水成す女神は深淵にいざなう
みなさん、こんばんは。
今年もあともう少しで終わりですね。
(ちなみにこの記事を書いているうちにいつのまにか年をまたいでしまった 笑)
さて、わたしはといえば、この12月はまさに〝波乱の12月〟でありました。(例の予言通り??)
なんとなく忘れないために今夜も日記を書きますよ。
(中途半端に終わってしまったお話は何とか来年に続きを書けたらなぁと思ってます 笑)
12月20日。マイバースデー(!)に、仕事中、左の腿裏をしこたまぶつけて負傷。
その数日後、今度は母親が仕事中に左膝を負傷。
何で二人とも同じ時期に左足を?と思いつつも、母と娘の間に流れる何か(因縁?)がああなってこうなって…といろいろ思考を巡らしておりました。
それから、若干クサクサした気分(邪気が自浄で抜け切らない冬場に起こりがち…)に沈み込んでしまい、ずっと抜け出せなくなっていましたが、ある晴れた日に見た霊峰乗鞍岳(いのりのくら)のあまりの美しさに涙が溢れてしまい、イヤなものはすっかり持っていかれてしまいました(山に繋がるだけでやたら浄化される人 笑)
こういうことがあると、ようわからんけども、やっぱりわたしは神(自分が美しいと思うもの)とは切り離されて生きてはゆけない体質なのだ…と改めて思ってしまうのでした。
そして、仕事納めの12月28日。
今月いっぱいで職場を退職する女性に、個人的な挨拶とともにとても意味深な言葉をかけられる。
「◯◯さんは、この仕事向いてますよ。
わたしはずっとここにいて欲しいです。」
ほとんどあまり仕事のことなど個人的な話はしたことがなかった相手だったけど、潤んだ瞳で熱く言われたので、わたしもつい目を潤ませてしまい「頑張ってね」と精一杯励ましの言葉をかけました。
いや、しかしなんでわたしが仕事のことで若干モヤモヤしていた(仕事の時間減らしたいとか実は思っていた)のが分かったのだ?偶然?と思ったけど、これは彼女の言葉を通しての神の啓示なのだ、とわたしの超おめでたい脳みそが勝手に変換いたしました。
というわけで、次の日にこの職場に就職する決め手になったこの地の鎮守の神社に一年間見守ってくださった感謝の気持ちと退職する彼女の今後の幸せを祈りに行こうと思いました。
12月29日。
職場の鎮守さま、阿多由太さんへ…
この神社さんとの出逢いについてはいずれ詳しく語りたいと思っています。
神社の前を流れる荒城川。
その名は荒城郷からきているのだと思うが、荒(アラ)は鉄の古語だろうなぁと密かに思っている。関東の荒川、東北のアラハバキ然り…
ほのかに産鉄族のかほりが…
川の写真を撮っていると後ろから突風が吹いてくる。山上から龍のお出ましか?
振り返ると「おまえ来たのか?」と木々に降り積もった雪を盛大にぶっかけられた(笑)
なかなか挨拶しに来れなくてごめんなさい…
ここに到着した時から気になっていた空模様。
目の前に現れた雲の切れ間がどんどん広がり始めて、光のカーテンが揺らめくように出現しました。
なかなかドラマチックだなー
実は明日(12月30日)は、この川で〝みそぎ神事〟なるものが執り行われるのであった。
こんなやつ↓
絶対、秒で死ぬ(笑)
今の職場でひょんなことから神社の総代?役員?を担う愉快なおっちゃん(祝詞をあげたり神事もバンバン執り行う系)と仲良くなってしまい、「おめえ、神社好きならよぉ、これ参加せんけぇ?」とガチでこの神事に誘われていたのだった(笑)
なんて美味しい状況なんや!!と二つ返事で引き受けようとしたがその日は朝から妹たちを迎えに行かねばならず丁重にお断りいたしました。
これがなかったら確実に川で禊いで秒で死んだ姿をローカルニュースで放映されていたに違いない(笑)
〝河川敷で、「エイサ、エイサ」と船を漕ぐ動作の「鳥船行事」〟とな??
わたしはこの神社とご縁を持った瞬間から海の匂いのする神社やなーと思っていたのですが、これを知ってやはり海人族系か…と、ふふっと笑みが溢れましたよ。
鳥居に括り付けられた茅の輪。
こんなスタイルは初めて見た(笑)
ちなみにおっちゃん(と愉快な仲間たち)作。
雪国らしい神社の様相。
雲形の勾玉の神紋。三つ巴?
これもなかなか珍しい。
雪除けのビニールシートの中で、いつも通り(?)腰を下ろしてしばらく静かにしていると、背後から誰かになにか羽織り(衣)のようなものを掛けられたような気がした。
(立山の閻魔堂でもこの現象がよく起こるし、最近では三ヶ日の初生衣神社でも…)
これをやられた瞬間に白い衣の裾が自分の周囲にぶわーと広がる感じがしたのよね…
純白に包み込まれるような…
まるでこの神社を覆う雪のようだな。
ちなみにこちらの神社の御祭神は大歳御祖神という方です。
大歳神(通称:とっしどーん!笑)の母上様だそうです。
別名、神大市比売命。
そういや、大市さんて今年の夏至の日に導かれた(?)箸墓古墳の立て札にもそれらしいお名前があったな…なんてぼんやり考えていました。
市といえば市場の意もあるけど、市子とすればシャーマン、巫女の意ですよね。
ひょっとしたらもっとホリホリすれば、ヒダと大和を結ぶ大変重要な事実にも辿り着きそうだけど、妄想が長くなりそうなのでそろそろこの辺で止めときます(笑)
我らがヒダびとの祖霊社。磐座が盛大に雪に埋もれるの図(笑)
古代はここで神事が執り行われていたのではないか?とのこと。ここで座ってうんぬんかんぬんというお話を飛騨の古老が話していて、ハッとしたことがあった。このことについてはまたいずれ…
そして、ここから余談。
その古老が語るヒダの口碑について。
かつて大淡上方様(うわかたさま)という卑弥呼のような神通力を持った女王様が古代のヒダを治めていて、そこから兄弟として直系命、山下住水分命、山本住命の三つの流れがあぜちとして出たと…(あぜちとはヒダの言葉で分家という意味です)
そのうちの一つの流れの一族が名乗った姓がうちの母方の祖母の家と同じなので勝手にご縁を感じているのですが…(ここで盛大な妄想が入る)
この神社も実はその流れの一族がここを拠点としていたらしいので(この土地を護れと言われた云々)やはりこの神社には勝手にご縁を感じていたのでした。
そしてまたまた余談。
祖母がかつて「わたしがまだ若い頃に東京からとっても偉い先生が突然うちに訪ねてきて、うちのことや宮村のことをいろいろと調べていったよー」と教えてくれたのですが、このとっても偉い先生とは実は作家の坂口安吾その人のことではないかと密かに思っているのですよ。年代もなんだか妙に一致しているし…(この方はいろんな地方に出向いて歴史を調べていたり、ヒダの古代史についても結構ご執心だったはずなので)
たぶんこれですね。
まだしっかり読んでいない(笑)
まあ、この話もまたいつか検証したいな。
しかし、やりたいことばっかりだなぁ(笑)
祖霊社の磐座の脇を護るワンコマさん(山犬型の狛犬)が雪に埋れていたのでせっせと掘り出してあげる。
寒かろう、寒かろう!よーしよしよし!!(ムツゴロウさん風に)
感謝の言葉とお祈りを済ませてこの場を後にしました。ありがとうございました。
さて、12月30日。
とっても不思議な運命の1日のはじまり。
朝、水無神社から頂いた御朱印帳を眺めながら最後の1ページをどこの神社の御朱印にしようかな?と考えていて…(最後のスペース以外はもちろん全部他の神社さんの御朱印で埋まっております)
水無神社で最初に御朱印を頂いたのだから、しめ(最後のページ)も水無神社でまた同じ御朱印をいただいてこようかな?明日の大晦日だったら尚キリがいいかな?なんて思案してました。
うーん…でも本当にそれでいいのかな?まだ行かなければいけない神社があるのでは??そんなことを考えながら、妹と姪っ子たちを岐阜(関市)に迎えに行く準備を整えておりました。
わたしと母の足の怪我といい、また事故を起こしたりしたらどうしよう…(またなにか禍事が重なったら怖い)なんて戦々恐々としながら、寒波の迫り来る吹雪の道をゆっくりと車で走り出しました。(かなり視界が悪かったので高速はあえて避けて下道行きを選択した)
国道を南下するにつれて、当たり前のように雪はなくなったのですが、やはり恐怖は拭いきれず…
走行中、ガソリンを満タンにしてリセットした車の走行メーターのカウントにふと視線をやると、ちょうど「33.3」のゾロ目が目に飛び込んできました。
その時、突然頭の中に
「観世音菩薩の御守護を賜った」と言ったようなニュアンスの意識が何気に降ってきて、はい?となった。
フロントガラス越しの目の前には、阿多由太神社で見たような雲の切れ間から青空が覗き光のカーテンが揺らめくような不思議な光景が広がっていて…
それを見た瞬間に「何も心配はいらない…」とふっと肩の荷が降りたようなそんな感じを覚えました。
33…
ああ、たしかに観音様の数字やな…(観音様は33のお姿に化身するという)とその時妙に納得したのでした。
この場所から…
大変穏やかな場所(関市の道の駅平成)にようやく辿り着きました。
同じ県内とはとても思えない(笑)
さて、道の駅で少し休憩しながら、まだ待ち合わせの時間よりも大分時間があったので、恒例の神社探しを始めることに(時間が限られているので今回は自分の直感は使わずにスマホで情報を探ってみた)
最近は倭姫さんとか元伊勢に妙にご縁があったのでそれに関連する神社が近くにないかと検索をかけるが、あまり惹かれる神社がない…
じゃあ単純にこの近くにある神社を探してみるか…と、関市、神社、のワードで検索をかけてみると…
「水無神社」
と、結構ヒットする…
あ、あれ?なぜ関市に水無神社が??
興味が湧いたのでもっと調べてみると、どうも飛騨の一宮から分霊をいただいた神社なのだそうで…
木曽の方にも水無神社があることは知っていたのですが、ああ関(県内)にもあったのだ!とちょっと感慨深くなってしまい迷わずここに行こう!!と決めたのでした。(距離も道の駅から数キロしか離れていなかったため)
さて、道中雨降りで少し鬱陶しいなと思っていたところ、何気に「少しの間でいいので雨を晴らしてくれませんか」とお願いしたら、
「神社に着く頃には雨は止むでしょう」
と女性の意識が降ってきて少しびっくりした。
だ、だれ?
た、たしかに何故か行き先の方角が妙に明るくなってきたのですが??
そうこうしているうちに本当に雨が小降りになり神社に着いた瞬間にピタリと止んでしまった。
止むどころか眩しい太陽がで始める…
なんと!!うたてえこっちゃ…
太陽に照らされてピカピカの鳥居。
関の水無さん、はじめまして!
階段が何気に急で長いが…(笑)
そんなキツさもウキウキな気分にすっかり吹っ飛んでしまい、手招かれるままに階段を登っていった。
…八芒星に桜とな?
初めて見る神紋(ヒダの水無さんとは違う)
なんとマジカルな!
どうも無人の神社のようですが…
お社は扉が開いており、お賽銭箱のお隣に書き置きの御朱印を発見する!!
やったー!
お賽銭箱に300円を入れて御朱印ゲット!!
今朝、御朱印帳を眺めながら思った「水無神社の御朱印をいただく」とは実はこちらの神社の御朱印のことだったのだ、とこの瞬間妙に腑に落ちました。
妹たちとの待ち合わせ場所も浜松や一宮市ではなくあえて直感で関市を選んだ意味もすべてここに来るための伏線なのだと、だんだん思えてきた(笑)
失礼してお社の中に上がらせてもらいます。
ひかれたゴザの上で正座して、手を合わせておでこが床に着くくらいずっと平伏しておりました。
女性的な意識をバンバン感じながら…
この神社、御祭神を調べてみますと高照光姫神とあったのですが、ヒダの水無神社から分霊をいただいたのであればこの方はやはり…水無大神、御歳神?
もとい、下照姫?
あ、ひょっとしたらヒダらしく大淡方様なんて可能性も??(先程のヒダの口碑に出てきた方です)
さて、ここからは受け取った意識をメモ的に書いておこう。(超個人的感覚です)
ずっと待っていたということを伝えられる。
これからわたしのやるべきこと、やること(?)に対していろいろと渡したいものがある…
そんな意識が降りてきた瞬間に、首にそっと何かをかけられたような気がした。首飾り?いや、もしかして比礼(古代のスカーフのようなもの)か?
とにかく何か目に見えないエネルギーをもらったことには変わりないけども。
ちなみにその日はこのようなネックレスを選んで実際に身につけていましたよ。
バリのルドラクシャ(菩提樹の実)で繋いだネックレスにモルフォ蝶の翅のような光を放つラブラドライト(曹灰長石)のペンダントヘッドが付けられた一品。
「隠されたる真の太陽・シリウスの輝き」と勝手にインスピレーションが(笑)
この石(ネックレス)の意味と、この意識の主が何か関連があれば嬉しいな。
八芒星に桜にシリウスに…
うーん、とってもスピリチュアル(笑)
この存在といろいろ話した(?)あと、最後に母親の足は大丈夫でしょうか?と何気にきいてみたところ…
足は後遺症もなく治る。大丈夫。
時が解決する(自然に完治するということか…)
現状は常に移ろいゆく。
その揺らぎに心を惑わされぬように…
(あんた今ちょっと動揺しすぎ、気持ちがブレすぎ、と静かにたしなめられたようなニュアンスがあった)
と、助言賜りましたが…
わかっていてもなかなか難しいのよね…
慌ただしい日々に揉まれているとね、いろんなことをつい忘れてしまうのだ。
その言葉を受け取った瞬間にバシッとセンタリング(己の意識が自己のど真ん中、中央に収まる状態)ができたような気がして、なんだか涙が溢れてきてしまった…
かたじけなさになみだこぼるる…
…そう、わたしはまだまだ未熟者なのだ。
現世(物質世界)の荒波に揉まれながらも、しっかりと上(目に見えぬもの)と繋がって事を成していく、そういう揺るぎないライフスタイルを確立していくのが2022年の課題でもあるのかもしれないと思いました。(この存在と交流していて痛感した)
…しかし、わたしが今向き合っているこのお方とは一体何者なのだ??
御祭神の高照光姫神?なの?
ふと湧き起こったわたしの疑問に覆い被さるようにして、
「こうそ」とだけ言葉が降りてきた。
こうそ??
酵素??
はい?
聞き慣れない言葉なので、漢字をいろいろ当てはめてみて、一番しっくりきたのは、
高祖、もしくは皇祖
であった。
つまり…遠い遠いご先祖さまということ!!?
ちなみにこちらの神社の付近には水成という地名があって、やはり水無(みなし)とは水成し、つまり水を成すの意なのかなと思った次第。(ちなみにヒダにこのような地名はありません)
社伝に、奈良時代の宝亀5年(西暦775年)5月5日に飛騨国の水無神社より分霊を勧請して中之保宮本に奉遷し…とあるが、その頃よりずっとヒダの地では時代の移り変わりとともに隠され消されてしまったこの女神の性質を今もこの地は伝え続けているのではないか…
そんなインスピレーションがふつふつと湧いてきたのでした。
水成すミステリアスな女神との邂逅は、今後わたしをどこに連れていくのでしょうか…
というわけで、めでたく年も明けました。
それでは皆様、
2022年もよろしくお願いいたします。
人生の浮き沈み
ときに煩わしい波
けれども
それはわたしにしか踊れないdance
あなたにしか放つことができないvibration
さあ、勇気を持って
この世界を踊り切ろう
この記事が参加している募集
記事を最後までお読みいただき、ありがとうございます。 あなたのスキが励みになります♡