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【寺院】長野・駒ケ根市の「光前寺」。中央アルプスの麓にある天台宗の別格本山の寺院を参拝する!

長野県駒ヶ根市。東に南アルプス、西に中央アルプスを望む伊那谷のほぼ中央に位置する街。その街の駒ヶ根市赤穂にある天台宗の別格本山の寺院「光前寺」はございます。

先日私がおススメする駒ケ根ドライブマップを公開致しましたが、その第一弾として台宗信濃五山(戸隠山の顕光寺・善光寺・更科八幡神宮寺・津金寺・光前寺)のひとつに数えられる「光前寺」をご紹介します。

実はこの日は早朝から駒ケ根の千畳敷カールに行く予定でしたが、台風19号の影響で駒ケ根のロープウェイまでのバスが運行中止に。急遽、スケジュールを大幅にリスケし、午後行く予定であった「光前寺」に早朝一番で行くことに致しました。

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台風の影響と早朝一番ということもあり、駐車場には人影は見当たりません。早起きは三文の徳というようにゆっくりとその光前寺を散策したいと思います。

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光前寺境内及び周辺は名勝指定地ならびに環境保全地域に指定されています。特に、光前寺に自生する絶滅危惧種に指定されているヒカリゴケは、わずかな光を反射させて光っているように見え、見所の4月下旬から10月下旬には多くの参拝客で賑わいを見せます。

早速、その寺院を散策してみます。道入口に建つ「仁王門」を潜ります。

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光前寺は杉の林の中にあり、蘭渓道隆式池泉庭園や築山式枯山水、築山式池泉庭園と三つの庭園からなります。庭園マニアの私には見所満載のスポットでもあります。

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光前寺は貞観2年(860年)に本聖上人によって開かれた天台宗の古刹です。創建時は現在より200メートル木曽山脈寄りのところにあったとされます。

仁王門には、中に金剛力士(仁王)像が安置されています。

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戦国時代には武田、羽柴家等の武将の保護を受け、徳川時代に入ると徳川家からは地方寺院としては破格の60石の寺領と10万石の大名格を与えられるなど、隆盛を極めました。

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仁王門を抜けると、本堂まで300mほどの真っ直ぐな参道が伸びております。

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参道にはヒカリゴケが自生していました。光の当たり具合なのか時期的なものなのか光っては見えませんでした。小生にはどうやら後光が差してくれないようですね。

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境内には樹齢数百年の杉の巨木に囲まれ、本堂を始め、十余棟の堂塔を備える長野県屈指の大寺でもあります。

光前寺には、早太郎説話というものがございます。昔、信濃の光前寺の床下で山犬が子犬を産みました。光前寺の和尚は親子の山犬を手厚く世話してあげました。やがて母犬は子犬達を連れて山に戻りましたが、子犬のうちの1匹を寺に残していったんです。この子犬は早太郎というたいへん強い山犬となり光前寺で飼わました。

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ある時、光前寺の近くで怪物が現れて子供をさらおうとしましたが、早太郎が駆け付けたため、怪物は逃げて行きました。さて、その頃、信濃の南隣、遠江の見附村には、毎年、どこからともなく放たれた白羽の矢が立った家の娘を人身御供として神様に差し出差ねばならぬ恐ろしい仕来りがありました。これを破ると田畑が荒らされ、村が困窮しきるため、村人は泣く泣く矢奈比売神社の祭りの夜に娘を棺に入れて差出し、これを鎮めていたのです。

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「大講堂」です。

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昭和55年に、秘仏であるご本尊「不動明王」がご開帳された記念に建立されました。中に阿弥陀如来が祀られています。

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大講堂脇に「一隅を照らす」の碑。最澄の言葉「一隅を照らすこれすなわち国宝なり」です。本堂はこちらのようです。

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そうです。早太郎説話をここまで読んで、どこかで聞いた話だと思いませんか。感のいい読者様は分かったのではないでしょうか。さて、なぞなぞです。この話はどこで登場したのでしょうか。

参道に戻りさらに奥へと進みます。

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早太郎説話のお話の続きをすると、延慶元年(1308年)8月、この地を旅の僧侶が通りかかり、神様がそんな悪いことをするはずがないと考え、祭りの夜にその正体を確かめようと神社に向かい身を潜めていました。

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すると、そこに現れたのは神様ではなく神を騙る恐ろしい怪物であり、その怪物が「信州の早太郎おるまいな、早太郎には知られるな」と言いながら娘をさらっていったのです。

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僧侶は、信濃へ行き、方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、事情を説明して和尚から早太郎を借受けました。

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そして次の祭りの日、早太郎は娘の身代わりとなって棺に潜み、現れた怪物と一夜にわたって激しく戦い、見事退治したのです。怪物の正体は老いた猿の化生狒々であったそうです。

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光前寺への入山料は、ちなみに仁王門から本堂までの境内参拝は無料です。庭園拝観ご希望の方のみ、500円の拝観料がかかります。もちろん日本庭園マニアの私は、500円を払ってでも見ないとここまで来た意味がありませぬ。

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戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われています。早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納しました。これは寺宝として経蔵に保管されています。また、本堂の横に早太郎の墓がまつられているので、この後、そのお墓もお参りしたいと思います。

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庭園散策をする前に、さきに本堂を参拝したいと思いますので、このまま先へ進みます。見事な「苔の古道」

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さざれ石の~いわおとなりて~こけのむすまぁで~。

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最近、苔の良さが分かってきましたよ。「転がる石には苔が生えぬ」とも言いますよね。活発な行動をしている人が、常に健康で生き生きしていることのたとえではありますが、一方で、転職や転居を繰り返す人は、地位も得られず金も貯まらないというたとえでもあります。

光前寺はかなり広うございます。

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参道が終わったところに建つ中門「三門」がお目見え致しました。

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え?転がる石とは誰のことかいって?転職や転居を繰り返す人、すなわち私でございます。

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なかなかお金がたまらないのは、坂道から転がり落ちていたからでしょう。

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でも谷底まで転がり落ちてしまいましたので、これ以上転がるところもないかと思っています。

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マリアナ海溝の10,924mまでには及ばないものの伊豆・小笠原海溝の9,780mは転がり落ちたんじゃないかと思っています。

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そう、物語の結末をお話していなかったですね。この話は、まんが日本昔ばなしの「猿神退治」としてアニメ化されているんです。小生が幼少期に見た物語とリンクして、どおりでどこかで聞いたことがあるお話だと思っていたんです。

坊や~良い子だ寝んねしな♪

「三本杉」。

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樹齢およそ700年の「三本杉」です。左のシートに覆われた建物は修復中の「経蔵」でございます。

大講堂の前、一段下がったところに池泉式庭園がございます。

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前述した霊犬早太郎伝説の寺としても世の中に知れ渡っております。

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静寂な中にも風情と格式が漂い、年間約30万人の善男善女の人達が訪れ、信州の古刹と美しい庭園風景を楽しんでおります。

天台宗には、慈・悲・喜・捨の心(仏教では四無量心・しむりょうしんという)で周囲に接することができる人になりましょうとのお言葉がございます。

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天台宗を開かれた伝教大師最澄(でんぎょうだいし・さいちょう767~822)さまが書かれた『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭にある「一隅(いちぐう)を照らす」というお言葉。

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この『山家学生式』は、伝教大師が『法華経』を基調とする日本天台宗を開かれるに当たり、人々を幸せへ導くために「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいという熱い想いを著述され、嵯峨天皇に提出されたものです。

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『法華経』には、すべての人々は仏になることができると説かれています。

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『法華経』は、お釈迦様一代の教説はすべての人々(一切衆生)を一仏乗に入らせるためであると説きます。また、お釈迦様は釈尊として永遠の過去から永遠の未来にわたって人々を教化・利益し続ける久遠実成(くおんじつじょう)の仏であることを明らかにし、人々は永遠に救われることが説かれています。さらには、この世に存在するもののどれ一つとっても無駄や隔てがなく、差別対立もなく、この世を構成する上で重要な役割を果たしていると説きます(諸法実相)。あらゆるものが平等の上に存在するのは、仏はもちろん、人も草木も存在するものすべてが仏性を持ち、みな仏になる可能性を持っているのですから、本来は声聞・縁覚・菩薩という区別などありません。(天台宗の教え~一隅を照らす運動の源泉~より)

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ここで体を清めます。

天台宗は、すべての人が仏になることができるという、法華一乗の教えを根本として、仏性の普遍と尊厳とを自信し、自行化他の菩薩道を並べ行い、正法興隆、人類救済の聖業に努め、かつ、国家社会の文化開発に尽くし、皆成仏道の実現と仏国土の建設とにあらゆる宗教的努力をすることを宗旨といます(天台宗宗憲第四条)。そして、宗祖伝教大師が立教開宗された本義に基づいて、円教、密教、禅法、戒法、念仏等いずれも法華一乗の教意をもって融合し(四宗融合という)、これを実践します(天台宗宗憲第五条)。

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「御本堂」。

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現在の本堂は1851年に再建されたもので、本尊不動明王及び八大童子が祀られております。 石段の手前左右には池があり、そこに架かる石橋を渡ります。石段の両脇には一対の石燈篭が配され、歴史と風格を感じさせます。

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全ての人が仏になるか。私もなれるのでしょうか。最近の世の中は、「仏の光より金の光」と言われ久しいですね。

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私ですか。「ないが極楽、知らぬが仏」。貧しい者は贅沢を知らないので、欲に悩むこともなく幸せに暮らしていけるということございましょう。

この水は飲めるとあります。

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「行雲流水」

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事に執着せず、自然の成り行きに身を任せる。世の中なるようにしかならないのでございます。

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「水は方円の器に随う」。水は方円の器に随うとは、人は環境や友人によって、良くも悪くも変わるというたとえでもあります。環境や友人を大切にしたいものです。

「上穂十一騎之碑」がございました。

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大阪冬の陣と夏の陣で豊臣方の真田幸村配下として戦い、散った郷土駒ケ根市西側一帯に広がる上穂郷で、武芸に秀でた農家の次男や三男の十一人。夏の陣では伊達政宗軍と戦い、徳川方本陣にあと一歩まで迫りながら全員討ち死にしました。

あと一歩に迫りながら無念でしたでしょう。。。

「三重塔」。

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光前寺の三重塔は、南信ではこの光前寺にあるものが唯一の塔で、もともとは応永年間(1394~1427)に建立されましたが、享和3年(1803)に焼失。諏訪の大工・立川和四郎・四郎治によって文化5年(1808)に再建されたものです。高さは約17m。非常に良く均整がとれており、県の有形文化財(県宝)に指定されています。須弥壇には五智如来坐像が四方に向けて安置されています。


「五重の塔も下から組む」とのことわざのように、物事は順序よく進めないといけませんね。自戒の意味も込めて。

「霊犬 早太郎のお墓」。

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光前寺の和尚さんは勇敢だった太郎やさしく、やさしくなでながら「早太郎よくたたかった。強かったな。」とほめてあげましたそうです。そして、太い杉の木にかこまれた本堂の左横に穴を掘り、永い永い眠りに早太郎はついているのであります。

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「静中の静は真の静にあらず」

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静かな中にある静は本当の静ではなく、動きの中にある静こそが本当の静であるの意で、落ち着かない中で、平静さを維持すべきであるということ。どんなときでも慌てず平静を保つ。

ここからいよいよ「光前寺庭園」を見て回りますよ!

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光前寺庭園国の名勝に指定された築山泉水庭で、一説には極楽浄土の庭園ともいわれています。

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宝物拝観と名勝庭園を見て回るので、志納金として500円をお支払いします。

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庭園マニアのわたくし、テンションが上がって参りました。日本にある日本庭園をすべて廻ってみたいと思っているほどです。

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ちなみに、庭園内の本坊客殿内は撮影禁止です。写真でお伝えできなくて残念ですが、薬師如来、弁財天をまつっていますので、私も参拝致します。

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堂内からの庭園風景は自由に撮影して問題ありません。

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この光前寺庭園の静寂な環境と風致は長野県下随一と称されています。

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築山泉水庭で、5〜10月は光苔が見頃です。

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光前寺本堂の脇に、裏山の清水が引かれ、「冷水に命も延びるようだ」という思いから延名水と呼ばれています。

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ライトアップの期間中は甘酒のサービスやコンサートも開かれるようです。

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庭園拝観後は、煎茶と麦落雁【法楽】の茶菓接待がございます。

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ゆっくりとした時の流れに身を任せます。

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こちらが麦落雁【法楽】です。

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麦落雁は、大麦を煎り、粉砂糖と混ぜて型に入れた和菓子で江戸時代に大名行列のお土産として愛用いただいていたというほどの伝統のある和菓子です。

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群馬県を代表する銘菓だそうです。麦落雁を頂いたところで、こちらのマップコースから次の目的地である「駒ケ根市郷土館」をご紹介したいと思います。

written by パープル@いつでもどこでも働ける、リモートワーカーという生き方


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