若手のキャリア感、公務員離れは必然。
有望な人ほどキャリア官僚を選ばない時代。
先日、人事院が2023年度の国家公務員総合職試験、いわゆるキャリア官僚の合格者を発表した。大学別で最多となるのは東京大学の構図は変わらないものの、2,000人超の中の1割にも満たない200人割れで過去最少となった。
東大卒キャリア官僚が10年で半減しているのは、何も東京大学のレベルが落ちている訳でなく、激務、サービス残業と言ったブラック職場のイメージから敬遠され、そもそもの申込者数が減少傾向にあり、新聞記事にもあるように、東大出身者の方が、その減り方が大きいことが、最大の要因と言える。
安定の代名詞とも言える公務員だが、先述のマイナスイメージや、公文書改ざんを指示され、それを苦に自決した職員は記憶に新しく、国家に対する不透明さから来る不信感から、試験対策に難儀する割に、それを乗り越えた先で、仕事にやりがいが見出せない印象が先行するのだろう。
それにいくら雇用面での不安がなく、安定しているとはいえ、肝心の賃金が激務に見合っているかと問われると怪しく、いくらキャリア官僚と言えど、1年目の年収で400〜500万円程度が関の山だろう。
外資系企業であれば新卒でも年収1,000万円超が射程圏内となる高学歴故に、いくら国のためとはいえ、能力が発揮できるかも怪しい年功序列制で、賃金半分、サビ残のデパートの実態が浮き彫りになっている中、やりがいだけでこの不遇感を拭うのは難しい。
結果として、有望な人ほどキャリア官僚を始めとする、公務員全般を積極的には選ばない傾向となっている時代に思える。
対岸の火事では済まない、公人の質低下。
別に高学歴でもなければ、有名企業が欲しがるような人材価値を持ち合わせている訳もなく、ひたすら単純作業の繰り返しで、スキルが貯まらず年齢だけ重ねてきた、早期退職前の私のような、低賃金かつ重税で、働けど生活が良くならない末端の労働者からすれば、公務員ザマァwと、人の不幸は蜜の味的な側面が強い。
そんな末端の労働者からすれば、仕事そのものが付加価値を生み出している訳でもないにも関わらず、自分たちより高給取りな、目の上のたんこぶでしかない公務員がブラック化して、優秀な人材が確保できなくなっても自業自得だし、自分たちには関係ないとすら思う節はある。
その一方で、公人の質の低下が顕著になるのは、国力の観点で如何なものかとも考える。
某専門学校のバーベキューで、教師が炭に消毒用アルコールを追加して、生徒が焼死した事故は記憶に新しい。
私の学生時代、首都圏とはいえ郊外の学校だったこともあり、既に理科の授業で使わなくなった、アルコールランプを扱った最後辺りの世代だと思うが、普段なら多少おちゃらけているくらいなら怒らない理科教諭が、ふざけている同級生をキツく叱っていた記憶がある。
アルコールが引火することの危険性くらい、高卒で社会に出た、決して世間一般の物差しで高学歴ではない部類の私でも知っている。
だから常識的に考えれば、アルコールを燃料代わりに使おうとはまず考えない筈だが、専門分野が畑違いの美容専門学校では、その常識が欠落した結果、悲劇が起きた。
有望な人が見切りを付けている公人でも、昔よりも成り手の質が低下すれば、同じような頭の悪い事故が、公立の学校で起こる可能性はゼロではなく、成り手の質が低下したことで、一般常識が欠落していても、生徒にモノを教える立場に成れてしまう。
なおかつ、大学の教職課程から教諭の道が大多数では、外部の社会を知らない人が教育の場を仕切ることになり、内輪で自浄作用も働きにくいのは、いささか考えものである。
先日、役場の手続きミスによって、私に面倒ごとが降りかかって来たのも例外ではなく、公人の質低下は、民間人にとっても対岸の火事では済まされないのである。
若手のキャリア感と、世間とのギャップ。
そもそも現在新卒として社会に出ている、Z世代が思うキャリア感と、中堅ベテラン世代が考えるキャリア感は結構違うと、前者側の肌感覚として思う。
ブラック企業で潰される若手が続出したことから、働き方改革という名の規制でそれなりにホワイト化し、〜ハラなどのコンプライアンスがうるさくなったことから、大企業ほど押し並べてぬるま湯化して、ホワイト過ぎて辞めたい若者が話題となった。
主因としては成長が見込めない。キャリアが早期に構築できない。と言った焦りから来るものだが、なぜそこまでキャリア形成にこだわるかと言えば、経団連とトヨタが、終身雇用のギブアップ宣言をして、一社で定年まで勤められない不安感に帰結する。
2040年頃にAIやロボットの発達により、今の仕事の8割が無くなるとも言われている。40代以上なら下手に動かず、このまま逃げ切る選択肢があるが、10代〜30代の労働者は、ほぼ間違いなく直撃する。
そのため会社が傾いても、自分の能力で路頭に迷わない独立願望の強さが、成長環境を求めることに繋がり、それが発展するとホワイト過ぎて辞めたいとなる。
定年で逃げ切る気満々のおっさんが、安全圏から最近の若者は実に我儘でけしからんと言っても、憧れることはなく、むしろそんな上司を放置している会社への嫌悪感や不信感が募り、短期間で見切りを付けて離職する。
私は世代毎の価値観の違いから、純粋に行動原理が理解できない時には、なぜその考えに至るのか、世代間の認知の歪みの究明を試みるが、往々にして上の世代から「そこまでシビアに考えたことがなかった」と茶化される。
物事をシビアに考えなければならない、若者に冷酷な日本社会にした結果が、高学歴エリートの官僚離れに繋がっている側面を、既得権益で甘く生きている層ほどシビアに考えなければ、日本の国力は低下の一途を辿る気がしてならない。
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