「喫茶ランドリー」とフルーツサンドに、ひふみ
学生時代の苦手科目は数学でした。数学の全部が苦手というわけではありませんでした。とにかくもうすっごく苦手だったのが「幾何」(「図形」関連全般)でした。その「幾何」で、その言葉が嫌いだった!の一番目に思い出されるのが
補助線
「ここにこうやって、補助線を引くでしょ、そうすると、ほら、、、」というのが、とてもアレルギー。
そんなこと思いつかへんわ、と。それが思いつかへん限り、ずっと終わらへんやん、答えに行かへんやん。どないしよ、って、ずーっと、モヤモヤしてなアカンのかい! 気づかへんなんて、鈍いやん!アカンやん!と言われているとさえ感じたものでした。当時、思いました。もっと気付きやすいようにしてよ、補助線を引いたら良いことに。ここに補助線引いたらええんや!、そう、もっと匂わせてよ、って。そう、その方面に鈍いんや、僕は!と。
そういう勘の悪さ、鈍さのようなものは、幾何の試験から遠く離れた今も残っているような気がします。
そんな補助線アレルギーの私に、補助線ってええで、と教えてくれる記事に出会いました。
この記事の「補助線」という言葉がハートに突き刺さりました。
たとえば白い紙を渡し、「自由に描いていいよ」と言われても少し戸惑いますよね。でも、何らかの補助線が引かれていると、人はそこを拠り所に、より楽しめる、能動的になれる。
私の苦手だった幾何とは違って、 #喫茶ランドリー さんは最初から「補助線」が見えるようにしてくれているんですね。それが「デザインなのだ!」と。自分でどうにかして閃いて見つけ出す、自力な「補助線」じゃない。デザインされていて、ちょっとばかりぼんやりしていても、鈍くても「これなんやろ?」って気付ける「補助線」なんですね、きっと。
喫茶ランドリーでのクラフトビールの実例のお話を読んで思ったのは、このような「補助線」の助けもあって得られた体験って、その現場でのコミュニケーションを活性化するだけでなく、その現場から離れた場所で「実は、喫茶ランドリーでクラフトビールを飲んだら、こんなことがあってね、、、」と、家族や友人に語りたくなる、そんなコミュニケーションにも繋がるのではないか、と感じました。
そういうことが色々と起きれば起きるほどに、喫茶ランドリーやクラフトビールが暮らしの一部になっていく人が増えたりするんじゃないかな、って。
大西さんのこの記事で”オルグウェア” という言葉、生まれて初めて触れました。
オルグウェア:お客さんがうまくビールが注げるように、入れ方のコツを言葉で伝え、また上手くいかないこと(アクシデント)が起きてもコミュニケーションでサポートし続けることとした。
で、いつもの悪い癖ですが、私の意識は、投資信託や資産形成(コツコツ投資)に飛んでしまいました。
様々な現状認識があると思いますが、私自身、依然として「投資信託」のイメージは今ひとつパッとしないし、「資産形成(コツコツ投資)」ってまだまだごく一部の人たちだけのもの、とい捉えています。
資産形成って山あり、谷ありの市況が相手です。「xxxショック!」みたいなことが忘れた頃にやってきたり、なんだかよく分からないけど、バンバン株価が騰がったりして、そうしたこと、アクシデントと呼んでもいいでしょう、それらに半ば反射的に出した判断、行動が理由で立ち去っていく人も多かったりで。「資産形成なんて、上手くいかないよ」って。
それを思うと、このオルグウェアの実装、進化が投資信託にはとても大切かもしれない、と思いました。オルグウェア的な意識を感じる会社も現れてきてますけどね。例えば、 #tsumiki証券 にはその雰囲気を感じます。
ソフトとハードの間を取り持ち、そこに居る人々の心のスイッチを入れるもの。コミュニケーションのデザイン、もしくは組織化するためのデザインとも言えます。良質なオルグウェアがないと、その「場」は全く人間的に機能していきません。
#オルグウェア 、脳味噌に刻み込みました。
それと同時に、「投資信託で資産形成に取り組んでみたんだけど、実は、こんなことがあってね、、、」と、語りたくなるような「補助線」が、投資信託には、あまりにも少ないのではないか、と思ったのです。この文脈で、時折、大間違いが起きてしまいます。「あの投資信託で、めっちゃ儲かったのよ」というアレです。これは残念ながら「補助線」にならない、と思うのです。その話を聞いて、買っちゃったりすると、大体の場合、上手くいきません。上手くいかない理由は、「めっちゃ儲かったのよ」と話す人も、それを聞いて真に受けてマネする人も、「投資とは」をしっかりと理解できていないから、です。「補助線」が違っていると結論が異なってしまいます。
投資信託の運用経過の報告、月次レポートに、「それ、補助線かな?」と頻繁に感じる箇所があります。市況や投資先の株価の話題に終始しているレポート。市況や株価が自分たちの力でどうにかできるものであれば、そこを懸命に語る意味はあるでしょう。確かに、狙い通りに高値で売り抜けたら、あるいは、投資先の株価が跳ねたら、それを自慢したい気持ちは分からなくもないです。でも、自分ではどうにもならない市場を相手にして、ずーっと、そう上手くいくわけありません。投信会社がそうしたことばかり語っていると、「あの投資信託で、めっちゃ儲かったのよ」というアレが起きちゃう気がします。
「投資とは」の本質を捉えつつ、誰かに語りたくなる体験をデザインするには、「補助線」を描くには、投信会社は何を為すべきなのでしょう。
このフルーツサンドのレシピについて、
『既存のものに疑いを持てているか?』
『より良くするために考え抜いているか?』
もっと良くできないか?
その追求する姿勢が、僕たちを遠くまで連れて行ってくれるのである。
投資信託のうち、ファンドマネジャーが投資先を選別するアクティブファンド。
料理に喩えられることがあります。投資先を選別してポートフォリオを運用する過程で、選別が考え抜かれたものか、どんな調査を行い、分析を経て、どんな仮説を基に判断されたのか、料理に喩えると、それらが素材であり、レシピです。現状、それらの要素をきちんと示せているアクティブファンドは極めて少ないのが実状です。それが、「投資信託」のイメージがイマイチであり続けている理由の一つだと考えています。ポートフォリオから考え抜かれている!と感じることができれば、きっとそのファンド、ファンドマネジャーへの信頼が深まる可能性が非常に高いと思うのです。
上記のプロセスを丁寧に実践し、かつ、それをしっかりと伝えようとする姿勢が示すこと、それが積み重ねられることで、それが誰かに語りたくなる体験になると思うのです。ファンドマネジャーの報告や説明、イベントが「補助線」に。
先日、リブランディングに挑んだ #ひふみ投信 #ひふみワールド の舞台裏、リブランドに至るプロセスを紹介した記事が公開されました。
この挑戦、私は評価しています。
投資信託と長く付き合う。そのお付き合いがあったからこその「語りたくなる経験」。それがドンドンと積み重なっていくかどうか。そして、「語られる」のは、「儲かった、損した」ということではなく、「ファンドを通じて、こんな出会いがあったよ、学びや発見があったよ。日々の暮らしが楽しくなったよ。」というものが増えるような「補助線」を沢山引いてほしいな、と期待しています。
そんな志ある投信会社が増えてほしい、日々、その願いを強くしています。
話があっちゃこっちゃに飛びまくりましたが、「補助線」ってええなあ、と気づかせてくれた、喫茶ランドリーさん、実は我が家から徒歩圏内なんです。
「喫茶ランドリー」は、無数の「補助線のデザイン」を引くことを意識してつくった、グランドレベル最初のプロジェクトです。いらしたことがない方、この機会にぜひ一度遊びにきてくださいね!
近いうちにお邪魔せな。