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減らないクリスマスケーキ、終わらないクリスマス、終わった日々

 クリスマスの思い出話をしよう。

 私の父は昨年まで、製菓関係のパッケージメーカーに勤めていた。お菓子の包装紙や容器などを作る会社だ。父は家業と兼業しながら何十年も勤務し、支社長的なポジションに就いていた。

 製菓関係は、今回のコロナ禍で打撃を食らった業界のひとつだ。人との交流が減り、贈答品の需要が減少。相次ぐ結婚式の延期や中止で、引き出物用のお菓子も売れなくなった。その結果、倒産や廃業を余儀なくされた製菓店・企業は少なくない。

 父の会社の主な取引先は、地元密着の中小企業だった。結論から言えば、コロナの流行から半年後、父の会社は倒産した。お菓子が売れないのだから、包装紙や容器の需要も減る。元々バブル以降は業績不振が続いていると聞いていたが、終わりは呆気なかった。

「これからどうするの? 家業だけやっていくの? 私、実家に戻ろうか?」

 倒産の電話を受け焦る私に、父は苦笑いでこう答えた。

「家業だけでもやる事はたくさんあるし、どうにかなるやろ。お前は自分のことに集中しろ」

 ダラダラと何年も大学院に居続け、修了する気配すらない娘。そんな状態で帰ってこられても……というわけだ。ド正論にグゥの音も出ず、「何かあったらすぐに連絡して」と返すしかなかった。

 ここまでが、前置き。

減らないクリスマスケーキ、終わらないクリスマス

 小学生の頃、毎年12月25日は「クリスマスケーキ攻め」に遭っていた。父が取引先から在庫を買い取らされていたからだ。

 当時は父と別居していて、普段は母と二人暮らし。週末や連休、長期休みは父の家(以下、実家)に帰るという生活を送っていた。冬休みの終業式が終わると父が迎えに来て、クリスマスは実家で。年によっては25日以降に終業式のパターンもあったが、大体クリスマスには休暇に突入していたと思う。

 実家に帰り、「ただいま」と祖父母に挨拶をし、茶の間にランドセルを置く。そして台所を覗くと、そこには正方形の白い箱が3個も4個も積まれていた。

 大きさで言えば4号か5号くらい。サンタやトナカイ、お家の砂糖菓子が乗った、可愛いホールケーキ。普通の子供なら、大喜びするところだ。

 なんて素敵なクリスマスだろう。私が洋菓子を嫌いでなければ。

メイン消費者不在のケーキ祭り

 今でこそケーキ大好き! 洋菓子大好き! な人間だが、子供の頃はクリームというクリームが苦手で仕方なかった。カスタードのシュークリームさえダメで、生クリームなんてもってのほか。美味しく頂けるようになったのは中学生からで、味に目覚めたきっかけはコンビニのショートケーキだったのだから、残念にも程がある。

 メイン消費者であるはずの私が食べないとなったら、我が家はどうなるか。大晦日まで、家族の主食がケーキになるのだ。

 朝ご飯は味噌汁とケーキ。昼ご飯はケーキ。夕飯はちゃんとご飯とおかずも出てくる。おかずの一品がケーキなだけで。

 一応、買い取るケーキの種類は選べたらしい。チョコレートケーキならギリギリ食べられる私に配慮してか、父は毎年それを選んでくれていた。
 それでもスポンジの間に挟まっているチョコクリームは食べられなかったので、クリームを取り除いたスポンジ部分と、表面のコーティングされたチョコだけを貪っていたのだが。

 私が食い荒らした残骸を、父と祖父母が食べる。「飽きた」と言わんばかりのうんざりした顔で、祖母が砂糖菓子をお湯に溶かして飲む。「それは飾りやけん、食べんでいいったい!」と父が止める。祖父は……よく覚えていないけれど、きっとお酒のアテに消費していたんだろう。

 生菓子の消費期限なんて、せいぜい2日か3日だ。だけど、戦争経験者の祖母(台所の女王)の前で、消費期限なんて概念は無い。冷蔵庫の中でカッチカチのパッサパサになっていくクリスマスケーキ。きちんと食べ終わるまで、我が家のクリスマスは終わらない。

 強度が増したサンタさんとトナカイをつんつんしながら、「お正月のお年玉はいくら貰えるかなぁ」と心を正月に飛ばしていた。

クリスマスの終焉

 毎年我が家の食卓を彩っていたクリスマスケーキも、私が洋菓子を克服した頃には無くなってしまった。父曰く、「お前食べんやないか」と。そりゃそうだ。

 サンタさんも来なくなった。正体に気付いているとバレたからだ。いつしかクリスマスは友達と過ごすことがデフォルトとなり、我が家のクリスマス文化は終焉を迎えた。

父とスイーツ

いつかのLINE

 クリスマス以外でも、父は定期的に取引先の高級食パンやお菓子を持って帰ってきていた。買い取らされたのか、貰ったのか、自分で買ったのか。車の中にも個装のお菓子を常備していて、車に乗るたびワクワクしたものだ(お菓子自体は好きな子供だった)。

 父は厳格な人で、滅多なことでは笑わない。年を取って丸くなったせいか、ここ10年ほどは笑う機会も増えたが、昔はとんと笑わない人だった。だからなのか、私の中で「父=甘い物が好き」という図式は成り立っていなかった。

 てっきり、会社が製菓関係だから、好みと拘らず甘い物を持っているのだと思っていたのだ。

 そうじゃないと気付いたのは、割と最近になってから。

 冒頭で書いたように、コロナ禍で会社員を辞めざるを得なくなった父。自宅に籠って家業に専念するのかと思いきや、すぐに空き物件を借り、そこを自分の仕事場にしてしまった。

「まだ倒産後の後処理も残っているし、何より、何十年も続けてきた生活サイクルを変えるとボケる」

 その言葉通り、朝は定刻に出勤し、夜は定時に帰ってくる。事務所で何をしているのかと聞けば、「家業の事務仕事をして、YouTube見てる」と。そしてたまに、スイーツを持って帰宅するのだ。

 ここ数年、実家へ帰省する度に、冷蔵庫の中で甘いモノが鎮座していた。地元で人気のパティスリーの物もあれば、コンビニやスーパーで売っている物もある。
 「私が帰るから用意してくれてるのかしらん?」とほっこりしていたが、どうも違うらしい。私がいない時にも何かしら買って、LINEで写真を送ってくるのだから。

父とケーキと猫と私

「あれ? この人ただのスイーツ大好き人間じゃね?」

 疑惑が確信に変わったのは、つい先日の帰省時だ。家族の一員だった愛猫が亡くなり、飛んで帰った次の日。火葬を終えてお骨を抱えながら帰る途中、父がボソッと呟いた。

「ポン太(※愛猫の名前)にお供えするから、ケーキ買って帰るぞ」

 そう言ってハンドルを切り、とある洋菓子店の駐車場に車を停めた。泣きじゃくっていた私は「こんな時にケーキなんて!!」と憤慨していたが、少し冷静になった今なら分かる。きっと父はあの時、愛猫を失った悲しさを少しでも紛らわしたかったのだろう。だって、誰よりもポン太を可愛がっていたのは父だから。

 「好きなもん選べ」と促され、泣き腫らした目でチーズケーキとシュークリーム、お供え用のクッキーを選んだ。もしかしたら、泣いている私を慰める目的もあったんだろうか。

 店からの帰り道、父がぽつぽつとケーキ屋の評判について語っていた。どこどこで修行した人が店を出して、どうのこうの。
 以前、愛猫を連れて動物病院から戻る途中も、お菓子屋さんに寄っていた。その時も「ここはシュークリームが有名でどうたらこうたら」と話していたのを思い出し、(甘い物、めっちゃ好きなんじゃん)とちょっと笑った。 

 「食べる気もせんわ」と泣いていたくせに、帰宅して飲み干すようにケーキとシュークリームを胃に収めた。生きているんだから食べないと仕方ない。モンブランとチョコケーキを選んだ父は、愛猫のために供養の祭壇を作っていた。

 私に子供が出来るまで、もう我が家にクリスマスは来ないし、晦日に帰っても猫はいない。今年は大晦日も正月も、きっと暗くて寂しい空間が広がっている。クリスマスの習慣も、猫がいた日々も終わったのだから。

 それでも、いちばん寂しい思いをしているであろう父のために、何か甘い物でも買って帰ろう。猫型のケーキなんて買って帰ったら、泣かせてしまうだろうか。

 <了>


 


 

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