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誹謗中傷について

身内でもなくよく知りもしない方の命について語るのは自分の中でもどうなのかなと思ったのですが、自分も思うところがあって少し時間をおいて誹謗中傷の件について書かせていただきます、どうもRです。

誹謗中傷は僕も過去に一度だけ受けておりました。

10年くらい前に当時の『2ちゃん。』でむちゃくちゃに書かれており、最終的に「2人くらい人を殺した」ことになっていました(笑)。

現役の教員や生徒、保護者はRがそんな人ではないとわかってくれていたので良かったのですが、新しく入ってきた生徒などはRの名前で検索するものですからそれを真に受けて色々と面倒くさいことが何度かありました(当時卒業生を出したばかりで、書き込みがちょうど一年で終わったのを見ると、浪人生のストレス発散だったんだと思います)。僕含め何人か書かれていて、周りに相談しても「R先生は人気者だから」、「教員も芸能人と同じで有名税みたいなもんだよね」と言われ、当時は傷付きながらも諦めていました。

ただ、人との衝突は初めてではなく、過去にも同じような話をしたかもしれませんが、目立っていたのか必ず一部の人間からは嫌われていたように思います(やはり自分にも原因があるんでしょうね)。自分の意見を主張すると、誰かの意見を否定することになりますからね、 どうしてもぶつかってしまうんですね(僕も頑固なところがあるので)。

しかし、全く同じ人間なんていません、人間は1人1人違うのだから、それを認められればぶつかることなんてないんですよ。本来はそうあるべきなんだと思っています。

あと、誹謗中傷する人は、「人(自分)に合わせなければいけない」という正義感から誹謗中傷をしているので、本人は正しいことやっていると思っているんでしょうね。そして、人間は多数派を形成したい生き物なので、数を増やそうと扇動します(ほっとくとそうなる)。

今回の件でいえば、そもそもがTwitterというのがそういう人たちが群れやすい仕組みになっています。だから、TwitterなどのSNSは意見を発言する場でもありますが、そういう群れやすい人たちのところに飛び込んでいくわけですから、覚悟もしなければいけません。

しかし、最初に言った通り、人はみんな違うのだから、よく自分のことを知りもしない他人からの批判なんて気にしなくていいと思っています。他人は好き勝手言うものなのですから。全部聞いていたらキリがない。

今回は(詳しく知らなくて申し訳ないですが)、自粛期間ということもあり、自分の世界が家とSNSだけとなってしまい「それが全てだ」と勘違いし、自ら命を絶ってしまったんだと思っています。

いじめを苦に、若くして自ら命を絶つ子たちもそうです。たった10年ちょっとしか生きていない中で、その辛い時期が一生続く(または「狭い視野でこれが全てだ」)と勘違いしてしまう…、しかし、絶対にそんなことはありません。

未来は明るいんだよ、楽しいんだよとやはり大人が教えてあげるべきなんじゃないでしょうかね。子どもは大人の背中を見て育ちます。そして大人は大人で、それを生きがいにして欲しいですね。常にどんなときも大きな存在でいて、すべて笑い飛ばして欲しいと思います。

大人の美学を追及して欲しいと思います。

まぁ他人は好き勝手に言いたいことを言ってくるかもしれませんが、自分の発言や行動には、常に注意を払い、責任を持たなければいけないと思っています。

昔、クラスのHRで「明日は母の日だ、お母さんに感謝しよう。別に贈り物をしなくてもいい。ただ言葉で良いから伝えよう。」という(自分なりに生徒にとって良いことだと思う)話をしたことがありました。Classiに同様の内容を入れたので、それを読んだ管理職の先生から次の日に、「お母さんがいない子もいる。君の発言で傷ついた子がいたかもしれない。気を付けた方が良いよ。」と言われて、「確かにそこまで考えていなかったなぁ」と反省し、その日以来、HRなどで二度と生徒に母の日、父の日の話をしなくなりました。決して悪意はありませんでしたが、聞いた人がどう思うか、ということまでよく考えて発言するべきだったと思っています。

また、少し話はズレますが、

テレビで使われる言葉なども変わってきたように思います。

「オネエタレント」に対するコメントであっても、昔はテレビで「オカマ」という呼称を使っていましたが、「オカマ」という呼び名は第三者が気軽に使うべきではないとして、「オネエ」と呼び方を変えるようになりました。

これは「見た目は男性、心は女性」といった生き方を認めるのが当たり前の時代になり、その結果「オネエ(キャラ)」への接し方が根本的に変わったからでしょう。もちろん、教員が使う言葉として、性に関する「オカマ」や「男(女)らしく」という言葉は不適切です。本人に悪意がなくても、不愉快に感じる人がいる時点で不適切です。

また、結婚した夫婦でも「子ども」に対する考え方は様々であること(「欲しくてもできない」「子どもはいらないと思っている」など)から、TVでプライベートな領域には踏み込まないようになってきました。そもそも、こういったプライベートな領域には普段の会話でも自分から話してこない限り、なかなか踏み込むべきではないのでしょう。

更に、女芸人であっても、一昔前は「モテない」「振られてばかり」といったキャラが定番で、周囲も「ブスイジり」をするのが普通でしたが、最近では女性芸人に対してそんないじり方をすれば即大炎上でしょう。

要は「人を傷つける(可能性がある)発言は控えよう」という至極真っ当な話なんですけどね。そういう時代なんだと思います。R(の世代)も、その辺りはアップデートしていかなければいけないんだと思います。

しかし…そうなってくると、逆にみんな言いづらいことをぶっちゃけて言える人(許される人)というのが脚光を浴びるようになってくるものです。太陽の光が強くなればなるほど、影がくっきりと色濃くなるように(よく分からない例えですが…笑)。「これはダメ」と禁止されていることが【フリ】となって、笑いになることがあるからです(だから、きっとみんな言いづらいことをハッキリ言うビートたけしや、ダウンタウン、爆笑問題、マツコデラックス、個人的に大好きな鬼越トマホークなど、毒舌でブラックな笑いというのは今後も根強く支持を得ていくと思います)。

もちろん、Rも「教師」という肩書が【フリ】になっています。

教師=固い真面目な仕事というイメージがありますからね。だからこそ、よく叩かれもしますが…(苦笑)。でも、こんな教師が1人くらいいてもいいじゃないですか。許してください(笑)。

ではではRでした。

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