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不安定な時代こそ、身軽な方が良い?

管理不行届防止のために洗練させる。

 先日、職場の荷物を10分足らずで整理してロッカーを開け渡した。これまでも異動や転職で荷物をまとめる機会は何度かあったが、自己ベスト更新である。やはり持ち物は少ないに限る。

 そもそも日本では雇用規制があり、突然失職することは極めて稀だが、「明日から来なくて良いよ」という、自宅待機で賃金が貰えるボーナスフレーズを言われた時のために、いつでも居なくなれる状態を平時から心掛けているだけである。

 いつでも社会から消されても構わない覚悟と言うよりは、定住することに対する執着の無さと表現した方が適切かもしれない。だからこそ見苦しくしがみついている人を見ると、心の底から軽蔑したくなる性分なのだろう。

 初めて異動を経験した際は、半年前に出ていった先輩が丸三日位掛けて、券売機のロール紙が入る段ボールの空箱を、何個も重ねていたのに対して、私がものの15分で段ボール一箱にサクッとまとめ、異動する様子があまりに対照的だったことから、職場でミニマリスト呼ばわりされる所以になった。

 世間一般的な認識では、持ち物に対しての思い入れが強い人ほど溜め込み、思い入れがない人ほど執着せず手放す印象が強いと思われる。

 しかし、私はどちらかと言えば思い入れが強過ぎるが故に、ひとつひとつの状態を事細かに把握したい性分で、ひとつひとつを適切に管理しようと思うと、自ずと数量を洗練させなければ管理が行き届かない。

 人の認知資源が有限である以上、管理できるモノの総量には限度がある。だからこそ、所持品が生半可であることが許せず、世の中にありふれる多くのモノの保有を受け入れない。結果として持ち物が少ない状態が維持できている。

人類史の大部分は狩猟採集型。

 そもそも、現代の生活様式としてすっかり定着している、ひとつの地域に根付く農耕型社会的な生活スタイルは、人類史600万年のうちのここ1万年と短く、どれほど科学技術が発展しようと、我々の遺伝子は狩猟採集時代から殆ど変化していない。

 その証拠にスマートフォンやSNSの通知機能でドーパミン中毒となり、薬物依存症と同等の状態に陥っている人が増えている。当たり前だと思っている農耕型の定住スタイルを前提に、我々は所有物を増やすものの、実は本能的な欲求とは反対である可能性が高い。

 コロナ前は会社の重役などで金銭的に余裕のある人が、示しを合わせたかのように週末にゴルフをしたり、コロナ禍で地方移住が注目されていたのは、それだけ移動して自然豊かな場所で暮らしたいと、どちらかと言えば狩猟採集時代に沿う生き方を無意識的に望むことで生まれた、根源的な欲求である可能性が高い。

 文明批判になってしまうが、せっかく天気の良い日に、オフィスの室内で、空調管理されて室温が一定で無風な空間で、外の空気もロクに吸えずに半日過ごす、サラリーマン的な生活は不自然極まりない。

 我々の遺伝子はそれらに適用していないからこそ、奴隷染みた過酷な肉体労働でもないのに、心身に不調をきたしてしまうのではないだろうか。

 通説によると、人類社会の大半が狩猟採集型から農耕型に切り替わったのは、気候が安定するようになったかららしい。裏を返せば、気候が不安定だとせっかく種を蒔いても作物が実らないリスクがあるから、狩猟採集型が適していた訳だ。

 では現代社会はどうだろうか。気候変動が騒がれているし、自然災害は増加傾向。猛暑や厳寒も珍しくない。氷河期時代と比べれば安定している範疇だろうが、少なくとも30年前のバブル崩壊以前の時代と比べれば不安定だろう。

 とはいえ、一次産業に従事する人の割合が、就業者全体の5%と決して多くなく、ハウス栽培や輸入できる点が江戸時代と異なり、気候が不安定だから即座に飢饉とはならない構造上、せっかく種を蒔いても作物が実らないリスクを、現代なら天候ではなく雇用環境に読み換えた方が妥当かも知れない。

身軽だと生き方を都度最適化できる。

 ご存知の通り、学歴至上主義社会が蔓延り、学費の高騰と相まって借金を背負い社会に出る若者は増加。やりたいことを我慢して必死に勉強して、大卒になったからと言って、専業主婦/夫と子供が養えるだけの職に就けるとは限らず、むしろ低賃金のため少数派だろう。

 それでいて国民負担率が半分近くとなっており、経団連やトヨタが終身雇用のギブアップ宣言までしたのだから、どう考えても不安定である。

 そんな時代でも、子どもが社会に出るために、保護者が20年前後の期間と、2,000万円〜3,000万円の私金を投じて養育し、公共教育や公的支援制度も含めたら、税金もそれなりに投入されている。

 それにも関わらず、いざ社会に出るとブラック企業に酷使され、ものの数年で使い潰され、壊れた心身と奨学金という名の借金だけが残るような、せっかく種を蒔いても、実らないケースは決して少なくない。

 定住を前提に人生設計をしたからこそ、社会システムの枠組みにすっぽり嵌ってしまい、首が回らなくなって心身を病む。当然、社会復帰には相当な時間や労力が必要になる。

 それを考えると、一見不安定に見えるかも知れない、狩猟採集時代のような、物理的な持ち物に限らず、精神的な制約もない身軽な状態で、不安定な情勢の変化に応じて、生き方を都度最適化した方が、人生100年時代においては持続可能性が高そうに思える。

 世の中が良しとするような、社会の持続可能性を高めるような生き方は、個人に物凄い負荷をかけ、時々壊れることを考えると、狩猟採集チックに生きた方が、生涯で社会に還元できる価値の総量は、農耕型という名のレールの上の人生より高くなりそうに思える。

 私自身に当てはめるなら、個人投資家の生き方がそれに当たると考えており、サラリーがある賃金労働者と比較して、一見不安定そうに見えるが、投資先がヤバいと感じたら現金化して、別の将来有望な銘柄に乗り換えられる点で自由度が高く、先行き不透明な時代には合理的だと考える所以である。


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