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日本社会には新陳代謝が必要。


早期退職で最下層の欲求が満たされる。

 早期退職から6ヶ月が経過した。とはいえ、社会人学生から社会人を取り除いて学生に戻ったに過ぎず、退職を機に世捨て人になった感はなく、思いのほか暇を持て余すことなく、細々とタスクが発生している。

 しかし、鉄道員だった頃と異なり、生活リズムの全てがシフトと時計に支配される生活から解放され、高卒で社会に出てからこれまで当たり前のように過ごしていた生活が、いかに不健全だったかを思い知らされる。

 寝たい時に寝て、食べたい時に食べることができない状況とは、マズローの欲求5段階説が正しければ、衣食住という人間の根源的な、生理的欲求に直結する部分が満たされていない状態を意味する。

 最下層の土台が満たされない限り、いくらピラミッドの上段にある、高次の欲求を満たそうとしても、大した意味をなさないことは、自由気ままな生活を行ったからこそ痛感している部分ではある。

代わりはいくらでも居る。でも人手不足。

 バスやトラックドライバーの2024年問題が話題となっている昨今だが、広義の運輸業の共通点として、免許が必要なものの、業務そのものは単純作業。しかし、自動運転で置き換えるのはコスト面が現実的ではない。

 これは人間を人間で置き換えることが、比較的容易な職種であることを意味し、代わりはいくらでも居ると暗に示すことで、人件費が安く抑えて酷使する方向のインセンティブが働く。

 また、公共インフラの一角を担っているため、ボロ儲けが許されず、国交省から運賃の上限規制が適用されていることも、いかに売上高を上げるかよりも、いかにコストを抑えるかに注力した方が手っ取り早く利益が得られる側面も、社畜化に一役買っているように思う。

 そんな業界で、いざ退職を切り出すと横槍のデパートなのだから不思議である。普段の代わりはいくらでも居ると豪語している姿はそこにない。採用にもコストが掛かるし、鉄道は免許取得費用も会社持ちだからだ。

 某中小私鉄で、700〜800万円の免許取得費用を負担してくれれば、運転士として採用する的な話が、一昔前に話題となったことから、1年近い研修期間と、それ位の費用が掛かるのだろう。

 営業利益/社員数で求める、ひとり当たり営業利益が首都圏の大手私鉄だと100〜200万円程度で、仮に200万円と仮定しても、免許取得費用の元を取るのに4年掛かる訳で、養成費用を回収することなく退職した身としては、これまで大切に扱ってこなかった代償を支払っているだけと感じる。

 代わりはいくらでも居るのに人手不足…ではなく、人手という名の奴隷不足だから、今居る奴隷に代わりはいくらでも居ると脅して、こき使わないとやりくり出来ない状況に瀕していると表現するのが適切ではないだろうか。

組織にしがみ付く必要のない生き方。

 そんな状況なら辞めれば良いのに。生きるための仕事であって、仕事のために生きている訳ではないのだから…と思う私が少数派なのは、雇用の流動性の低さにあるからだろう。

 バブル崩壊後の失われた30年で、日本経済は長期低迷。学歴至上主義が蔓延り、大卒の就活が激化した結果、非大卒が中心のブルーカラーの職場にも進出している。

 これは非大卒側の立場からすれば、最終学歴が大卒でないだけで、転職が不利に働くことを意味し、それが不満があっても現職でしがみ付く他ないと諦めを生み、付け上がった経営陣が社畜化を加速させる。

 雇用の流動性が低いから、経営陣はどんなにブラック化しても、どうせ辞めないだろう的な慢心を生む。雇用の流動性が高く、嫌なら即辞めしても何とでもなる状況が当たり前な社会なら、社畜化の牽制にもなるし、従業員を大切にした方が結果として安上がりだと気付くだろう。

 本来、労使のパワーバランスは対等であるべきだが、現状を見る限り、使用者側が力こそパワー状態で、労働者の立場が弱すぎる。

 「東は西武で西東武」でお馴染み池袋の百貨店で、交渉決裂に伴うストライキが決行されたのは記憶に新しいが、ストに対する世間の反応は冷ややかなものだった肌感覚があり、この一件に日本的経営の年功序列、終身雇用、企業別組合の悪しき縮図を見ている気分だった。

 勤続年数を重ねるだけで昇給するから個人が自発的に学ばない。低賃金でも雇用を守るという大義名分で我慢して、使用者の言いなりになり、労働組合が企業別だから、労使協調路線で御用化しやすい。

 そうしてお客様至上主義が蔓延った結果、労働者の正当な権利主張であるストよりも、百貨店が営業していないのは困る的な大衆の意見が優先され、結果として労働者軽視、顧客重視の経営を行った結果が、縮小再生産を繰り返して経済が長期低迷している現状に他ならない。

 だから日本社会には新陳代謝が必要と考える。ジョブ型雇用でいつレイオフされるか分からない状態は労働者にとって脅威かもしれないが、人材価値を高めるために学び直す動機になり、賃金が見合っていないと感じれば、決裂したら退職しても良い覚悟で、賃金交渉も強気に出られる。

 何より使用者側にとっても転職が容易で、いつ退職を切り出される分からない状況もまた、人材確保のプレッシャーに繋がり、一定程度の緊張感は、なぁなぁまぁまぁの馴れ合いを防ぐだけでなく、組織の村社会化を防ぎ、恐怖政治体質からのコンプラ違反による不祥事も減ることだろう。

 産業別組合ならコネクションを形成することで、同業他社への鞍替えが容易になるかもしれない。今居る場所に囚われない人生の方が、多くの人は魅力的に映ることだろう。

 そんなガラガラポンは現実的ではないかもしれないが、個人が金融リテラシーを高め、資産所得の後ろ盾を得て当面の生活不安がなくなると、やってられねぇと思ったら即座に辞表を叩きつけられる心理的余裕が生まれる。

 そうして、自分のポジションにしがみ付くことなく、別の人に譲れるような、組織に依存しない生き方を心掛けることで、現状の残念な社会システムでも、十分に新陳代謝が高められるように思う。

 私は仕事が原因で大きな病気をしたのを機に退職に踏み切ったが、副産物的に電鉄会社や動力車操縦者のポストを手放したことで、幼い頃からの夢を叶えられる人の枠がひとつ空いたと思えば、合わないと思ったらサクッと辞めるのも、別に世間が思うほど悪いことではないように思う。

 そんな価値観がこの記事を媒介に広まれば、執筆者冥利に尽きる。


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