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生きるって

3日前から、実家に帰省。母が入院する間ステージ4の父の側にいるために。
トイレ徘徊というらしい。30分、酷い時は5分置きに行く。もちろん、行くだけ。何も出るはずない。
眠れず鬱気味になったり、たまに記憶がおかしくなったり。
歩行も支えがなければ不安定だ。

30代の父は、片手の指2本が届けばどこでも這い上がっていける筋力が自慢だった。
溶接で自作したベンチプレス、バーベルで鍛え上げ、バイクに乗り、海をこよなく愛する自慢の父だ。
人に厳しいが、自分にはもっと厳しく、義理人情を重んじる。
群れを好まず、他人に迷惑をかけるのが大嫌い。
若い頃から高倉健に似ているとよく言われ、でも本人は「男前」と言われる事に苛立ちを覚えていたと言う。
顔なんてどうでもいい、中身やろう?といつも言ってた。

三交代の仕事をしていたから、小学校の参観日、仕事前に革ジャンにバイクでちょろっと顔を出してくれるのが嬉しかった。
庭でバック転をして、私の同級生の男子達に羨望の眼差しを向けられていたっけ。
空手の型やパンチや受け身を教えられ、小3の誕生日プレゼントに、明日のジョーの赤いグローブを渡された時は、複雑な気持ちだった。小3だから、3キロ泳げ!と和歌山の片男波を何往復もさせられ、泳ぎ切った私の太ももはみみず腫れが出来、血が滲んでいた。今の時代なら完全アウトだな。
当時大雨でドブ川が氾濫したから、何があっても大丈夫なように、と泳ぎは徹底的に仕込まれた。
監視員に「全責任は俺が取る」と大人用プールにも放り込まれ、何百メートルも泳がされたなぁ。
時間に厳しく、待ち合わせに遅れて張り手をくらい、なぜかスローモーションになり「あ、マンガでみるシーンだな」と思いながら吹っ飛びながら商店街の自転車をなぎ倒していった。

スイッチが入るとキチガイになる父。だけど、根底に愛を感じていたのだろう。私は父が大好きだ。
だから、大人になってもよく2人で呑んだくれたり、素潜りしたり、バイクに乗ったり。
家族でも、気が合う合わないがある。
妹と父は私ほど仲良くもなく、私と母も、どちらかと言えばソリが合わない。

私は父のコピーだと、父が良く言っていた。酔うと人に「自慢の娘です」といっていた。そんな父に育てられたから、根性だけは自信がある。父に似なかったのはストイックな努力だな。
そんな、強くて自慢で大好きな父が、日毎に弱ってく。
父の気持ちがわかりすぎる程わかるから、辛い。

生きるとか死ぬとか
今までの人生とか想い出とか生きた証とか
何のために産まれて、何を思って死んでいくのか
治ることのない、日毎に衰退していく身体に自分で決着をつけられない歯痒さとか

何なんだろうな
ほんと、何なんだろうな

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