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弱者に自己責任論を押し付けた末路。


無敵の人、要人襲撃、強盗が蔓延る社会。

 かつて私が賃金労働者だった頃、変則的な勤務形態が仇となり、20代半ばで大病を患った。死亡確率がそこそこ高かったため、即時入院、手術に至り、病気休暇となるまでは良かったが、問題になったのは容態回復後の復帰の処遇である。

 使用者側は現状維持、人命軽視な処遇を提示したため交渉決裂。結果として早期退職を断行した。そもそも自由契約の解除に断行の表現を用いること自体がおかしな話だが…。

  想像するに最近の無敵の人事件や、要人襲撃事件、強盗事件の類に至るのも、生きるのに精一杯なギリギリの日常から、何かしらの不運によって社会的、金銭的に詰みとなり、追い詰められたことで、社会への復讐という動機が生まれるのだろう。

 高齢者は支援が必要と認識されて公的に支えられる一方で、若年層の弱者ほど若さを理由に切り捨てられる。誤解を恐れず記すと、女性は性風俗産業がセーフティーネットとして機能している側面があるが、男性にはそのオプションがない分、詰むときは一瞬で詰む。

 そんな、自己責任論が蔓延る若者に冷酷な日本社会では、既にこんな筈ではない人生を歩んでいる人は決して少なくない筈で、運よく時代の潮流から弱者に陥らなかっただけの、大した実力もなく偉そうにしているオッサンから、説教を垂らされても逆効果なのは想像に難くない。

 既に棒に振っているような人生で、正攻法での挽回が不可能な無理ゲー社会なら、いっそのことワンチャン一発逆転が狙えそうな、非合法な行為に走りたいと思う気持ちは理解できる。そうして無敵の人事件は増加の一途を辿るのだろう。

ムラ社会的不文律が、学び直しの障壁に。

 運悪く新卒一括採用の枠から漏れ、食い繋ぐために仕方なく非正規で雇用されたり、就職浪人すると、その経歴が事実上、排除の仕組みとして働き、再挑戦ができなくなるキャリアシステム。

 だからこそ、法律で禁止されている訳でもないのに、一度社会に出て、そこそこの年数が経過して、そこそこの蓄えもあるであろう、20代後半〜30代で、退職して2〜3年間フラフラしようとは誰も思わない。

 それはキャリアにブランクが生じると、正規雇用の枠組みに戻る難易度が格段に上がってしまう、ムラ社会にも似た不文律から来るものである何よりの証拠ではないだろうか。

 この不文律が蔓延るからこそ、高卒で一度社会に出た者が、お金を貯めてキャリアアップのために、一度退職して大学で学び直すリカレント教育が、米国社会のように一般化していない。

 それにも関わらず、学歴至上主義社会の弊害もあり、判断能力が十分とは言い難い高校生の段階で、奨学金という名の教育ローンを借りて、平均288万円の借金を背負った状態で社会に出るか、一度高卒で社会に出て、働きながら学位を取得するベリーハードな道を選ぶかの二択を迫られる。

 賃金労働者として、それなりに有利な立場で居たいと思う人の多くが前者を選び、最長18年に渡る教育ローンの返済が付き纏う。結果として教育ローンが経済的な重荷となり、少子化に拍車が掛かった状態が現代だろう。

 私は他人と違う道を選ぶ嫌いがあるため、後者を選択したが、経験則として大卒資格で一発逆転の夢は見ない方が良い。

キャリアと採用方針の不一致による悲劇。

 第二新卒枠で滑り込める25歳辺りまでは、学歴や資格、人柄などのポテンシャル面で評価されるため、高卒で社会に出てから3年以内に学位を取得する道は、自己投資に見合うだけの成果が得られる可能性が高い。

 ところが、20代後半以降の求人となると、中途採用の色合いが強くなるため、一般的に即戦力を要求される。故に学歴より職務経歴が重視され、前者は求職者数を絞るためのゲタ以上でも以下でもなくなる。

 つまり、ブルーカラー非大卒ノンキャリア組の枠組みに見切りをつけて、ホワイトカラー大卒キャリア組に転向しようと、社会に出てから学位だけ取ったところで、当たり前だがホワイトカラーに要求される職歴を有していない。

 学歴がないことを理由に、転職市場から排除されてきた非大卒は、それを補ったところで、今度はキャリアがないことを理由に排除される。その境界が肌感覚では25歳前後と言ったところである。

 しかし、かつての私がそうであったように、高卒で社会に出て、働く過程で自身に足りない何かや、学びたいことを見つけて、自らの意思で学び直しを決断するプロセスを、社会に出てから3年以内に実行できる人はまず居ない。

 結局のところ、学位を得たところで、非大卒現業職に準じたキャリアしかない場合、そこから上はガラスの天井で覆われている残酷さを、大卒資格さえあればと、たらればで夢が見れなくなった分、現実を直視する他なく、ただただ悲劇としか言いようがない。

 学校を出た直後に就いた職種で、サラリーマン人生の、煎じ詰めると生涯賃金の大枠が決まり、そこから落ちることはあっても、上がることはない社会。

 そして、不幸にも若年で落ちてしまうと、若さを理由に家庭以外では援助を受けられず、頼みの綱である家庭に問題があった瞬間に、社会のあらゆる統計から抜け漏れ、そもそも問題として可視化されることなく、誰の手助けも得られないまま埋没していく。

 冷静に考えて、年金が生活設計のベースにある高齢者を、税金で就労支援するシルバー人材センターを運営する前に、収入に何の後ろ盾もなく、正規雇用システムから抜け漏れてしまった若年層を支援すべきではないだろうか。

 しかし、衆愚政治故のシルバー民主主義が蔓延り、若者に冷酷な社会であり続けた結果が、「一票」ではなく「一発」で変える、恐怖社会が表面化しているに過ぎない。

 機械化、自動化によってブルーカラーが失業したように、これからAIの台頭によって、ホワイトカラーも失業する時代になるかも知れない。

 そんな誰もが失業の可能性がある、大失業時代に変容する未来が垣間見えるからこそ、ベーシックインカムで全国民一律に最低限の収入を保証して、失敗しても誰もがやり直せる社会に、我々が導いていくことが、将来世代のためにも重要ではないだろうか。


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