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私の思考回路

また私は失敗した。
しょうもないことで意地を張って失敗した。

今まで6年余り接客をしていて経験したことのないパターンのミスだった。
お陰で「なんで君が?」
「もしかしてこの人、接客向いてないのでは?」
そんな風に店長も訝しんでいたし、間違いなく私に失望していた。

また私は、他人からの自分に対する評価を下げるようなことをやらかした。

私は性格上、真っ先に頭を下げ自分の対応について謝罪した。
しかしお客は
「どうしてあんな対応をしたんですか?」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」

私が自分でも説明できずにわからなくなってしどろもどろになり、店長を呼び、店長と2人で頭を下げてもなお、
「なぜあんな対応をしたんですか?」
「どうしてもっと早くに謝らなかったのですか?」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」
「ちゃんと説明してくださいよ」
「あなたの謝罪は形式的なものにしか聞こえない、
感情がこもっていない、口だけの謝罪だ」
「自分の正しさ、ルールを客に押し付けている、なんのためのルールなのかがわからなくなっている」
「どうしてあんな対応をしたんですか?」

そのお客はネチネチと論理的に私の対応を非難してこき下ろすようなタイプだった。
ひろゆきの本でも読んだのだろうか、ひたすら相手を論破し相手の非を認めさせることに精を出すような、嫌な性格の男性だった。
現代にソクラテスが居たならきっとああいう感じだ。

そしてタチの悪いことに、妻らしき人も一緒におり、私や店長が頭を下げる様子を動画で撮影していたようだった。

このご時世だ。店名とともに店員の名前を晒しTwitterに投稿して炎上させる気かもしれない。
本社にクレームを入れるだとか言っていた気もする。
そうなれば店にとって良い影響は無いし、当然私もクビになることだろう。
一生ネットの晒し者にされ、自信を無くして二度とレジに立てなくなるという足枷とともに。

もし、「もうこんな店こねーよ」
というタイプのお客ならむしろ良かったかもしれないが、
経験上ああいう方はきっとまた今日と同じように来店し、私の顔を見たとたんにまた同じミスを責め続けるに違いない。
いわゆるオタクのような、中途半端に頭がいい客を相手に商売する業種のため、近所に住んでいれば高確率でまた冷やかしにくるだろう。

基本的に店員が客に逆らえないことを知っている人にとって、今回の私のような立場の人間は恰好のサンドバッグになる。
私の名前を覚えたと言っていたので(私の苗字が珍しいせいでもあるだろう)、私以外の店員に私の今日の悪行を愚痴りに来るかもしれない。そうなればわたしの悪評が広まり、二度とレジに立たせてもらえないどころか職場に居場所すらなくなるだろう。
別の可能性として、私が立っているレジカウンターに敢えて並び、嫌がらせとばかりに同じ注文をし、ミスを誘発させようとしてくるかもしれない。
もちろんどちらにせよ、最終的にはクビか自主退職だ。

これを読んで考え過ぎだ、被害妄想だ、という風に思う貴方はさぞかし何の不自由もない幸せな人生を送ってきたのだろう。誇って良い。貴方は間違いなく幸せ者だ。
だってこんなふうに思い悩む必要がないのだから。

日の下を歩く人間にとって、日陰に棲むダンゴムシやミミズやワラジムシやヤスデらの考えや行動原理などわかるはずもなく、ただただ理解しがたく気持ちの悪いものでしかないからだ。
ダンゴムシやミミズやワラジムシやヤスデらではない貴方にとって、太陽の下で生きることは決して地獄ではない。
太陽という名の社会に焼かれ干からびることも、人間など他の動物にうっかり踏み潰される心配をする必要もないからだ。

話が逸れたが、例の件の直後、バックヤードで店長は件のお客の言い分を全面的に認め、私に申し開きをさせた。
私はお客様に不愉快な思いをさせてしまったこと、接客対応に問題があったこと、店長を巻き込んでしまったこと、そして店長(と私)が今後ネットに晒され炎上するかもしれないことを危惧し、ひたすら謝罪しようとした。
だが店長は私の謝罪を一切聞かなかった。

怒っているからではなく(もちろん怒ってはいるかもしれないが)、謝罪の言葉に意味はない。謝罪をするのに時間を割くより、原因究明と対策に注力する。
知っている。彼がそういう人だからだ。
店長に謝ったところで、私の自己満足にしかならないことを彼は知っていた。
彼への行き場のない申し訳なさだけは、やはり毎度経験しても慣れないが。

原因は、お客の「(買うか買わないか)検討します」という日本語の意図を、私が汲めなかったからだ。
商品を買うのか買わないのか、はたまた迷っているのかどうかがわからなかった。
要するに私の日本語読解力、コミュニケーション力が足りなかったというわけだ。
加えてその後の自分の対応も問題で、これは自分でもなぜそうしたのかよく分からなかった。

曲がりなりにも接客経験のあるいい歳した人間が、
「あれれ?この人大丈夫かな?」というレベルのミスをし頭を下げている様子は、側から見て滑稽であったことだろう。

私はしたくもない言い訳をさせられ続け、
かといって謝ることも許されず、ただ俯くことしかできなかった。店長は擁護すらしてくれなかった。期待などしていたわけではないが。

その後「しばらく息抜きしてていいよ」と言われ、
私は肩から崩れ落ちるような思いで近くの椅子に腰掛けた。そのまま30分あまり、あっという間だった。
様々な思考・感情が脳内を埋め尽くし、頭を抱えたまましばらく立ち上がる気になれなかった。
「給料泥棒」、そう言われたら否定のしようもない。

誰が正しいのか。何が間違っていたのか。上に書いたそのすべてが、私の体をがんじがらめにして動けなくしていた。そしてなにより、先ほどのお客と鉢合わせになりたくなかった。情けない話、何故だかわからないが手足の震えが止まらなかった。それでも誰も手を差し伸べる者はいなかった。
いつまでもそうしているわけにもいかないので持ち場に戻ると、なにやら少し距離を取った所で店長と副店長が話をしているようだった。
敢えて距離を置いた場所で話す理由なんて察しがつくわけで、私の今後の扱いや進退について話していたのだろう。

結果、今までの接客経験を疑われる事態となった。
今まで稼いできた信用や自信が嘘だったかのように崩れ落ちていく。
すぐにクビとはならなくとも、明日からは接客すらさせてもらえなくなるかもしれない。
せっかく築き上げ安定してきた地位。私に与えられた、唯一の役割。そんな私の居場所を、
憶測でも冗談でもなく失うことになるかもしれない。

まるで急に翅をもがれ飛べなくなったカナブンかセミのようだ。
もぐ側の人間はさぞかし気持ちがいいのだろうな。


クビになるのはいいが、それを皆の前で晒されること。
そして今のポジションを奪われることが、今なによりも私が恐れていることだ。
信頼関係を築きかけていた人たちからの失望や呆れた表情、哀れみ侮蔑の眼差し。それらがいとも容易く想像できてしまうからだ。
仲間だと思っていた同僚が一斉に私に後ろ指を指して嘲笑の対象にすることが、なによりも怖い。本当に怖い。怖くて明日からのことを何も考えたくなくなる。

それにお客の言っていた、

「まるであなたが自分のルールを、正義を客である私に押し付けているように感じた」

「正義」という言葉が、少し引っかかった。
以前から、自分の正義感が暴走しがちなことには気づいていたからだ。
余計な正義感が時に大きな過ちとなるのは、歩きスマホやマスクの有無などでしばしば社会問題になっている通りだが、
私の場合、厳しすぎる規則を意図せず相手に強いてしまう(気をつけてはいるのだが)ことや、自分の信じる正しさを強く持ち過ぎるあまり、他者の意見に耳を貸さないことが時折あった。

だが、自分の信じる基準が正しくないとすれば、一体この世の何が正しいというのだろう。
店の基準など明文化されておらず店長の裁量次第だという環境で、自分の経験の他にどんな基準を信じればいいというのだろう。

その後、

どんなに失敗する度に悔いようと、
結局私は何も変われていないということだ。
私は人間失格だ。
本当に生きる資格のないクズだ。
なぜとっくのとうに死んでいないのだろう。
私は働くことすら許されないのだろうか?
私は接客業が向いていないのではないだろうか?

怖い。怖い。怖い。
いつクビになるのかが怖い。

接客業の経験の長さを買われて雇ってもらったのに、
その経験を疑われたことがなによりつらい。

そしてその場にいた誰もが誰一人として擁護せず慰めてすらくれなかったことが、
慰めてくれるようなペットすら飼えないことが、
わたしはとてもかなしい。
かなしい。かなしい。かなしい。

ここに書けないような、交わされた言葉を反芻し続けている。時々泣き叫びそうになる。いてもたっても居られなくなる。情緒がおかしくなる。頭が痛い。怖い。辛い。悲しい。頭にくる。

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