホテルのランチブッフェだってひとりで行く。ぼっち飯はいい。誰にも気を遣わなくて済むし、好きなように飲み食いしてサッと帰れる。

 だけど最近になって、「美味しいものは誰かと一緒に食べたい」と思うようになった。

 どんなに美味しいお店に行っても、Uberでお気に入りの商品を頼んでも、ひとりだと何だか味気ないし、さみしい。
 自分の内面が変化しつつあると気付いたとき、ホステス時代に出会ったとあるお客様がふと頭に浮かんだ。

 その方(以下、Aさん)との出会いは、今から8年ほど前のこと。Aさんは当時80歳で、見た目は普通のおじいちゃん。だけど中身は大層な遊び人で、「死ぬまで女の人と遊んでいたい」と豪語するような人だった。

 そのお歳でなんて元気なの、と驚いた覚えがある。
 初めて接客したときに何を話したかは忘れてしまったが、彼は私を気に入ってくれたらしい。何度目かの来店で、こう話を持ちかけられた。

「最近まで付き合っていた彼女が東京に行ってしまったから、新しい彼女を探してんねん。アンタどうや?」

 またまた、何を仰るのやら。
 聞けば、女子大生とそういう関係だったのだとか。
 はぁ、気持ちも身体もお若いなぁと呆れを通り越して感心していると、彼は「プレゼン」を開始した。

「家賃は出したるし、月10万でどうや? その代わり、月に何回か会うてそういうコトも込みやで」

 それは彼女というより愛人ではなかろうか。通り過ぎ去ったはずの呆れが逆走してくる。フッと吹き出しながら、私はあっけらかんと返した。

「月10万は安すぎるわ! 最低でも月50万はないと(笑)」

 実際に50万を出されたところで、誰の愛人になる気もない。こういうのは、飲み屋での"言葉のお遊び"だ。

「50万!? は~~アンタは高い女やなぁ」

「そうですよ、私は高い女なんです」

「そらあかん、アンタみたいな高い女はあかん」

 案の定、というか狙い通り、彼は手をパタパタ振りながら諦めてくれた。さぁて、どう会話を続けようか。コンマ数秒思案し、私は何気なくこう続けた。

「お昼にご飯食べるだけやったら、月3万でいいですよ」

 冗談のつもりだったのだ。
 昼に女と飯食って3万なんて、誰が出す。

 しかしAさんは目をキラキラさせながら前のめりになった。

「それええな! ご飯食べるだけで3万やろ? アンタの休みの日に?」

「え、ええ、そうですね……?」

「この歳になると、一緒にご飯食べてくれる人もおらんくて寂しいしなぁ……一緒に食べてくれるんなら嬉しいわ」

「あ、あらぁ」

「ほな、今月からよろしゅう頼む。いつにしよか?」

 冗談のはずだったのに、あれやあれやと話が纏まってしまい、正直困惑してしまった。
「え? ご飯だけで3万くれんの? ラッキー☆」と笑う自分と、「え……そんなうまい話あるぅ……?」と警戒する自分が右往左往する。Aさんは「いつにしよかどこにしよか」とノリノリだ。

 結局、直近の日曜に約束を取り決めた。

 当日。てっきりAさんと二人かと思いきや、待ち合わせ場所にはご友人のBさんも立っていた。

「せっかくならBさんもいた方が楽しい思うてなぁ」

 Bさんは70代。二人は家が近所なこともあり、毎朝コメダ珈琲でお茶を飲み交わす仲だ。店にもいつも一緒に来てくれる。

 私はAさんと知り合って日が浅かったこともあり、会話を振れる相手が増えたのは少し助かった。二人きりだと何を話していいか、まだ掴めていなかったから。なにより、これなら「色事」方面には流れないだろう。
 ご飯を食べた後はどうスムーズに帰ろうか、もしホテルに誘われたらどう言い訳をつけて逃げようか、その算段をあれこれ考えていたが、杞憂に終わった。

 その日は駅近くの和食屋でランチを食べ、食後のコーヒーを飲みに喫茶店へ。Bさんがトイレに立った隙を狙い、Aさんがテーブル下でこそっと諭吉三人を渡してきた。

「月初めに渡すから、とりあえず今月分はこれな。何か好きなもの買い。女の人は化粧品やら服やらお金かかるやろ」

 おずおずと、有難く受け取った。ランチして食後の一服をして、時計を見たら3時間も経っていない。いつもの勤務時間の1/3で、3倍を稼いでしまった。一回分、ではなく一月分だから、今月あと何回このランチ会があるか分からないけど。

 喫茶店を出ると、お日様がまだ高かった。「それじゃ帰るわ」とスタスタ歩き去るAさんと、その後をてくてく付いていくBさん。ご馳走様でしたと見送りながら、あっさり終わったランチ会にホッと一息つく。

「……せっかくだし、なんか買って帰るか」

 財布に入れた3万は、その日のうちにコスメと生活用品と本に消えた。

 それから数ヶ月、私とAさんのご飯会は続いた。Bさんと三人のときもあれば、Aさんと二人だけのときもあった。
 しかし私が朝昼晩のトリプルワークをしていたことや、休日は何かしら予定をさっさか入れてしまうこともあり、初回のような日曜ランチは月に一度ほど。
 あとは私のスナック出勤に合わせ、夕方から待ち合わせて食事をし、そのまま店に同伴がほとんどだった。

 いやそれ、ただの同伴やん。

 しかもAさんは毎回店に同伴料を払っていて、その同伴料はまるまる私の給料に還元されるわけで。
 結局、たった月に一度の日曜ランチのために、彼は私に3万渡していたことになる。

 その関係が3ヶ月続いたあたりで「あれ? これでええんか?」と思っていたが、クズなので黙っていた。

 何ヶ月か経ったとき、ようやくAさんが我に返った。

「なぁ、アンタ忙しい人やし、飯食べて店に来てばっかりやったら、何も変わらんな。今度から休みの日にご飯してくれたらその都度1万にしよか」

 ああー! ついにお気付きになられましたか! いやそうですよ、そうなんですよ!

「あはは、確かにそうですね」

「ほな、今度からそれで」

 その次からは月に一度、ランチで1万円の関係が始まった。お気付きだろうか。完全にジジ活である。関係性はホステスと客だし、パパ活や茶飯女子なんて言葉もまだない時代だったけれど。やってることは、まぁ、ジジ活茶飯女子と同じだ。

 Aさんとの日曜ランチ会はあったりなかったりで数年細々と続いた。3年前に店が潰れてからも、連絡は取り合っている。
 ただもう90歳手前なこともあり、ここ最近は足腰が弱って外に出られなくなってしまったのだそう。
 最後に会ったのはいつだったか。

 コロナ以降はこちらから「ご飯行きましょ」と誘えない状況だったので、あちらから誘われない限りは会っていない。出会った頃はシャキシャキ歩いていたAさんの姿も、この3年でどんどん小さくなっていっている。

「またアンタとご飯行きたいなぁ。祇園にも行きたい。暖かくなったら行けるかなぁ」

 "生存確認"を兼ねた月一のご機嫌伺いの電話。ああ、まだ声は元気だなと、毎度胸を撫で下ろす。

「暖かくなったら私が会いに行きますよ。それまで元気でいてくださいね」

 長生きしてくれ。せめて私が京都にいる間は。
 私と食事することで人生の一日がちょっと楽しくなるなら、いつでも付き合うから。
 これは多分、自分の親戚や祖父母に対する気持ちと似ているんだろう。

 たかがご飯を食べるだけで3万なんて安くない金額を渡してくれる気持ちが、8年前は分からなかった。寂しいのかな、とは思っても、その寂しさの本質を理解できなかった。

 今なら少しだけ分かる、気がする。

 コロナや年齢ゆえのライフスタイルの変化がきっかけで友人たちと疎遠になった今、気軽に食事に誘える友人がどれだけいるだろう。パッと考えてみても、20代の頃より随分減った。

 これから多分、もっと減っていく。
 結婚願望はあれど早々に諦め孤独死を覚悟しだしてから、晩年の自分はひとりぼっちなんじゃないだろうかと不安に襲われる夜が増えた。

 自分が行きたいお店に一緒に行ってくれて、美味しくご飯を食べてくれて、楽しく会話をしてくれる人。

 歳を取った先の自分に、そういう相手はいるんだろうか。
 もしいなければ、きっとお金を払ってでも誰かにお願いしたくなる。

 Aさんの場合は単に「若いお姉ちゃんと食事したい」というスケベ心が大きかったと思うが、最初に彼がぽつんと漏らした「一緒にご飯を食べてくれる人がいなくて寂しい」の一言が忘れられない。

 もしかしたら、こういうことだったのかな。

 真夜中に美味しくもないコンビニ弁当を食べながら、ふと、そんな気持ちが湧き上がった。

<了>

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