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カウンターオファーは決して受けない。

退職を切り出す際は強気で。

 過日、上役に退職する旨を切り出した際に待遇改善で配置転換を打診され、それでも辞めるつもりか意向を確認されたが、答えは変わらなかった。むしろ内心ふざけるなと思っていた。

 以前に体調不安があることを伝えた際には黙殺。業務を継続した結果、ストレス過多で大病を患い、入院、手術をした後も、異動すら認めなかった組織が、退職を切り出すと待遇改善など虫が良過ぎるからである。

 これまで正当な評価、取扱いをして来なかったが、部下に退職されると次の人事査定に影響が出るかも知れない。退職されるくらいなら、社内政治力を駆使して希望の部署に異動させて、何事もなかったかのようにやり過ごそう的な意図が垣間見えるため、おとなしくその手に乗るほど、つまらないものはない。

 それでも首を横に振り続けていると、転職先も決めずに辞めるなんて〜と、もはや感情論で誹謗中傷してるだけと捉えられても不思議ではない暴言が出てくる有様で、本当にしょうもない奴ばかりの組織であることを、改めて痛感した場面だった。

 側から見たらアテもなく辞める、堪え性のない青二才に見えるのかも知れないが、こちとら高卒で社会に出てから、それなりの歳月を要して金融資産所得と生活費用が均衡するか、インカムの方が少し多い領域まで、文字通り身を削って実現した訳で、怖いものなど金融恐慌くらいなものである。

 そんな、賃金労働者として何十年も生きてきた輩には、想像できない複利の後ろ盾を得ているのだから、今更、甘いことを囁かれたところで、その手に乗ることはない。

人生は有限。舵取りは自分次第。

 もし仮にカウンターオファーを受けた場合、待遇改善が確約されるとは限らないだけでなく、万が一にも退職をチラつかせたことに起因して、同僚との待遇に大きな差が生まれた場合、それが現場で大きな溝となる可能性が非常に高い。

 その組織内で人間関係を拗らせれば、結果として長持ちせず、そうなった未来にカウンターオファーなど受けずに、当初自分が思い描いた選択をしておけばよかったと後悔が残る気がしてならない。

 人生は一度きりである。日本人の大多数が、賃金労働者として社会システムの枠組みに嵌った生き方を選んでいる。というよりも、国にとって最も都合の良い賃金労働者を選ぶように、9年間の義務教育と、3年間以上の高等教育で仕向けられていると表現するべきか。

 確かに周囲と歩調をさえ合わせていれば、大して人生設計を考える必要がないから、楽なのかもしれない。島国特有の仲間外れ(村八分)にされる恐怖感にも苛まれない生き方だろう。

 しかし、この生き方を続ける限り、人生においてお金、時間、体力が全て揃う時期がないに等しい。社会に出るまでは時間と体力はあるが、実家が太くない限りお金はない。社会人はお金と体力はあるが時間がない。定年後はお金と時間はあるが体力がない。

 自分の人生の舵取りをするのは、他の誰でもない自分であり、選択の全てにおいて誰かが意見することはあっても、それに大人しく従ったところで、責任を取ってくれることはまずない。

 そんな視点で考えながら、一企業の賃金労働者として、カウンターオファーを受けて留まるべきか、最初の意思を断行すべきかどうか。価値観は人それぞれだし、守るべきもの、背負っているものがある人は、自分の意思と最適解とのギャップに悩まされるかも知れない。それでも、優先順位を明確にしていれば、自ずと答えは浮かび上がるだろう。

人生での優先順位を明確にしておく。

 一度、実現可能性は無視して、人生でやりたいことを100個くらい列挙してみて、具体的に何歳くらいまでに叶えたい。若しくは叶えられそうか、いわゆるバケットリストの作成をお勧めする。

 100個以上思い浮かぶ人はバンバン挙げて頂きたいが、賃金労働者としての経年が長い人ほど、メンタルブロックにより無意識下で否定してしまい、100個も思い浮かばないはずだ。

 20代単身者の私ですら、初めて取り掛かった時に100個も浮かばなかったからこそ、一旦、実現可能性を無視することが何より重要である。

 誰に見せないであろうバケットリストである。スケールの大きさは気にしなくて良い。宇宙旅行や世界一周旅行から、近所の気になるあの場所やお店に行きたいまで様々あって良い。今はお金がなくて手が出ないあれこれが欲しい。この資格を取りたいなど、方法論は棚上げして、思いつくままにリストアップすることが重要である。

 そうして100個捻出してから、それを何歳までに叶えたいか。今はできないけど何歳なら実現できそうかを、ざっくり10歳刻みでも良いから書き込み、全部終わったら若い順に並べ替えてみる。

 そうすると、やりたいことの中で、定年後でも叶えられる性質のものは殆ど残らず、定年を迎える時期よりも前に集中しているはずである。

 私は「プライベートジェットの搭乗体験」など、独力では金銭面的な障壁から晩年まで叶えられそうもないものを除けば、「銭湯、温泉巡り」や「心ゆくまで読書する」程度しか残らなかった。後者は老眼や加齢による集中力の低下を考慮したら、あまり現実的ではないかもしれない。

 これまで賃金労働者として受動的に生きてきた人は、恐らく現状のやりたいことが満足に出来ていない、労働に終始する状態が定年まで続くため、バケットリストを消化するためには、休暇の在り方など、人生の何かを変えようと努めなければ叶えるのは難しいだろう。

 リストに100個列挙されているとして、もし仮に毎週ひとつ消化しても、1年間は52週間のため最低2年は要する。そう考えると、いかに人生が長いように思えて短いか思い知るだろう。

 私はこれに気付いた時、賃金労働者で時間を切り売りしなければならない性質上、生きていくのに困らないだけのお金が工面できれば、あとは必要な時に必要な分だけ稼ぐべきで、無尽蔵に貯蓄(死蔵)すべきではないと考えるようになった。

 お金はあの世に持っていけない。最期に大金を遺して亡くなる方は多いが、それは時間の切り売りで得たお金を、自分のために使いきれなかった可能性が高く、人生の時間を捨てたようなもので、非常にもったいないと感じてしまう。だからこそバケットリストを通じて、人生における優先順位を明確にすることが必要ではないだろうか。


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