カメラを持たずに観戦して感じたこと
私がプロレス会場にカメラを持っていき、会場で写真を撮るようになってから、約4年が経った。
本格的に撮り出したのは2019年頃だったが、それまではタブレットで撮影した写真を撮り、感想と一緒に写真をTwitterにアップするスタイルだった。
ミラーレス一眼レフで撮影するようになった理由は幾つかあるけれど(詳細は上記記事参照)、撮り始めてから、blogやnoteなどに写真を単独で上げる機会が増えた。
カメラを持っていくようになってからというもの、私はミラーレス一眼レフ無しで、プロレスを観戦する選択肢を考えられなくなっていた。
たまに、カメラやレンズ、バッテリーを忘れた時などは、気持ちも幾分か落ち込んだ。
それくらい、私の中でカメラの比率が増していたんだと思う。
試合は見れるが、視界は狭まる
先日、ミラーレスを持たずにプロレス観戦する機会があった。
当初は観戦予定を考えていなかったものの、当日になって心変わりしたのが一番の理由だ。
故に、普段の興行観戦時には必ず持ち歩くミラーレスなんて、手元に無い状況。
私は、スマートフォンのカメラで撮影はしたものの、ほぼほぼ手持ち無沙汰の状態で観戦に臨んだ。
こんなことは、約1年以上も経験していなかった。
時折、Twitter等でこんな意見を見かけることがある
「カメラで写真を撮っている人は、試合をちゃんと見ていない」
私は、その意見に対して否定的だ。
実際にカメラを構えるようになって、試合を見ていないと、瞬間瞬間を逃す事に気づいたから。
でも、手元からミラーレスを離してみると、カメラを持たないからこそ見えてくる景色も存在した。
試合を観ていることに変わりは無いけれど、カメラを持っていない時の方が、持っている時より視界が広くなった感覚を抱いたのである。
カメラを持っていると、ファインダーを覗く分、周辺の視野はどうしたって狭まる。
故に、周囲に迷惑をかける可能性がある。私もそうだと思う。
気づかないところで、カメラで人を阻害しているかもしれない…。
また、カメラを持っていると、【撮る際の構図】だとか、【このタイミングで、この技が来る】だとかを意識しながら撮っている事にも気付いた。
試合を見ているけれど、カメラがあると、そうした意識に囚われ過ぎている事も実感できた。
ミラーレス等の本格的なカメラを持たないで観る景色は、いつもと違っていた。
まず一番に感じたのは、私は肉眼だと、中々選手を直視できなかったという事実。
ファインダー越しでは見れていたのに(笑)。
でも、そういう新たな発見があるのは、実に刺激的だった。
カメラに集中していた意識も、選手の一挙手一投足だとか、拍手や声援(※)だとかに、幾分か注ぐことが出来た。
(※この日はマスク着用なら声出しOK)
特に、隣に知っているフォロワー様がいる時とかは、(カメラで写真を撮る同好の士でもない限り)持たないで見た方が人とワクワクや楽しみを共有できるのかなあ、と思ったり。
オープニングの歌のコーナーから、腕が筋肉痛になりそうなくらい全力で手を叩く経験も、カメラを持たなかったからこそ。
試合は観ないと撮れないけれど、撮ると視界は狭まる。
まとめ
カメラで写真を撮るのは、とても楽しい。
でも、ミラーレスカメラ等で写真を撮りながら観戦していると、自分が思っていた以上に、カメラに意識が向いていた。
これは、カメラから手を離してみないと気付けなかった事でもある。
ただ、今回の気付きがキッカケで、カメラを撮りながら観戦することを止める、というのはないと思う。
大事なのは、カメラと使用する側の距離感なのかも知れない。
そこを見誤ると、極端な話、人に対して横柄にもなれるし、過度な自信も付与してしまう恐れと魔力が、カメラには備わっていると私は感じている。
(スキル論だとか、写真の出来だとか)
正直な話、私がそれを守れているなんて自信を持って言えないけれど、せめて、カメラを持っている時ほど視野が狭まる点は気をつけておきたいと思う、最近の学びでした…。
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