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アメリカ映画なんかでは、郊外の住宅地で朝刊を配達する自転車に乗った少年が、家の敷地内に向かってあ~らよっとてな感じで新聞を投げ込んでいく場面がある。

アメリカ映画なんかでは、郊外の住宅地で朝刊を配達する自転車に乗った少年が、家の敷地内に向かってあ~らよっとてな感じで新聞を投げ込んでいく場面がある。

日本では人に渡す品物を投げてよこすのは無礼だ、とされている「はず」だから、こんな光景を見ることはない「はず」。

早朝から青年が新聞をぶん投げながら配達していれば、日本なら大クレームが起こる「はず」である。

さて、ローズビルの駅に向かう道。

白いオフロード車がスッと停まったかと思うと、オージーのおじさんが運転席から身を乗り出すようにして(乗り出してはいない)手を伸ばし、助手席の窓から、俺の目の前で、筒をぽーんと放りなげた。続けてもう一本。

えーーーーっ。

そして何事もなかったかのように車を出して行ってしまった。

えーーーーっ。

驚くのは俺だけか?

写真をご覧いただきたい。筒(新聞?)の着地地点はここ。
おそらくこのアパートの住民の誰か宛てで、その誰かはここに筒が転がっていることを知っているのだろう。ここまでこれを拾いに来るわけだ。

この左側の石塀のむこうにはちょっとした木々の奥に庭があり、そして奥にアパートが建っている。

アパートの玄関に繋がるのは写真奥の丸い電灯のある通路で、そこんところの壁にメールボックスが見えるだろう。筒の着地したところからはしばらく距離がある。

日本なら車を停め、車から下りてメールボックスまで歩き、受取者のボックスの中にきちんと入れるはずだ。そこまでやって「配達」である。日本ではこれを「配達」とは呼ばない。

たとえおじさんがもう少し手首のスナップを利かせてこれがレンガの柵を越えて庭の中に入っていたとしてもである。

日本人からすれば、これは車の窓から歩道への「ごみのポイ捨て行為」だ。

この道を通るほぼほぼ全員にとってこれらは何の関わりもない無用の物、すなわちごみだ。邪魔だと言って踏まれても蹴られても文句は言えない。

手に入れようとする品に汚れや傷が入っているのを極端に嫌がる日本人にとってこれはやっぱり受け入れがたい行為だと思う。

「受取者」がこの商品を受け取って満足ならそれでいいじゃないか、という意見もなくはないだろうが、これは説得の言葉に値しない。歩行者の安全な歩行の邪魔になっているんだから。

とまあ、これがオーストラリア。

誰かがスマホに夢中でこれに引っ掛かってすってんころりんしませんように。

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