見出し画像

「井の中の蛙の中の箱入り蛙」

随分前のことになる。
当時シドニーにいる日本人の若者が結集してひと盛り上がりしようということになったようで、ダンスとアートの企画が出されていた。
そして俺はその学生によるアート展の審査員を依頼された。

学生と言っても大学生。現地生まれの学生もいただろうが、ほとんどが日本からの留学生だったように思う。

どんな作品があるかとても楽しみにして出向いた審査会場に並んでいた作品を見て俺はショックを受けた。決して小さくないショックだった。

俺は最初の大学を卒業した後、河合塾に就職し、内部的には東京地区の芸大進学コース、対外的には河合塾美術研究所(三鷹)というところに配属してもらった。

そこには東京芸術大学をはじめ、武蔵野美術大学、多摩美術大学、東京造形大学、女子美術大学など、芸大美大を目指す生徒が集まっていた。現役の高校生もいるし、浪人生もいた。三浪、四浪の生徒も珍しくはなかった。

講師の先生たちは皆その大学、大学院の現役生もしくは卒業、修了した人たちで、現役のアーティストばかりだった。

当たり前だけど、みんな本当に絵が上手かった。浪人を機に東京に出てきた者もいたが、彼らは誰もが地元では絵の名手だったんだと思う。

国立の東大と私立の早慶大に相当するだろう、東京芸大と武蔵美、多摩美の両大学は相当にレベルが高い。地元で周囲よりちょっと絵が上手い程度では話にならないくらい熾烈な戦いなのだ。

その戦いに勝って少ない合格の椅子に座るために彼らが毎週仕上げる作品は見ごたえがあった。自覚してそうしている者も無自覚な者もそれぞれ結果的に技術を磨き、視点を磨き、精神力を磨いていた。(その熱にやられて俺も多摩美術大学を受験することになる。)上位にいる生徒は誰がどこに受かってもおかしくないと思った。予備校生の作品であっても凄い作品だった。

さて、審査会場に並んでいた作品の話に戻る。

いいことかどうか分からないが、会場でそれらの作品を見たときに、河合塾で見た生徒たちの作品を思い出したのだ。そしてその技術の差にショックを受けたのである。

確かにこちらの大学の美術コースへの入学には日本のような熾烈な戦いはないと聞く。詳しくは分からないが、そのために三浪も四浪もするという話は聞かない。だから同じ大学生であっても、日本と豪州ではその時点の力量に驚くほどの差があるのが文字通り一目瞭然だったのだ。
そのときの俺はどの作品にも高い点数をつけられなかった。
どこかの高校の文化祭のレベルでしかなかったからだ。

審査発表後に、参加した何人かの学生が「点数が低い」とクレームをつけに来た。彼らはある程度の自信があったのだろうと想像する。恐らく学校の課題ではそんなに悪くないポジションをとれるのだろう。「よくもあんな点数をつけやがったな。何様だと思っていやがる。」と凄むヤツもいた。審査員に対する礼儀も全く弁えていないが若者なら許されるのかもしれない。

だがしかしだ。その程度のヤツらは井の中の蛙の中の箱入り蛙でしかない。
「身の程知らずとはお前のことだ」と言ってやった、りはしなかった。

今思えば、全体的に何点か同じ点数を加えたものを結果として出してやればよかったのかもしれない。そうすれば学生が現実を直視して傷つくこともなかったかもしれない。どうせお祭りなのだから。
余りのショックでそんな配慮も頭に浮かばなかったのだ。
若気の至りで申し訳ない。

自分が注力する分野における自らの実力を自分自身である程度把握できない人間は、その分野には向いていないと思っている。

その分野における普遍的にいいとされるものが分かっていれば、それと自らを比較することができるはずである。

学生とはいえ、それができぬならセンスが無いのである。

日本では昔から代表者の血縁とか、所属グループへの貢献度とかで、実力もないのに高位にいる人がいた。今はその分野の実力がゼロであっても、顔がいいとかスタイルがいいとか、面白いとかいう付随した力で無遠慮に割り込む者もいる。こうした人たちはプロだから何もかも把握してやっているのだろう。本人の自覚はなくても操っている人は把握しているはずである。

俺がどうこうできるものではないが、
やれやれ、と思ってしまう。

この間友達と話していてこの審査の話を久しぶりに思い出したから、忘れないようにここに書いておこうと思った。


※写真は拙作「空」「海」







英語圏で書道を紹介しています。収入を得るというのは本当に難しいことですね。よかったら是非サポートをお願い致します。