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🎵【聴くクラシック音楽入門】Vol.23~バロック音楽の輝く金字塔♪ヨハン・セバスチャン・バッハ②~


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職業音楽家としての活動は、アルンシュタット時代。

教会オルガニストとして頭角を現し始めました。

1705年、バッハは北ドイツリューベックへ行き、のマリア教会大オルガニストのブクステフーデの演奏を聴き、感銘を受けました。

有名なニ短調トッカータとフーガ(BWV565)を始め、この時期のオルガン曲には、ブクステフーデの影響が強く出ています。

動画時間(8:52)


ヴァイマルでバッハは、オルガン曲の大半を作曲するとともに、ヴィヴァルディを始め、イタリアの作曲家の協奏曲を熱心に研究し、オルガンやハープシコードの為の作品に編曲しました。

この時代に学んだイタリアの新しい音楽様式には、後に「ブランデンブルグ協奏曲」などの器楽作品として新たに作曲されます。

ブランデンブルグ協奏曲は、6曲からなり、作曲順は第6番→第3番→第1番→第2番→第4番→第5番です。

こちらは、第5番です🎵(9:44)



ケーテン宮廷楽長時代には、音楽好きの領主レオポルト公の厚遇によって、バッハは恵まれた環境の中で音楽に専念することが出来ました(^-^)


彼の世俗曲の多くがこの時代に作曲され、その中には「無伴奏チェロ組曲」「管弦楽組曲」など名曲が含まれています。

こちらは、無伴奏チェロ組曲です✨(3:01)


そして、「インヴェンションとシンフォニア」、「フランス組曲」「平均律クラヴィーア曲集」第一巻などのクラヴィーアの為の曲は弟子や子供達の教育をきっかけに生まれたものであります✨

聖トーマス教会のカントルや市の音楽監督として、1723年にライプツィヒに赴任したバッハは、教会音楽を中心に作曲をして、最初の7年間に140曲以上の教会カンタータやマタイ受難曲などを作曲しました(^-^)

こちらは、マタイ受難曲です✨動画時間(2:44:31)


1729年からは、大学生の演奏団体コレギウムムジクの指揮者に迎えられ、1740年にその職をやめるまでの間、多くの世俗カンタータやチェンバロ協奏曲をこの団体のために、作曲しました。

そして、これと同時に意欲的に活動したのは、旧作の改訂といくつかの曲をまとめた総合的な作品の作曲と出版であり、「ゴールドベルグ変奏曲」「平均律クラヴィーア曲集」第二巻などが生み出されました。

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晩年の大作は「音楽の捧げもの」「フーガの技法」(未完)でバッハは高度な技法、芸術性をしめし、これまでにない音楽を開拓していきました💡


作曲したジャンルは、オペラ以外全てであり、それらの作品はバッハが育った中部ドイツの音楽の伝統様式、さらにイタリア、フランスの音楽様式を取り入れた総合的なものでありました。

しかし、バッハの作品は晩年には時代遅れとされ、人々の音楽の趣味の移り変わりとともに、死後は急速に忘れさられていきました。


ということで、皆さまも聴いた事のある作曲家の一人であろう

「バロック時代に輝く金字塔ヨハン・セバスチャン・バッハ」のお話しをしました(^-^)


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ごゆっくりお過ごしくださいませ🍵

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