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小説にあって物語にはないもの(文字について・03)

 小説にあって物語にはないものがあります。今回は、誰が見ても明らかなもの、誰の目にでも付くものを挙げてみます。

 空白と黒いページです。

 読んでいて不意に現れる白い部分、真っ黒なページですから、目に付くはずです。

 こうしたものは、物語にはありませんでした。あり得なかったというべきでしょう。

 ここで言う物語とは、もとが口頭で語られ、長い間口頭で伝えられていたものです。口承文学とも呼ばれています。それが写本や版画の類いを経て、現在は印刷物として文字(活字)になった形で読まれているのです。

 ここで言う小説とは、ある個人が一人で書いた原稿が印刷されたものを想定しています。つまり、活字で組まれたものです。この小説という形式は、長い文学の歴史では新しい(novel)ジャンルなのです。

 今回の記事は長くなりました。お忙しい方は、まとめだけでもお読みください。


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 読んでいて不意に現れる白い部分とか、真っ黒なページは、印刷物の発想ではないでしょうか。

 そもそも、白と黒という視覚的なイメージは、口頭で語られ伝えられてきた物語にはそぐわないものと言えそうです。

 前置きが長くなりました。実例を見てみましょう。まず、黒塗りの頁です。

 ローレンス・スターン作の『トリストラム・シャンディ』(原題:The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman)にあるこの真っ黒なページは、登場人物の一人であるヨリックの死を悼む形で出てきます。

 こんなことは、口伝や写本という形で空間的に広まり時間的に伝えられてきた物語ではありえません。

 白い紙に黒いインクが染みた文字という印刷物を想定して書かれた小説でしかありえない「ブックデザイン」なのです。

 この全九巻の小説は、1759年から1767年にかけて分けて出版されたそうです。

 小説という形式の文学が登場してまもないころに、このような前衛的とも言えるブックデザインをものしたのですから、ローレンス・スターンはすごいと思います。

 この作品のすごい点は、それだけにとどまらないのですが、そのすごさについては、ウィキペディアの解説をご覧ください。

 ブックデザインというと、装丁に限らず、タイポグラフィ、レイアウト、日本語であればルビや約物の使用といった広義のデザインを含みます。

 小説に話を絞れば、たとえばレイアウトと特定のフォントや約物の使用を作者が指定する行為自体が、物語にはないもの、つまり視覚的な側面が作品の重要な要素になることを意味します。

(ただし、視覚的な側面と言っても、あくまでもテキストレベル、つまり活字としての文字や文字列の見た目や字面の話であって、付加的な挿絵や、物体としての書物の装飾的側面である装丁を指すものではありません。言い換えると、あくまでも活字の「白と黒の世界」の話なのです。)

 音読した場合に伝わりにくい、あるいは伝わらないものが、新しいジャンルとしての小説(novel)には必然としてあると言えるでしょう。そこが、口承文学だった物語との大きな違いです。

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 上で紹介した『トリストラム・シャンディ』の写真でも、右ページの黒塗りだけでなく、左ページには「Alas, poor YORICK !」(ああ、哀れなヨリック!)の下に空白が見られますが、空白については別の作品に出てくるものを見てみます。

 ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』を、読むと言うよりも、ページをめくりながら眺めていると気づくことがあります。第十章と第十一章だけが極端に短いのです。

  ↓ 2:14 Through the Looking Glass - Chapter XI


 どうしてなのかについては、いろいろな解釈があるようですが、私にとっては「夢から覚めて」こうなったという展開だけが衝撃的です。

 それより前の章では、あれだけ言葉を費やして饒舌に夢が語られていたのに、夢から覚めると、突然言葉が消える。白地に黒の点と線からなる文字の長い長い連なりが、いきなり途絶える。

 それが「目ざめ(WAKING)」なのです。

 白地に黒の文字の世界が、いきなり白だけになるという衝撃を噛みしめたいと思います。 

 高山宏先生の「覚醒めざめとは、幻滅なのだ。」(多田幸蔵訳・ルイス・キャロル作『鏡の国のアリス』旺文社文庫の解説より・p.206)という言葉を思いだします。「げんじつ」とは「げんめつ」だとも取れそうです。

 高山先生は、大学生になったばかりの私にハーマン・メルヴィルの『白鯨』とルイス・キャロルの「アリス」の面白さを教えてくださった恩人です。当時は、私の通っていた大学で、非常勤講師として英語の授業を受け持っていらっしゃいました。

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 英国の文学、とりわけ小説(novel)はすごいです。上の二作品については、お話ししたいことがいろいろあるのですけど、体調を考慮して自粛します。

 それにしても、どうして印刷された文書(テキスト)の基本は、白地に黒の文字なのでしょう? どうして白と黒なのでしょう?

 考えるたびに、学校の美術の授業で習った光の三原色と色の三原色の話に出てくる、白と黒を思い浮かべるのですけど、いくらなんでも安易な連想というものでしょう。

まとめ

 今回お話ししたことを例文を挙げて、まとめてみます。

Ⅰ 黒いページ

A)

 突然、部屋が暗くなった。
「あら、停電かしら」
「びっくりした。僕は暗いのが苦手なんだ」
「暗くてもいいわ、話を続けてよ」
「何の話だっけ?」
(……)

 小説の一節でしょうか。内容はともかく、ごく普通の書き方の文章です。

B) 

 突然、部屋が暗くなった。
「あら、停電かしら」
「びっくりした。僕は暗いのが苦手なんだ」
「暗くてもいいわ、話を続けてよ」
「何の話だっけ?」
「白地に黒で文字が書かれているって話よ」
「そうそう、黒地に白じゃなくてね」
(……)

 仮にの話です。小説を読んでいて、あるページをめくったら、いきなり黒のページに上のように書かれていたと想像してみてください。

 A)と比べると、B)は口頭で伝えられていた物語を文字として再現したものではありえない書き方がなされていると言えます。印刷という技術によってつくられた黒の地のページがそれなりの意味を持っているようなのです。印刷され活字として読まれることを想定して書かれた文章とも言えます。

 小説にはあって物語にはないもの(物語ではありえないもの)が突然現れたのです。

Ⅱ 空白

A) 

 その年、二人は結ばれた。
 そして、一年が過ぎた。
 二人に男の子が授かった。
 そして、二年が過ぎた――。
 二人に女子が授かった。
 そして、三年が過ぎた――。
 二人に男の子が授かった。
(……)

B)

 その年、二人は結ばれた。
 
 そして、一年が過ぎた。
 二人に男の子が授かった。
 

 そして、二年が過ぎた――。
 二人に女子が授かった。
 
 

 そして、三年が過ぎた――。
 二人に男の子が授かった。
(……)

 これも仮にの話です。A)と比べるとB)は妙な書き方をしてあります。律儀に一行、二行、三行の空白があります。これも、内容はともかく、一人の作者があれこれ考えながら書く小説ではありえても、口頭で伝えられてきた物語を文章にしたものではありえないと言えそうです。

 上の駄文はさておき、もし、たとえば小説において一行が空いていたとすれば、その空白を無視するべきではないと私は考えています。ある意味「空白」でもある、句読点の位置や有無についても同じです。

 自分の書く文章では句読点にルーズな者が偉そうなことを言って、申し訳ありません。

Ⅲ 村上龍

 陳腐なうえに見苦しい文章を例に挙げて、大変失礼いたしました。私の大好きな村上龍の作品を引用して終わりたいと思います。

 私は、その別の音を聞いてみようとアイスクリームを舐めながら神経を集中した。
 ずっとシンガポールなんです、ずっ・と・シ・ン・ガ・ポー・ル・な・ん・で・す、雑音がひどいラジオから注意深く音を拾うようにして、女の言葉に絡まる別の音を聞いた。
 アイスクリームおいしいねずっとシンガポールなんです、と聞こえた。

『村上龍料理小説集』の「Subject 5」に面白い試みがあります。

 ある男性が昔関係のあった女性と偶然に再会する。女性の横には小さな女の子がいる。男性は女性と会話しながら、同時にその女の子とも「会話する」。そんな話なのですが、母親である女性の話す言葉がルビの小さな活字になっています。

(ルビを施された)通常の大きさの活字が女の子の話している言葉だという趣向です。実際に話している相手は母親のほうですから、このルビは逆転しているとも言えます。

 この短編(掌編)では、上で挙げたようなルビの付いた会話が、しばらく続きます。

 ネタバレにならないように気をつけて要約しましたが、ルビの使い方という点ではネタバレになったかもしれません。ごめんなさい。こんなルビの楽しみ方もあるということで、ご勘弁願います。

 大切なのは、この作品のこの書き方に、小説にあって物語にはないものが立ち現れていることです。

 ここで言う「小説にあって物語にはないもの」は音読したさいには伝わらなかったり、伝えにくい点もまた大切だと思います。

 小説は視覚芸術だと私は考えています。目で鑑賞できる部分を見ないのは、もったいないです。

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 あと、もう一つ、小説にあって物語にはないものの例を挙げたいのですが、これは文字通り長い長い話になりますので、次回にまわすことにします。

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