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部長、会社やめるってよw

いきなりですが、私恋愛部長、50代で転職することに決めました!
(今日は、恋愛とは何の関係もない、人生の話)

ご存じの方も多いと思いますが、私、本業は広告代理店でクリエーティブディレクターをやっておりました。大学時代にうちの会社の学生インターン的なものに応募したのが事の始まりで、「3年でやめるだろう」と編集者の方に予言されたわりには、なんと28年もの長きにわたって、広告の企画制作の仕事をやってきました。
途中、仕事が忙しすぎて徹夜が続いて家に帰れなくなったり、ノイローゼっぽくなって家でテレビもラジオもつけられなくなっちゃったり、逆に仕事が来ないときは心配で不安で鬱状態になったり、仕事に意義が見いだせなくなって、自分探し的に会社の金でアメリカに留学したりもして、・・・まぁいろいろあったんですが、今思い返せばあっという間の30年弱でした。

この1か月くらいは、お世話になった先輩後輩同僚たちに会いまくって、飲みまくってるところですが、親しい人たちと久しぶりに会ってしゃべくり倒していると、いい会社(かつとんでもない会社)にいたな、楽しかったなという感想しか沸いて来ません。

人が財産、ということをつねづね言い聞かせられて来たわが社ですが、本当に、ここに集まっていた人はみんな最高に変で、仕事狂いで、執着がすごくて、頭がよく回って、サービス精神にあふれた人ばかりでした。世間からは悪く言われることも多いし、実際鼻持ちならない面も多々あったと思います。自分勝手な人も多いし、押しが強すぎる人も多すぎる‼(爆)ので、まぁ嫌われるときはとことん嫌われる。(私自身も・・)
でも、その中にいると、心地よかったのは事実です。

ただ、自分の人生の子先を考えたときに、ずっとこの先もこの会社にいていいんだろうか?という想いが、いつからか頭から離れなくなりました。
大好きな会社だから、このまま好きでい続けたい。
会社に私の事を好きでいてもらいたい。
それは、言い方を変えれば、
「お荷物になりたくない」「まだ求められているうちにお別れしたい」という感じw 
このまま10年先まで自分が会社の求める最高級の人材でいられるのか?
私自身はめちゃくちゃ向上心の塊だし、新しいこと大好きだから、どんどん新しいことに足突っ込みたいんだけど、役職ついて、50過ぎて、マネージャーとして一線を引かなければならない空気にさらされた時に、急に明日の自分の姿が見えなくなった。
若い子のことを応援して、仕事を任せて、評価して、それを社内に売り込んで、・・それが使命だとわかっているけれど、自分がどんどんオワコン化して、新しい流れから取り残されていくようで、会社から「いらない人材」だと思われる恐怖と不安が、拭い去れなくなってしまった。
まだ、いまはいい。いまは、信頼してくれているクライアントがいて、企画できる仕事があって、ついてきてくれる部下もいて。だけど、その仕事が、10年後もあるのか?同じことをしていて、本当に私は大丈夫なのか。

会社は居心地がいい。
みんなが私を知っていて、年長だと、プロフェッショナルだと敬ってくれて、そのままでいいよと言ってくれる。誰も私に、「新しいことを始めろ」とは言わない。
でも、同じことを繰り返している毎日が、私にとっては牢獄のようで、自分がゆっくりと死んでいくように思えた。
だから、この先10年間、この会社にいたら、きっと私は、今よりもずっとずっと自分に自信がなくなってる、と確信した。

人間は、環境に作られる。関係性の中で形作られる。
誰からも必要とされていた時代は、自分が本当に、才能にあふれたすごいクリエーターなんだと信じて疑わなかった。(実際はただの凡人だけど)
だけど、徐々に徐々にその自信は削られて行って、いつしか自分は「大した人間じゃない」と思うようになっていった。
昔も今も、物を作る時の気持ちは変わらない。ワクワクして、どんどん発想が広がって、「こんな風だったらいいな」という世界がハッキリと見える。
それを具体的な形にして描いていくのが好きだし、出てきたものを見て、「私ってすごいな」って客観的に思うこともある。
なのに、いつの間にか、私は会社という関係性の方程式の中で、「旧式で、お母さん社員で、今後成長しないであろう、だけど安定的な」記号を貼られて、そこから抜け出せなくなってしまった。貼られたレッテルに、自分を合わせに行こうとするようになってしまった。
無謀な挑戦が大好きで、思い付きですぐに行動しては跳ね返されて、それでもまた新しいものを見つけたらやっぱり突進して行ってしまう。
アイディアがあふれてきたらもう動かないではいられない。
クライアントの偉い人だって関係なく、どんどん巻き込んでいける。
そんな私の本質が、いつの間にか、外側から押し付けられた見え方の中で出口を失っていくような気がした。

自信なんてものは、気分でしかないし、
そもそも「才能」や「能力」は結果から見て後付けされた言い訳のようなものでしかない。
それなのに、いつの間にか、私には、できないことの言い訳ばかりが降り積もって行ってしまった。そしてそれが、私の本質であるように、思い込むことで、果てしなく落ち込んで行ってしまった。
自信とは、もともとそこにあるものではなくて、おそらくは、自分の意志で、なくしたり、持ち上げたりできる類のものなんじゃないかと思う。自信とは、無くすべくして無くすし、無くすために思考すると言ってもいい。

会社内の関係性のせいで、仕事に自信をなくしてしまった人が、晩年、どんどん目から輝きを失い、肩をすぼめ、弱弱しく笑うようになるのを何度も見た。それが私の未来なんだろうかと不安に思った。
そうはなりたくない。
自分は、自分の価値を、自分で認めていたい。虚栄ではなく。本心から。

会社のことは大好きだ。大好きすぎてせつないくらい、大好きだ。
恋をし続けてきたと言っても過言ではない。
この会社に入ってから私の人生は大きく変わったし、性格すら変わったと思うし、生きてきてよかったと本気で思えた。
私を幸福にしてくれた会社に、この先、不幸にされるなんて考えたくもない。
だから、この大好きすぎる、私の想いのすべてである会社を辞めようと思った。
会社に求めてもらえているうちに、自分が、自分にギリギリ自信を持つことができているうちに。自分がきっと新しいことに挑戦できる、と信じられるくらいには若いうちに。

新しい挑戦は、求めていたところにある日突然降ってわいたように現れた。
おそらくは、普通は無謀すぎて手を出さない類の、まったくの異種格闘技。そんなことできる能力ありますか?スキル的に大丈夫なんですか?と誰もが疑問を抱くだろうレベル。
でも、突然、ひらめいたように、この挑戦に心奪われてしまった。

今まで大好きな会社でああだこうだあちこちに足を突っ込んできたから得られた知識や、経験、失敗、そんなものがすべて、パチッと新しいピースになってはまっていくような、そんな予感がした。

おそらく私があまりに無知で無謀であるがゆえに、思わず飛び込んでしまったのだと思うけれど。それでも、この挑戦に会社人生の残り全部をかけてみようと思ったことにとりあえず後悔はない。

だって、この無謀さが、この飽くなきチャレンジ精神が、私なんだもの。
思いついちゃったんだから、もう止められないんだよ!
昔、先輩から言われた言葉。
「お前は泳ぎ続けてないと死んじゃうマグロみたいなものだから」と。
そうなんだ。私は、きっと止まったら、休んだら死んじゃうマグロ社員なんだ!今また新たにそう思う。

50歳の新入社員、この先どんな苦難と、トホホな現実と、自分のことを埋めたくなるような恥ずかしい事態が待っているのかはわからない。
でも、人生まだまだ折り返し。ここからまた新しい道が始まるんだと思えば、進むしかない。

きっと、私はまた新しくなる。
さらに、強く、たくましくなる。
子どもたちに、「かっけー母だな」と思ってもらえるように。

そう、子どもを産んだ時に世界がぐるっと一変したように。

自分が変われば、世界は変わるんだ。
そう信じて、一歩先へ踏み出してみようと思うのです。

そして願わくば、私の愛する電通が、
みんなからも愛される会社になれますように。

本当に、28年間、ありがとうございました。

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