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テレビの話①〜結局はテレビの仕事をやっている

【久々のディレクター仕事】

5月の前半は、久しぶりに、インタビューしてVTRも編集するディレクターの仕事をした。生活費がままならなくなってきたからだ。それになんとなく、ミニ枠の3分弱のVTRを作る仕事ならやれるんじゃないかという気がしはじめていた。

私がやっているミニ枠の番組は、毎回、“新しいこと”を始めた1人の若者をとりあげ、その活動と人となりを伝える。基本、本人の1ショットインタビューを軸に、活動内容などナレーションでの説明も入れつつ番組を構成する。 

通常なら、撮影は基本半日。インタビューは寄りと引き2カメで行う。インタビューのほかには、活動内容を説明するために必要な仕事風景や商品カットなどを撮影させてもらい、仕事がらみのイベントなどがあるときはそちらに同行したり、取引先の方のコメントなどをもらうこともある。通常、身体的に何も問題がなければ、カメラマンと共に現場に伺い上記のような撮影を行う。

私は車椅子になってからも、一時期まではロケ場所に行ってインタビューを行っていた。しかし、最近はリクライニングのない車椅子だと長お時間姿勢を保っていることが困難になったため、外に出る仕事はやらなくなった。その後数回は、リモートで取材先と繋いでもらい、私は自宅からパソコンの画面越しでインタビューの質問を行うという形で取材させてもらっていたが、最近はそれさえも厳しくなり、内輪のスタッフの打合せでさえ、アバターを使ってやっていた。さすがに取材先に対してアバターでのインタビューは失礼であろうと思い、このところはディレクターの仕事は遠慮していたのである。もちろんそれだけではない。体力的にも、VTRを完成させる体力があるか不安だったのだ。

しかし、生活費がない。背に腹はかえられぬ。
それに、この身体のつっぱりにもだいぶ慣れてきて、再び、リモートならやれそうな気もし始めたのだ。そんなわけで、久々にディレクターの仕事をやってみようと思った次第である。

ディレクターが現場に行かないでリモートでインタビューするという取材方法はコロナ禍でリモートが普通になったとはいえ、ディレクターが取材現場行かないというのは普通はちょっとあり得ない。私の状態が普通じゃないから許されていることだが、状態が普通じゃないからと言って、誰もが許してくれるわけでもないだろう。

私が今、このミニ枠の仕事をさせてもらえているのは、この番組の制作が私が新卒の時に正社員として入社した制作会社で、番組プロデューサーは同期の女性であるからだろう。他のスタッフもほぼ顔見知りだ。だから、みんな心配して、こんな私でも仕事をさせてもらえるし、リモートでの取材も快くやらせてもらえている。いくらこんな事情があっても、よく知らない会社ではこんな私をわざわざ使ってくれることはないだろう。

この制作会社ももう辞めてから25年。辞めてからしばらくは、この会社の得意ジャンルとは違う情報報道系の番組をやるようになったので、しばらくは全く交流もなく、再びフリーとして仕事するようになったのは辞めてから15年後、今から10年ほど前だ。あまり円満退社とも言えない辞め方だったので、もう二度と出入りすることはないだろうと思っていたが、ある時、かつて上司だった女性から番組SNSについての相談を受け、再び出入りするようになった。多分、社内には私のことをよく思ってない人も多かったと思うが、一部にはそうでない人もいる。新卒で右も左も分からない時代を同期や同じADの立場で過ごした人たちだ。一緒に徹夜して、当時の人気番組を必死で作った思い出というのはやはり大きくて、しばらく会わなかったけれど、どこかで仲間意識が育まれていたのだ。日本の組織というのは苦手だが、こういう時助けてくれるのは、同じ釜の飯を食べたというか、同じロケ弁を食べた人たちなのだろうなあ。私がこのところ、ロケ弁の話をよくするのは、無意識にそういう仲間意識を感じているのかもしれない。

もちろん、取材先の方には事情を話し、ディレクターである私がリモートでお願いする非礼をご了解願っている。これまでリモートで3回ほど取材したが、みなさんご快諾くださった。ありがたいことだ。


【zoomでのインタビュー取材とは?】
では、リモートでの取材とは実際どのように行なっているのかを紹介する。
現場にはカメラマンと番組のADさんに行ってもらい、私は自宅にいてzoomで現場と繋いでもらう。そのかわり、カメラマンはその番組のディレクターもやったことがあり、私もよく知っている、事情のよくわかった人物に担当してもらう。インタビューの時の2カメのアングルはこんな感じでとか、その他、仕事風景などで必要なカットは事前に打ち合わせしておき、撮影リストを作って、それに合わせて撮影してもらう。

インタビュー時のカメラアングルも、事前打ち合わせに沿ってある程度カメラをセッティングしたものを、zoomの画面を通して見せてもらい、それで調整を行い、最終的な画角を決める。

インタビューのカメラセッティングができたら、zoomで私の映像が映ったパソコンの画面を取材対象者の方に向けてもらう。私がカメラ横に座ってインタビューすると想定して、本来なら私が現場で座るであろう場所にパソコンを置き、取材対象者の視線が上目遣いやうつむき加減にならないように、画面に映った私の顔の高さ=パソコン画面の高さを決める。

あと、仕事風景の撮影の時は、ADさんがパソコンを持って手持ちカメラの後をついていくのも大変なので、打ち合わせした撮影カットリストに沿ってカメラマンにおまかせ していたが、一番最近の取材では、動きのある撮影の部分では、zoomをパソコンからスマホに繋ぎかえ、ADさんに取材現場のちょっと広めの映像を見せてもらいながら、カメラマンの動きを把握して、追加で撮影してほしいカットなどがあれば、その場で声をかけるようにしている。

もちろん、リモートといっても限界はあり、他のイベント会場での撮影があったり、取引先での撮影があったり、現場での判断が多く求められる撮影は、カメラマンにお任せの部分が多くなり、そうなってくるとディレクターは一体誰なんだという感じになるので、なるべくそういうネタは選ばないようにしている。

たとえば、今回は次世代エネルギー開発に取り組む人を取材したが、こういう開発過程のものは、まだ発電システムの実物が存在せず、完成予想図やCGなどを先方から借用して説明用の動画として使うことが多いので、こうした借用動画をはめ込む部分が多いネタなどは私向きである。

それにしても、なんと便利になったことか。
世の中のサービスや技術について、もうこれ以上便利にならなくていいと思うことも多い私だが、今回ばかりは、このおかげで、体が動かなくなっても仕事ができ、自分の稼いだお金で命を繋いでいけるのだ。本当にありがたい。

しかし、いくら技術が進んで便利になっても、誰かが、この仕事の仕方を許してくれなければやれないわけで、一番重要なのは、人と人の繋がりであり、新しいことを受け入れてくれる寛容さである。いいj今回、私はこの両方の幸運に恵まれた。本当にありがたいことだ。

【リモートのインタビュー取材の解放感とその後の編集作業のキツさ】

インタビューも比較的スムーズに終わり、予定していた時間より1時間近く巻いてロケは終了。全てがほぼ予定通り進み、終わった時はとても気持ちがよかった。
天気が良かったのもあるが、穏やかな春の日、カーテン越しの柔らかな日差しを受けながら、終わった〜という心地よい脱力。スムーズに仕事を終えるということはこうも気分が良いものかと驚くほど。しばらく、こうした取材をしておらず、自分一人で企画書を書くだけの日々だったため、作業が終わった時の達成感も今ひとつだったのだ。
いや、今回の取材終了後に感じた心地よさは達成感というより、なんだろう、安堵の気持ちと、取材先の方の表情も柔らかで、いい関係性で取材を終えられた嬉しさの混ざったようなものだった。本当にホッとして、ぼーっとして、心地よい時間がしばらく流れた。身体までが楽になったように感じた。それはこれまであまり感じたことのないような感情で、こういう仕事だったら体に悪いわけはなかろうと思えた。

しかし、やはり、その後のVTRの編集がちょっとキツかった。画面を見っぱなしで目も疲れるし、ワンカットワンカット繋いでいく細かい作業。さらに、たった2分半のVTRの中で、誰にもわかるように次世代エネルギー開発の技術説明もしなくてはならないという難しさもあり、スタッフ間での最初の試写では、そのエネルギープラントの仕組みなどが分かりづらいと多くの指摘ももらい、基礎知識の全くない人でも誰でもわかる構成にするため、何度も考え直し、やっとみんなに納得してもらえる構成にたどり着いた。興味のある人だけでなく、全ての人に届くことを目指すテレビならではの難しさである。

この程度でいいやと思って、ただ簡略化しただけでは何も伝わらない。しかし、要素を入れすぎると尺が足りない。何を捨て、何を残すか、このVTRでは何を伝えるべきか、まずはテーマをしっかり絞ることが重要だ。これが曖昧なまま編集を始めてしまうと、都度都度迷いが生じ、いつまでたっても納得するVTRにはならない。自分自身は難しい科学の話でも、勉強してから取材に臨んでいるから、難しい言葉が出てきてもわかるが、テレビを見る人の多くはそんな知識ほとんど持ち合わせていない。そんな人に何がしかでも伝え、心のどこかに印象を残すVTRを作ることはそんなに簡単なことではない。

他人の口から興味深い言葉を引き出さねばならないインタビューも難しいが、作業の大変さというか、肩が凝るとか、目が疲れるとか、脳みそがキューッとなるとか、そういう身体のしんどさを伴う大変さという意味では、編集作業が一番だ。

今回も編集が終わった後は本当に疲れた。
インタビュー後に感じた安堵感、達成感、解放感は全て吹っ飛んでいってしまった。もう仕事したくない、、、と思うほどだ。胸のつっぱりは強くなり、病気がまた一段進んだ気がした。

でも、これもしっかり休むことで、時間はかかるが解消されることもある。これまで、何かちょっと無理をして、体調を崩し、もうダメだ、このまま弱っていくのかと落ち込むことがあったが、しばらく休むと調子がまた回復することも何度も体験した。

それに、大変な編集作業に続いて行われるMA(マルチオーディオ)という作業。ざっくり言うと、ナレーションとBGMをつけて、全体を整音してVTRを完成させる作業であるが、私はこれが好きで、音楽とナレーションのタイミングやフィーリングがハマった時の気持ちよさは格別だ。今回、久々のMA作業。これもリモートでスタジオに繋いでもらう。毎回2本か3本録りなので、ナレーションを読むタイミングは、別のディレクターにお願いして、ナレーションキューを出してもらう。さすがにリモートだとタイミングが遅れるからだ。作業終了後には、パソコン画面越しではあるが、ナレーターさんから優しい言葉で励ましてもらい、次の一本も挑戦せねば!と強く思う。あなたはこの番組の仲間よと言ってもらってるみたいで、大きな励ましとなった。


その後、仕事の疲れがまだ元に戻らず、かえってひどくなっている気もしているし、このところ、このnoteやブログも全く更新できていないことから、やや気分は落ち込み気味。もうダメか、、、と山を下っていくフェイズから抜け出せないでいる。この文章も、すぐ完成するかと思っていたが、いつも寝落ちして、書き始めてから1週間が経ってしまった。金曜日の夜にアップして、週末にたくさんの人に読んで欲しかったのに、もう月曜である。


【3年ぶりの友人】

大変だった土曜日には久しぶりに会う友人も訪ねてくれた。3年ぶりだ。
そして、そこでも、YouTubeを早く始めようよという話になった。

公園のベンチと車椅子で、子どもたちの嬌声を遠くに聞きながら、途中、お弁当もつまみながら、3時間近く話しただろうか。私のSNSを見て、どうやって暮らしてるのか心配で、、、と言う彼女に、朝日新聞のコラムを書いて以降にSNS上で寄付をお願いしたこと、寄付にも限界があるから、体が許す範囲で仕事をしていたこと、とはいえ足りなかったが、たまたま部屋の水漏れで火災保険金の下りる事例があり、数十万円程度ではあったが助かったこと。コロナで仕事が減った部分もあったので、その支援金もあったことなどを説明した。こうして書きながら、私は本当に、こうしたたまたまの事象に助けられていることを実感する。皮肉にもコロナが支援金を与えてくれたし、水漏れで被害は受け、捨てるものも出たが、それがお金に変わったのだ。
その話にも驚いた彼女だが、私の言葉の中で最も名言だといって笑ったのがこの言葉だった。

「体も動きづらく日々淡々と過ごしているが、もうこんなギリギリの状況にまでなったんだから、あとはもうちょっとおもしろいことになんないとなあ、、、。」

私としては、普通のことを言ったつもりだったが、彼女はこの言葉を受けて、中村節の今日の名言だねと言って笑い出した。私もそれにつられておかしくなり、笑った。横隔膜の上の方が突っ張ってるから思い切り笑えず、笑い顔も半分引き攣り気味だったが、無性に笑いが込み上げてきた。

確かに、末期がんで緩和ケア外来に通い、そこの医者は治療の可能性も示してくれないような私が、まだおもろい人生の事件を起こすことを目論んでいるというのだから、そのあまりに常識外れな楽観的な見通しは、驚きを通り越して無意識の笑いを引き出してしまうんだろう。でも、人から無意識な笑いを引き出したということが私は嬉しかった。

人前ではがんばって明るくしていても、どこかに、もうダメじゃないだろうかというネガティブな感情が巣食っているのではないかと思っていた暗い私の奥の奥に、自分自身さえも見えていなかったポジティブさが隠れていたことに気付かされた気がしたのだ。

彼女と顔を見合わせて笑いながら🤣やっぱ、おもろいことしなきゃって思った。
無理のないおもしろさ。まあ、おもしろいことやってる時は無理は感じないもんだ。
そして、自分にとって、ちょっと無理かなと思っていたYouTubeも、無理じゃないかもなって思えてきた。

というわけで、ディレクター仕事を少し復活させたが、同様の条件でできるディレクター仕事も次がそう簡単にあるわけじゃないので、6月からはネタ出しの企画書も月に5本は提出する予定。しかし、それでディレクター番組一本分の半分の金額だ。
本当だったら番組2本分くらいの収入は欲しいところだが、今それをやるのはなかなか難しい。

おもしろいことを呼び寄せるためにも、YouTube早く始めたいぞ!

ずっと部屋で座ってて、テレビっ子の私はずっとテレビをつけてるのだから、テレビ批評をするのもありかなあなんても思うけど、ナンシー関や小田嶋隆のレベルを思うと、そこは聖域にしておいて、西澤千央さんあたりに任せといてもいいかなって思っちゃう。
私はちょっと鋭さが足りんのと、まがりなりとも、番組作ってる人間だからなあ、、、。
でもまあ、先のことはわかりません。

それにしてもだ、、、私はこれまでテレビの世界で生きながら、テレビを批判することが多かった。でも、結局、私が病気で大変な時に私を助けてくれたのは私が最初に関わったテレビの人たちだったし、かつて、わだかまりがあって辞めた会社でも、別にそれはそれとして、今は今の関係を築いてくれている。そういうことを考えていると、テレビもまんざらでないじゃんと思うこともある。

それは今放送してるテレビ番組にも言えて、しょうもない番組も多いが、みんな一生懸命生きてるなあとしみじみさせてくれるものもある。それはいかにもいい話のドキュメンタリーとかじゃなくて、最近だと、私は「しくじり先生」のアーカイブの中の、ラフレクランというお笑い芸人がコットンに改名した回で、出演者みんなが本気でラフレクランがブレイクするにはどうすべきかを考えていることに感激した。テレビはバカみたいな人間の振る舞いの中に嘘のない人間の姿を垣間見せてくれる。だから私はテレビの世界から完全に足を洗えないのかもしれないし、活字でテレビを批判しながら、綺麗事言ってる人の嘘と臆病さが嫌になるのだ。だからといって、テレビもそうそう褒められたものでもないし、だから、テレビについて語るのもありなのかなあと思ったり、、、。
まあ、常に迷って迷って、ナーンも始められない私なのであります。
みなさん、お互いこの世の中をなんとかサバイバルしましょうね。

もう来月の収入は見えないのだ。
これがサバイバルでなくてなんであろう!
おもしろい人生よー
笑えるトーク三昧をあなたに〜
あー、しゃべり上手くなりたいよーん

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