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世界の縮図とも言えるNYで触れる「覚悟」

ニューヨークでの生活も、先月で15年目に入りました。ガイドブックやテレビから発信されるニューヨークの情報はきらびやかなものばかりかもしれませんが、ニューヨークでの暮らしは決してそんなきれいな言葉で語れるものではなく、かえって泥臭いものであることは、ニューヨークで暮らす日本人全員の共通認識であると言っても過言ではありません。

以前は1年に一度一時帰国をしていたのですが、パンデミックによってそれが絶たれ、先日3年半ぶりに日本へ一時帰国した際には、私はなんて便利で平和な国で生まれ育ったのだろう、と再認識することばかりでした。

日本で暮らしていたおよそ30年の間は当たり前だと思って疑問にも思わなかったことの多くが実はそうではなかった、ということに渡米して初めて気が付いたときには、衝撃が走りました。丁寧なカスタマーサービス、トラブルが起きない生活、安全な街、利用者目線で作られた社会のしくみ。そのどれもが日本特有のことなのです。

担当者によって言うことが異なってたらいまわしにされたり、時間指定ができない配達でいつ来るか分からない荷物を日がな待っていたり、時刻表がない上に勝手に停車駅が変わることもある地下鉄に振り回されたり。今ではすっかり慣れてしまったものの、ニューヨーク生活の不便なことを挙げ始めたら、枚挙にいとまがありません。日々の生活で言えば、日本よりはるかに高い家賃を払っているのに、部屋に洗濯機と乾燥機がなかった生活が去年まで続きました。排水設備が整っていないニューヨーク市内のアパートでは、それなりの家賃のアパートでも、各部屋に洗濯機を置くことが禁じられ、ビルの地下にコインランドリーのような形の場所しかなかったり、小さなアパートにはそうした設備もないために、近所のコインランドリーへ出向くのが一般的なのです。

以前住んでいたブルックリンの家の近くのコインランドリー。
ニューヨークのコインランドリーはどこも哀愁漂うこのような雰囲気です。

「なんでこんな不便なところで暮らしているんだろうね?」と、数か月前に、私よりはるかに在米歴が長い私の日本人大家さんと冗談交じりにテキストを交わしたのですが、生活の便利さだけを考えれば、日本を勝る場所はないでしょう。

では、なぜ私を含め、この街で暮らしているのでしょうか。それは、ニューヨークには、ニューヨークにしかない魅力があるからなのです。

ロッカウェイビーチからマンハッタンへ戻るフェリーから見た夕日

長い人生、大小の差はあれ、選択の連続だと思います。自分自身に照らして考えると、29歳の時、当時東京で4年半勤めていた監査法人を退職して、仕事のあてもないままに、ただ熱意だけに突き動かされて、リーマンショックの尾を引くニューヨークの街に仕事を探して定住しようという想いのもとに単身渡ったことは、今振り返っても、自分が今までした選択の中で一番大きく、かつ、行動して本当に良かったと思える選択でした。学生ビザを取得するために行った虎ノ門の米国大使館での面接の時にでさえも、面接官のアメリカ人から、「なぜ安定した仕事を辞めてまで渡米するのか?」と詰問され、会社の同僚にも一体急にどうしたのだろう、と不思議がられたものです。

初めてニューヨークへやって来た1999年、大学一年生の時にも訪れたブライアントパークは、摩天楼の中のオアシス。今でも私が大好きな場所の一つ。

最初は旅行で大学時代に訪れたこの街で暮らしたいという、いわばニューヨークに恋した状態だったのですが、渡米丸2年の節目に念願の米系企業での職を得て、「本当の」ニューヨーク生活が始まったことで、私の人生は大きく動き始めることになりました。

私がニューヨークに渡って良かったと思う一番大きな点は、モノの見方や価値観の幅が広がったことに尽きます。人はつい自分のものさしで物事を判断する傾向があり、特にほぼ単一民族とも言える小さな日本の中で暮らしていると、日本の価値観が当たり前、と思いがちです。しかし、市の統計データによると、世界150カ国もの国からの人たちが暮らしているニューヨーク市では、食べ物や言語、信じる宗教や生活スタイルなど、多くのことが異なる人たちがモザイクのようにしてこの街を形成しているのです。極端な話、人に親切にしてもらったら「thank you」と言うこと以外、共通の価値観はほぼないとも言えるのではないでしょうか。それぐらい多くのことへの考え方やアプローチ方法が人によって異なっているのです。例えば、日本では誰もの間で常識ともされている、友人との約束には時間を守る、ということですら、国によっては絶対ではありません。私は渡米間もない頃、日本人以外の友人との待ち合わせに苦労していました。時間通りに来ないのに、きちんと事前に連絡をくれなかったり、遅れてきても「sorry」の一言すらないこともあったので、困惑したり、時には怒ったりしていたのです。ある時、親日家のルーマニア人の友人に、「僕の国では自分の都合を優先させるから待ち合わせに相手が来ないことも普通にあるし、それで相手と会えなくても怒ったりしない」と言われました。こんなことすらも共通認識ではないのだ、と知ってただただびっくりしたものです。

違いだらけのニューヨーク生活で、私は日本や日本人を客観的かつ俯瞰的に見ることができるようになり、私の視野が大きく広がったことは間違いありません。日本の常識は世界の常識ではないこと、そして、日本で当たり前と思われていることは世界ではそうではないことを知ることができたこと、日本が世界的に見てもなんてすばらしい国で日本人はどれだけ真面目な国民であるかを知ることができたことは、私の人生の財産です。

常に変化を続けるマンハッタン。パンデミックの間にできた公園、リトルアイランドの奥は巨万の富が動くウォール街。

パンデミックが明けた今、日本へ海外からの観光客が押し寄せていると聞きます。きれいで安全で皆が親切な日本でゆっくりと休暇を楽しみたいと思っているようです。その一方で、便利な日本という国の外に飛び出す人たちは、何か別の国でやりたいことがある人が多いことでしょう。新しいことを勉強したり、キャリアアップしたり。その一方で、広いニューヨークの街で出会う異国の人たちはそうではないケースも多いのが現実です。

母国の戦火を逃れてやって来るウクライナからの人々、政治が腐敗した自国にいても未来が見えないため英語も分からないまま着の身着のままで一家でメキシコとの国境を歩いて渡ってアメリカに入国する不法移民たち。以前行った中国人が経営する鍼灸のお店で素晴らしいマッサージをしてくれた方と施術中におしゃべりしていたら、チベットから難民ビザでやって来たと言われてびっくりしたこともあります。また、タクシー運転手の方々と話をすると、自国にいても未来がないからやって来た、という人たちが大半です。もともとなんでもそろっている国で育ち、その上で夢を追い求めてとやってくる日本人に対して、なかば母国を捨てたような形でニューヨークにやって来る人たち。彼らの覚悟は相当なものでしょう。

居を移す前、3度の旅行では見えなかった景色が今は見えてくるニューヨークの街並み

20年ほど前にアメリカ人との結婚が決まってロシアの小さな町を離れてニューヨークへやってきたという私のテニス仲間は、ロシアへの愛着は全くなく、久しく母国へ帰っていないと言います。その一方で、ウクライナへの寄付のためのイベントに積極的に参加したり、ウクライナ語を習ったりもしています。前職で仲が良かった優秀な中国人の後輩たちも、アメリカでのキャリアを築くために仕事や勉強に励み、アメリカの地で子育てをしています。

私は今この地でやりたいことがあったり、ここでの暮らしが今の自分には合っているのでニューヨークで暮らしていますが、そうではなく、完全なる片道切符でやって来た人たちと出会うと、彼らの覚悟とはいったいどれほどのものなのだろうと思わずにはいられません。そうしたことに気づくことができたのも、私が15年前にこの街にやって来るという選択をしたから。あの時、この選択をして良かったと思う瞬間でもあります。

2009年に単身NYへ渡り、語学学校から就労ビザ、グリーンカードを取得したアメリカでのサバイバル体験や米国人と上手に働くためのヒントをまとめた「ニューヨークで学んだ人生の拓き方 」がキンドルから発売中です。渡米したい方、日本で欧米企業で働いている方に読んでいただけたら嬉しいです。