記紀の謎を解くカギは聖書にあり ①
伊勢遺跡の紹介は、前回でひとまず終了です。
これまで「邪馬台国は伊勢遺跡」や「邪馬台国は神武東征で滅んだ」など、世間的に見れば異説(別名トンデモ説)であろう考察を書き連ねてきました。
今回からはさらに一段上をゆく分析(トンデモ説2.0?)で邪馬台国の謎に迫ります。
(本人はいたって真面目です!)
邪馬台国が21世紀の今日まで見つからない理由は……
よく言われるのが、『魏志倭人伝』の記述があいまいだからという説。
特に位置については、「倭人伝」の通りに進むと、邪馬台国ははるか太平洋の海上に位置することになってしまいます。
しかし中国の史書は、そもそも歴代王朝が自分たちの正統性や偉大さを誇示することを目的とした書なので、野蛮で遅れた(と見做している)周辺国の記述が多少違っていても問題ではないのです。
これに書かれた記述が、一字一句正しいと考えるほうが誤りです。
ただし「倭人伝」に書かれた倭国の風俗や物産については、実際に見分した者でなければわからない記述も多く、史料価値は高いといえます。
女王卑弥呼が統治したという政治体制についても、事実と考えてよいと考えます。
要は信じすぎなければよいことです。
見つからない理由、その二が「記紀」です。
『古事記』と『日本書紀』のせいで、邪馬台国の所在地が未だ雲を掴むような状態です。むしろこっちの罪が重いです。
――なぜ罪が重いのか?
意図的に書かれたからです。それも嘘をつかずに、読んだ相手が勝手に勘違いするように仕向ける、という高等テクニックを使っています。
実に見事です。
――犯人は誰?
藤原不比等を中心とする奈良時代の貴族たちです。
――何のために?
1)まずは日本を中国より歴史のある国であると背伸びするため。
超大国・唐に見栄を張り、それなりの地位を確保することが目的です。
2)そしてこれがより重要なのですが、日本の王朝が“中国と違って”一度
も王朝交代が起きていない(と思わせる)ためです。
――結果はどうだった?
唐から内容についてクレームが来たという記録はありません。
なので、この狙いはいちおう成功したといえるでしょう。
もっとも唐にしてみれば、海の向こうの小さな島国の歴史書など、歯牙に
もかけなかったというのが真相でしょう。
ただしこれには副産物もあります。
お陰で後世の日本人が大きなツケを払うことになったのです。
邪馬台国の所在地が、21世紀の今日まで分からなくなってしまったからです。
それほど巧妙なトリックを、奈良時代の貴族たちは使ったのです。
とても罪深い話だと思いませんか?
この謎を解くカギは意外なところにあります。
それは『聖書』。誰もが知るキリスト教(とユダヤ教)の教典です。
「まさか!」と思われるかもしれません。
(あるいは「トンデモ説炸裂!」と声がかかる!?(笑))
しかし私は、聖書の中にこそ、記紀の謎を解くカギがあると本気で考えています。(そして邪馬台国の謎も……)
物的な証拠は残っていませんが、状況証拠なら説明できます。
次回から、この謎に迫っていきます。
★見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、motokidsさんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。
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