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個性

#現代 社会の最大の過ちは、 #自由#独立#個性 、といった言葉の濫用にあります。

#神様 がお造りになったのかどうかはひとまず置くとして、人間も含めてすべての生き物は本来自由で独立しているものであって、改めてこれに目覚める必要はさらさらありません。

すべての生き物には個性や #多様性 は本来備わっているものであって、改めてこれを心配したり、育てたりしなくても良いし、ましてやこれを奪ったりすることは #創造主 以外には出来っこないのです。

「現代は個性を尊重し、独創性を育て、多様性を容認する時代」

一体なんのつもりでこんなばかげたことを言うのでしょうか。

こんなお気楽なことを言い出したのは、せいぜい、20世紀の後半に入ってからのことではないかと思いますが、それ以前とくらべて20世紀の後半から21世紀の今日までにどれほどの #天才 が出現したというのでしょうか。

考えてみるまでもありません、じつにお寒い限りです。

何故でしょう、人間の数は飛躍的に増えているし、経済状態も良くなって、未来の #芸術家 達に対する社会の理解や寛容度も比較にならぬ程進んでいるはずです。

#人類#人口 20億に達したのは1930年のことで、およそ15万年かかっているそうですが、次の20億人が増えるのには、その後たった45年しか要していません。

更に20億増えるのに必要な時間は、20数年という予測です。

これだと今頃は、天才だらけになっているはずなのですが。

優れた音楽演奏家が、それまで常識とされてきた #バッハ 解釈を覆すような演奏をして聴衆に感動を与えたり、優れた運動競技者が、常識を超えた発想の練習法や運動理論によって輝かしい記録をうちたてることと、日常の生活感覚や立ち居振る舞いが、普通人と違って奇異であることとの間には、何の関係もありません。

ここを勘違いして奇異に振る舞うことが、 才能ある証拠であるかの様に、未来の天才を気取る俗物どもが後を絶たないのには、心底うんざりさせられます。

愚にもつかない個性尊重 #教育 の弊害であると思うのですが、どんなものでしょうか。 

#模倣 から出発して独創へといたるみちはきっとあります。

しかし、独創をねらって模倣に終わるの愚を犯す者ばかりを増やしているのでは教育とはいえません。

自由であること、独立していること、個性的であること自体に価値があるわけではなく、生まれながらにして、それぞれが自由で、独立していて、独自の個性を備えている #人間 が、その成長過程において、どのような #行動規範 を身に着けるかで、その人間の値打ちが決まってくると教えるのが本当の教育ではないでしょうか。

「今だけ、金だけ、自分だけ」といった行動規範を身に着けた #自己愛性人格障害者 達が世界を破滅に導いてしまうまえに、ぜひとも良心的で良識的な行動規範を身に着けた次世代を育てなければなりません。


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