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「高天の原」を追いかけた男

菊池山哉(きくち・さんさい)【1890~1966】という人物をご存知だろうか。
正史が黙殺してきた被差別部落や、先住民の研究に生涯を捧げた在野の郷土史家である。

彼が亡くなる直前に書いたのが『蝦夷(えみし)と天ノ朝(あまのちょう)の研究』(東京史談会)。
この覆刻版が『天ノ朝の研究』(批評社)↓で、歴史家・歌人の田中紀子が解説を加えている。

菊池山哉は、古事記や日本書紀の神代史に描かれた、「高天の原(たかあまのはら)」に注目。
「高天の原」は古事記や日本書紀に「神々の住むところ」として登場する場所だが、長らく「神話の世界」として考えられてきた。

だが山哉は、昭和15年に滋賀県野洲郡を訪れて大岩山古墳などを見学。
ここに古代文明が存在したと確信し、それに「天ノ朝(あまのちょう)」と名付けたのである。

この「天ノ朝」こそがヤマト王権以前に実在した国であり、魏志倭人伝に描かれた邪馬台国で、神武東征によって歴史から葬られたのだと主張している。
またこの地で出土した銅鐸は天ノ朝のシンボルで、これが大岩山から大量に出土した理由も「秘匿する必要があったから、つまり天ノ朝は没落した」などと結論づけている。

私が山哉の名を知ったのは、伊勢遺跡が「邪馬台国ではないか?」と考え、さまざまな文献を調べ始めた頃だった。

何より驚かされたのは、伊勢遺跡が発見される遥か以前に、山哉が琵琶湖東岸に邪馬台国(天ノ朝)があったと結論づけていたことである。
遺跡という物的証拠もない段階で、古代文明(邪馬台国)の存在を言い当てた観察力と洞察力は心底すごいと思った。

同時に、半世紀も前にそうした推理をした人がいたことに、「自分の仮説も決して荒唐無稽じゃないな」と勇気づけられたことを覚えている。

『天ノ朝の研究』は、私が『邪馬台国近江説』↓を書くきっかけとなった一冊である。

話題は変わって――
今週もトロフィーをいただきました。

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皆さまにたくさんスキをつけていただいたお陰です。
どうもありがとうございました!


★見出しの写真は、前回に続きみんなのフォトギャラリーから sun_ya_so さんの「野洲川の向こう、近江冨士からの日の出」を使わせていただきました。ありがとうございます。
菊池山哉も、この美しい風景を見てインスピレーションを得たに違いありません。






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